49 守夜祭 前編
翌日の王都は、朝から守夜祭初日の活気に包まれていた。
リネアは中央広場へ向かう人波とは逆方向、少し外れた石畳の路地へ向かう。
古い礼拝堂の裏手。
待ち合わせの時間きっかりに現れたのは――神官見習いだった。
「……ミカ?」
清廉な真っ白な祭服。
胸元には神殿の星の紋章が入った細い銀の鎖が輝いている。
中性的な容姿と相まって陽の光を受けると、まるで宗教画から抜け出してきたみたいだ。
本当に、黙って立っていれば。
「どう?」
にこ、と手を広げて笑う。
一瞬で胡散臭さが戻る。
「……似合ってる」
「でしょう?」
見た目だけは、本当に神職らしい。
でも、リネアがそれよりも気になったのは、ミカが持つ包みだった。
小さい。
それに、やけに軽そうだ。
「……資料は?」
「うん?」
「それ?」
「これは着替え」
「……え?」
差し出された祭服を思わず受け取って、そのままリネアは固まる。
「じゃあ、早く着替えて行こう」
「行く?」
「うん」
「どこに?」
「資料室。神殿の」
あっさりと言う。
理解が追いついてから、リネアの顔色が変わる。
「持ってきてくれるんじゃ、なかったの?」
「持ち出しは無理。量が多すぎる。写すのも、時間がかかる」
「リネアが直接見たほうが早いよ」
「な……」
「守夜祭の中央神殿は人の出入りが増える。
見慣れない神官見習いが、一人くらい増えても不自然じゃないって」
悪びれなく平然としている。
「でも資料室は閉鎖されてるって」
「正面からはね」
にっこりと笑みを深めるミカ。
嫌な予感しかしない。
「この方法が一番、記録が残らない。
正規の閲覧申請をすれば名前が残るし、通るとも限らない。それは避けたいでしょ?」
リネアは言葉を失う。
確かに。
自分の対価のことを考えれば、なるべく神殿とは距離を置くべきだ。
名前がどこかに残るのも避けたい。
でも。
「……最初からそのつもりだったの?」
「うん」
「なんで、言わないの?」
「言ったら断るでしょ?」
否定できなかった。
しばらくの葛藤の末に、観念したリネアは建物の影で羽織るように祭服に袖を通した。
見た目の重厚感に反して、思ったより軽く、さらっとしている。
頭を覆うベール付きの帽子は、額と頬の影を自然に落として、横顔が少し隠れる。
「……変じゃない?」
ミカがじっと見る。
着心地が悪いわけではないのに、とにかく落ち着かない。視線が泳ぐ。
「いいじゃん。似合うよ」
一歩近づいて、リネアの帽子の角度を少し直す。
「卒業後は神殿に来たら?」
「行かない」
「あ、やっぱり?」
リネアの嫌そうな顔を笑う、ミカの雰囲気は気安い。
同じ服を着ているせいか、ほんの少し距離が近く感じてしまう。
◇
中央神殿は、いつも以上に人で溢れていた。
守夜祭の初日。
儀式前の準備で神官たちは忙しそうに動き回っている。
地方から借り出された神官見習いや、祈祷者も多いようで、この場でリネアを気にする者はいない。
大勢の白い祭服が行き交う中に、二人は紛れ込んだ。
神殿の中へと足を踏み入れようとしたとき、ミカはリネアを振り返った。
「ここから先は、俺からちょっと離れて歩いてね」
「どうして?」
「俺、結構目立つから」
首をかしげながら、リネアは素直に一定の距離を空けて建物の中をついて歩く。
そして、ミカが言った意味をリネアはすぐに理解する。
最初は、ただの視線だった。
――ああ、あの。
囁きが聞こえて、リネアはバレてしまったのかと内心どきりとした。
ただ、その視線はリネアを通り越して、ミカを見てはすぐ逸らされた。
その後もひとりの若い神官が、すれ違いざまに眉を顰めて小さく舌打ちした。
「……まだいるのかよ」
リネアの耳にかろうじて届くほどの小さな声は、明らかにミカに向けられていた。
別の年配の神官はミカの姿を認めると、体を強張らせてさりげなく道を空ける。
避けるように顔を背けて、まるで触れたら何か起きるみたいに。
さらに廊下の曲がり角で、女性の神官見習いがこちらを見た。
次の瞬間、顔色を変えて後ずさる。
怯えたように、視線を落とす。
――怖がられている。
理由はわからない。
でも、明らかに普通ではない。
ミカは何も言わない。
気にした様子もなく、歩幅も変えない。
白い背中は真っ直ぐだ。
けれど、そこに漂うのは、静かな異物感。
「……いつもこうなの?」
少しだけ近づいて、小声で問う。
「ん?」
「今の人たち……」
ミカは一瞬だけ肩をすくめた。
「別に。怖がられるのは、悪くないよ。
舐められるよりは、楽」
声は冗談みたいに軽い調子なのに、その横顔は少し無機質だった。
神殿は平等を掲げる場所のはずなのに、ここには、はっきりとした境界があった。
血統のない者。
後ろ盾のない者。
異質な力への恐れ。
自分の知らない世界に、リネアはヴェールの影の下で、息を飲んだ。
◇
「資料室はこの奥」
しばらく建物を進んでいくと、ミカは渡り廊下に隔たれた部屋を前に足を止めた。
ここは奥まった場所のようで、周りに人の気配はない。
どこかから、儀式に向けたざわめきだけが微かに伝わってくる。
「正面の扉は入室記録が残る」
「じゃあ、どうやって」
ミカは廊下を回り込んだ先の、屋外に面した小窓を指差した。
「鍵は外しておいた」
「……どうやって?」
「内緒。大丈夫、落ちないように支える」
全然、大丈夫じゃない。
見上げると、窓は思ったより高い位置にある。
「足、ここね」
「ちょっと待っ」
小窓の前に気がつけば誘導されて、軽々と持ち上げられる。
「ミカっ……!」
「静かに」
そのまま窓枠を越えて、リネアはするりと中に吸い込まれた。
埃っぽくてひやりとした空気。
資料室の中は薄暗い。
リネアの後に続いて、ミカが慣れた様子でひらりと身を滑り込ませる。
静かに窓が閉まると、外の喧騒が急に遠くなった。
棚、棚、棚。
天井まで積まれた書架と、古い紙の匂い。
「ほら」
ミカが囁く。
「この方法が、一番早いでしょ」
リネアは深く息を吸った。
昨日までの笑い声。
群青のワンピース。
温かい手。
今は全部が、遠い。
祭服の白い裾が、静かに揺れた。




