55 浮き足立つ
休養日。リネアは学院の敷地を慣れた様子で歩いていた。
塔の影に立ち、空を見上げた。
星の位置を記憶と照合する。
魔力の流れに意識を澄ませていく。
屋上、裏庭、演習場の端。
資料室で見た記録を思い出しながら、ひとつひとつ学院内に違和感がないか確かめる。
今のところ、兆候はない。
歪みも、魔力の偏差も、星の異常も。
静かだ。それが少し、怖い。
「まだやるの?」
後ろでミカが木陰に腰を下ろしていた。
三学期になってからミカは時々、こうしてリネアが学院内を見回りしているとふらっと現れる。
特に手伝うでもなく、ただついて来ているだけ。
「調べないと落ち着かないから」
「ふーん」
芝に寝転がる。
完全にのんびりしている。
「ねえ。プロム、出るの?」
「出るよ。ミカは出ないの?」
唐突に聞かれて頷く。
一年生は自由参加といえど、特別な理由でもない限りほとんどの生徒が参加する。
「出ない」
「誘われてるんでしょ?」
先日、ミカが演習のあとに上級生から呼び止められていたのを思い出す。
「……まあ。でも、あれってさ」
視線を空に向ける。
「珍しいものを見つけました、みたいな顔で来るんだよね」
「観賞用。興味本位」
「……」
怒っているわけでもない。でも温度が低い。
「それに、ああいう場は視線がうるさい。
貴族の社交ごっこも、俺はどうでもいい」
そもそも踊れないしね、とあっさりとしている。
「リネアは?」
「え?」
「誰かのパートナーになるの?」
軽い声音。
けれど視線は外さない。
「……従兄から、声はかけられてる」
少し、言葉を選ぶ。
「でも、領地ではいつもそうだったから。
特別なことじゃないよ」
当たり前のことのように言う。
セイルから申し込まれたことは、なんとなくまだ誰にも話せていなかった。
あれから顔を合わせても、セイルはいつも通り。
研究の話をして、他愛のない雑談をする。
プロムのことには触れてこない。
それが逆にいつもと違う。
普通のことじゃないように、内心では感じてしまう。
「へえ」
ミカはそれだけ返した。
ほんの少しだけ、間が空く。
「便利だね、従兄」
「……何が?」
「なんでもない」
ごろんと寝返りを打つ。
その顔は、退屈そうにも見えた。
◇
ここ数日、学院の空気はますます落ち着かない。
そして、教室に入った瞬間の空気が、今日はどんよりとしていた。
その中心にいるセラフィナは、朝から机に項垂れていた。
「……おはよう」
声に元気がない。
「おはよう。どうしたの?」
リネアが覗き込むと、セラフィナは顔だけこちらに向ける。
「朝から、疲れた……」
「もしかして、プロムの申し込み?」
「うん」
休憩時間。
演習のあと。
移動中の回廊。
最近のセラフィナの周りには、ひっきりなしに上級生が群がっている。
『プロム、予定ある?』
『来年はレオニスとだろ?今年だけでも』
『一曲だけでもいいから!』
「ダンスだけでもって言われると、断りにくくて」
「全部断ってるのか?」
「断ってるけど……!キリがない」
両手で顔を覆う。
乾いた笑みを浮かべるレオニスの顔もまた、珍しく疲れが出ている。
家格と容姿が申し分ない彼にも、かかる声は多かった。
断るたびに軽く礼を尽くす姿が、逆に目立つ。
来年は、セラフィナとレオニスも二年生。
星約のままプロムでもきっと並ぶ。
だから――今年が最後の機会だと考える者も多い。
クロウは二人より少しだけ、うまく避けていた。
申し込みの気配が近づくだけで、空気が尖って引き締まる。
鋭い視線で言葉が出る前に、人を寄せ付けずに無言で断っていた。
それでも、何人かは食い下がる。
直接声をかけることは諦めても、今も机の上には未開封の封筒が何通か置かれていた。
リネアが封筒にちらりと見る。
「大変だね……」
「別に」
淡々としていても、こちらもほんの少しだけ声に疲れが滲んでいる。
リネアは鞄から小さな包みを取り出した。
「これ、昨日の余りだけど。甘いもの、疲れに効くから」
甘い焼き菓子の香りに、セラフィナの顔がぱっと上がる。
「天使……!」
「お前、さっきまで死んでたろ」
「復活した!」
セラフィナと同じく、クロウも焼き菓子に手を伸ばす。
口に放り込むとその甘さに少し気持ちが柔らかくなる。
「無理しないでね」
「うん。今年は平和に終わらせたい」
レオニスが鼻で笑う。
「平和は無理だな」
「なんでよ」
「学院最大の社交行事だぞ」
ざわめきは収まらない。
プロムはまだ先。けれど、生徒たちの心だけが先に踊り出している。




