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リネアの選択  作者: とたか


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51 守夜祭 後編

 結局、昨夜は暗闇とともに解散になった。

 守夜祭の灯りが戻ったあとは神殿の動きが慌ただしくなり、資料室に長居するのは危険だった。


 明日には学院へ戻る。

 これが、最後の機会。


 ミカは早朝の祈祷に出ると言っていた。

 だから今日は、神殿で合流することになっている。





 宿を出る前、リネアは何度も窓の外を確認した。

 人通りの少ない時間を選んだとはいえ、胸の奥が落ち着かない。


 普段の外出用のワンピースで宿を出る。

 祭服は鞄の底に隠してある。


 王都の外れの静かな通りを歩き、神殿から少し離れた古い街道の影へ入った。


 人がいないことを確かめてから、急いで着替える。


 祭服を羽織って帽子をかぶる。

 自分の姿を石壁の影で確かめたとき、胸に小さな棘が刺さる。


 神官の服を、こんな目的で。

 罪悪感がじわりと広がる。


 それでも、足は神殿へ向かっていた。





 中央神殿の前庭は、すでに祈祷を終えた神官たちでざわついている。

 リネアは人目につかないように、指定された合流場所でひっそりと息を潜めていた。


 白い祭服の一団。

 その中に、ひときわ静かに立つ背中を見つける。


 ミカ。


 祈祷後の人の流れから少し外れて、こちらに向かってくる。

 朝の光を受けた顔は、昨日よりももっと冷たく神々しく見えた。


 本当に、黙っていれば宗教画だ。

 声をかけようとしたその時、ミカの進路に二人組の神官見習いが立ちはだかった。

 袖口の刺繍が違う、地方神殿の印。


「……お前が中央の“平民”か?」


 ミカは歩幅を変えない。


「下賎な出自で中央に居座り続けてるやつ」

「触れると呪われるとか」

「その女みたいな顔で、神官長に取り入ったのか?」


 くすくすと、押し殺した嫌な笑い。

 ミカは、立ち止まって少しだけ首をかしげた。


「もういい?」

「は?」


 それは、問いではなくて確認だった。


 次の瞬間。

 何も起きていない。

 音も、光もない。


 ただ――

 見習いの一人が、突然、喉に手をやった。


「……っ?」


 吸う。

 吸えない。


 胸が上下しない。

 いや、空気はある。

 肺は動く。


 けれど、どうやって吸えばいいのかが分からない。


「……っ、あ……」


 呼吸の仕方が、抜け落ちる。

 隣の一人も、同じように瞬きを繰り返す。

 息をする、という当たり前の動作が、手順ごと剥がされる。


 怖いのは、痛みがないことだ。

 苦しくもない。


 ただ、“方法”が消える。

 たった数秒間、視線だけで。


 やがて、ミカが視線を外す。 


 肺が動く。

 空気が入る。


「中央は空気が薄いからね」


 膝をついて、青年たちが激しく息を吸い込む。


「慣れないと、苦しいでしょ?」


 誰も言い返さない。

 涙と涎にまみれた怯えた顔で、転がるように走り去っていった。


 ミカは何事もなかったかのように伸びをする。

 そこで、ようやくリネアに気づく。


「おはよう。ちゃんと一人で来れてえらいね」


 声は、昨日と同じ軽さ。

 明るい笑顔。

 さっきまでの冷たさは、どこにもない。


「……おはよう」


 それだけ言う。

 他に言葉が出なかった。


「じゃ、行こうか」


 気にした様子でもなく、白い背中が先を歩く。

 何も言えないまま、リネアはそのあとを追った。





 昨日と同じ渡り廊下。

 人の流れを読む足取りが、今日は少しだけ自然だ。


「慣れたね」


 ミカが囁く。


「窓の高さも覚えた?」

「……覚えたくて覚えたわけじゃない」


 小声で返す。


 昨日よりも迷いなく窓枠に足をかける。

 持ち上げられる感覚にも、もう驚かない。

 窓から身を滑り込ませ、静かに着地する。


「いいね、上手」


 ミカが小さく笑う。


「褒められても嬉しくない」

「でも成長だよ」


 からかう口調。

 それに返そうとして、さっきの光景が脳裏をよぎる。


「……さっきの」


 言葉が、つい零れた。


「うん?」

「神官見習いの人たち」


 息が、止まった。

 それだけは分かった。


 彼らが何をされたのかは、理解できない。

 ミカの恩寵が、リネアが知識として知る干渉の力より明らかに強いことは、薄々分かっていた。

 それがどこまで深く使うことが出来るものなのか、踏み込んだことはない。


 でも、あれは“やり過ぎ”だと本能が告げていた。


「……ああ」


 軽い声。


「ごめんね。嫌なもの見せた」


 悪びれた様子はない。

 本当に、日常の延長のような顔だ。


「でもあのくらいやらないと、キリがないからさ」


 書架の間を歩きながら続ける。


「ああいうのは、まだかわいいもんだよ」


 冗談みたいに。

 けれど、その奥に少しだけ別の影がある。


 リネアは何も言えない。


 否定もできない。

 肯定もできない。


 ただ、


「……」


 祭服の裾を握りしめる。

 領地でも貴族と領民に確かに立場の線引きはある。

 それでも、あんな風に露骨な悪意や差別を向けられる世界を、リネアは知らない。

 ミカは振り返らないまま言う。


「気にしなくていいよ。慣れてる」


 慣れている。


 その言葉のほうが、さっきの光景よりも怖かった。

 あまりにあっさりと言うから、リネアもそれ以上続けられない。

 聞いてはいけない気がする。


 重くなった空気を払うように、ミカがわざとらしく手を叩いた。


「で?今日は何から見るの」





 リネアは昨日の書き留めを広げる。


「神殿は……大星蝕の時期を、ある程度予測しているかもしれない」


 昨日の仮説を話す。


「あり得るね」


 ミカの驚きは薄い。


「俺たちの動きが活発になったのも、この数年だし」


 俺“たち”。

 神殿内部の、別の動き。


「でも」


 リネアは手を止める。


「予測できるなら、どうして止めないの?」


 沈黙。


「止められないのかも」


 ミカの声は、静かだ。


「規模がでかすぎる。あるいは……必要だと思ってるとか」

「必要?」


「浄化とか、選別とか。宗教はそういう理屈、好きでしょ」


 嫌な答えに背筋が冷えた。


「……手がかりが、あるはず」


 必死にページをめくる。


 魔力波の異常。

 封印術式の記録。

 古い儀式の失敗例。


 目についた資料に、片っ端から目を通す。


 でも。

 止める方法は、どこにも書いていない。


 予兆はある。

 観測はある。

 記録はある。


 “回避”はない。


 リネアの喉が詰まる。


 夢の光景がよぎる。

 崩れる学院、叫び声、白い光。

 ――クロウ。


 夢が現実になる。


「リネア」


 視界が滲む。

 ミカの声が近い。


「……時間だ」


「待って。まだ、全部見たわけじゃない……!」


 窓の外の光が傾いている。

 今日中に宿へ戻り、明日には学院へ向かわなければならない。


 泣きそうに顔を歪めるリネアを、ミカはしばらく見ていた。


「帰ろう」


 答えは、出ないまま。

 静かな資料室に、どこからか祭の祈りの声が小さく届いた。

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