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リネアの選択  作者: とたか


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47 穏やかな午後

「リネア、本当にごめんね」


 ヴァレンティ家の玄関ホールで、セラフィナが申し訳なさそうに眉を下げた。隣ではレオニスも同じように肩をすくめている。


 滞在して4日目、王都の屋敷での生活にもようやく慣れてきた頃だったが、今日は午後から二人そろって外せない予定が入っていた。

 どうしても同席しなければならない席らしく、戻りも遅くなる可能性があるという。


「気にしないで。忙しいのに私のことまで気を遣わせてごめんね」


 リネアが慌てて首を振ると、セラフィナは小さく息をついた。


「私は好きでやってるの!でも……」


 ちらりと視線が横へ動く。

 そこに立っているクロウを見て、セラフィナは少しだけ悔しそうな顔をした。


「……リネアのこと、よろしくね」


 その言葉にクロウはわずかに眉を動かしただけで、特に答えはしなかった。

 ただ、静かに頷く。


 それだけで十分だったのか、セラフィナはふっと笑った。


「じゃあ、行ってくるね」

「またあとでな」


 レオニスが軽く手を上げる。

 屋敷の前に馬車が二台並んでいる。

 玄関前で別れの挨拶をして、その内の一つの馬車にセラフィナたちが乗り込む。

 扉が閉まり、車輪が石畳を軋ませて動く音が遠ざかる。


 その様子を見送るリネアに、クロウが声をかける。


「俺たちも、行くか」


 リネアは少し緊張しながら頷いた。



 初めにセラフィナから今日の予定を知らされたとき、リネアは部屋で本でも読んで過ごそうと思っていた。

 そう伝えたとき、クロウがふと言ったのだ。


 ——ノクエルの図書室に来るか。


 王都にあるノクエル家のタウンハウスは、ヴァレンティ家の屋敷から馬車でほんの数分の距離にあるらしい。


「……いいの?」


 思わずそう聞いてしまったのは、驚きの方が大きかったからだ。

 滞在期間中、ヴァレンティ家の図書室にも案内してもらった。

 だが、当然ながらすべての書棚を自由に見られるわけはなく、制限は多かった。

 国の要職に就く家門の図書室ならなおさら。家の書庫というものは、多かれ少なかれそういうものだ。

 それを、他家の人間が見せてもらうなど。


「全部は見せられないが、問題ないものも多い」


 クロウは簡潔に言った。

 そして、少しだけ間を置いてから付け加える。


「……お前が好きそうな本もある」


 その言葉に、リネアの目の奥が輝いた。軍務参謀卿の家なら、戦術理論の類が豊富かもしれない。


「本当に?」

「ああ。両親はいないが許可は取った」


 リネアの反応があまりにも分かりやすかったからか、クロウの口元がほんのわずかだけ緩んだ。

そうして、二人はノクエル家で午後を過ごすことになった。



 馬車に乗るとすぐにノクエル家のタウンハウスに着いた。


 軍務参謀卿ノクエル家の屋敷は、決して豪奢ではない。

 磨かれた石壁。整えられた庭の植栽も、余計な装飾はなく、どこか直線的だった。

 門扉の鉄細工や欄干の細部には確かな格式が感じられるが、飾り立てるというより、必要なものだけを置いてきたような佇まいだ。


 質実剛健。

 長く軍に仕えてきた家らしい、静かな威圧感があった。


「本当に近いんだね」

「子供の頃はレオニスが走ってきたこともあった」


 リネアが思わず笑う。

 馬車を降りて屋敷の方へ歩き出した、そのときだった。


「叔父上!」


 甲高い声が響いた。

 同時に、小さな影が屋敷の方から転がるように駆けてくる。


 赤茶の髪に金の眼。


 年の頃は四、五歳だろうか。

 どこか、クロウの面影を幼くしたような顔立ちをしていた。


 クロウが一瞬だけ、目を見開いて固まる。


「ルーク……」


 駆け込んできた少年を、反射的に受け止める。

 勢いよく抱きついたルークと呼ばれた少年は、嬉しそうに顔を上げた。


 その後ろから、ゆったりと歩いてくる女性がいた。

 少年と同じ赤茶の髪に、金の瞳。

 腕にはまだ幼い赤子を抱いている。


 長身で、姿勢は真っ直ぐ。飾り気のないドレス姿だが、立っているだけでどこか鋭い気配を感じさせる女性だった。

 凛とした、冷ややかな美しさ。

 顔立ちはクロウと同じく整っているが、印象は少し違う。

 それでいて、口元には快活な笑みが浮かんでいる。


「クロウ、久しぶりね!」

「姉上……」


 女性の明るい声に反して、クロウは微妙に顔を引きつらせた。


「お帰りは明日の予定では?」

「そうだったんだけどね」


 女性は肩をすくめて言う。


「夫の仕事が長引きそうだから、置いて先に帰ってきちゃったわ」


 さっぱりとした口調だった。

 どうやら深く考えて行動するタイプではないらしい。

 それでも、その場の空気を自然と引き寄せるような存在感がある。


 彼女はクロウの隣に立つリネアへと視線を向けると、少し驚いた顔をしてから笑顔になる。


「はじめまして。ヴェレナよ」


 抱いている赤子を少し持ち直しながら名乗る。


「ノクエルの長女。今はカルド辺境伯の妻をしてるわ」


 カルド家は南部国境の防衛を担う辺境伯家だ。

 外敵の侵入を防ぐ要地を預かる、軍事色の強い家でもある。


「こちらは長男のルークと、次男のアルト」

「はじめまして……」


 リネアは慌てて礼をとった。


「リネア・フォレストです。クロウの、星約です」

「あなたが!」


 その言葉を聞いた瞬間、ヴェレナの笑顔がさらに深くなって声を弾ませた。


「立ち話もなんだし、中で話しましょう」





 応接室へ案内され、席につく。

 ヴェレナは守夜祭の社交のためにしばらく王都に滞在するらしい。


「クロウにはもう一人姉がいるんだけどね」


 お茶を受け取りながら、ヴェレナは言った。


「そっちは今、身重で。今回は帰ってこられなかったの」


 その横でルークがクロウの袖を引いていた。


「叔父上、春になったら稽古してくれる?」


 恩寵の封印が解けるのが春らしい。

 それが分かって以来、どうやらずっとクロウに頼んでいるらしかった。


「……考えておく」

「ちゃんと約束して!」


 クロウの淡々とした答えが不満で、ルークは頬を膨らませた。

 そのやりとりを見て、リネアは思わず微笑んだ。

 ルークはちらちらとリネアを見ては、少し照れたように視線を逸らす。


 使用人が下がると、ヴェレナが待ちかねたようにリネアの方に身を乗り出す。


「クロウの星約ってことは……ローウェン様の妹よね?」

「兄をご存知なんですか?」

「学院で二つ上の先輩だったの」


 ヴェレナは懐かしそうに笑う。


「話す機会はなかったけど……あの体格なのに後方支援だったでしょう?」

「はい」


 確かに、兄は細身が多い一族の中でもかなり体格がいい。

 リネアを軽々持ち上げるくらいだ。

 それでも、頭の中は文官思考でフォレスト家らしい性質も持っていた。


「ちょっと珍しくて、目立ってたわ。

 だからね、星約があなただと聞いて、どんな筋肉隆々な子かと思ってたのよ」

「筋肉……」

「こんな華奢な可愛らしいお嬢さんだったなんて」


 リネアは思わず苦笑した。

 クロウが横から口を挟む。


「ローウェン殿はそんなに(いかめ)しいのか?」

「体格だけは。うちの中では、ちょっと珍しいくらい……ガイみたいな感じかな」


 クロウもわずかに笑った。


「リネアからは、想像がつかない」


 家族やセラフィナ以外のご令嬢には普段やたら寡黙な弟が、自分からもちゃんと喋っている。

 二人のやりとりを見ていたヴェレナが、嬉しそうに目を細めた。


「リネアさん、クロウはどう?」

「……え?」

「無愛想でしょう、この子」

「姉上……」


 あっさり言い切る。


「星約が女の子だって聞いて、怖がらせてないかちょっと心配だったのよ」


 リネアは慌てて首を振った。


「そんなことはありません。クロウは優しいですし……」


 少し考えてから続ける。


「いつも的確で、助けられてます」


 改めて、本人がいる前で話すのは照れる。

 クロウの方はなんとなく見られなくて、リネアは手元のカップに視線をやった。


「ねえ、リネアは叔父上の恋人なの?」

「えっ?」


 黙っていたルークの突然の声に、リネアは顔を勢いよく上げた。

 クロウの動きも止まる。


「ち、違うよ」


 リネアは慌てて答える。


 「星約っていって、学院で助け合う仲間なの」


 ルークは首をかしげたが、なんとなく納得したらしい。


 「違うのか。でも、叔父上は格好いいだろ!」


 小さな胸を目一杯、張る。


 「お父様とお母様の次に!リネアもそう思う?」


 自分の好きなものを自慢するような、無邪気な問いだった。リネアも調子を合わせて笑って頷く。


 「うん。クロウは格好良いよ」

 「だろう!」


 その瞬間、クロウのカップを持つ手が揺れた。

 そのまま表情が固まって、言葉を失っている。


 ヴェレナのあら、と面白いものを見つけたような顔をしてからに口元をにやりとさせた。


 そのまま、リネアの相槌に気を良くしたのか、ルークのお喋りは止まらない。

 両親や叔父の自慢、領地での友人や好きな食べ物の話まで、語り尽くす。

 しばらくすると、話し疲れたのか、急に糸が切れたようにソファの上で眠ってしまった。


「部屋に連れていく。少し待っていてくれ」

「うん」

「クロウ、悪いわね」

「いえ」


 クロウは立ち上がると、ルークを抱き上げて部屋を出ていった。


 応接室には、リネアとヴェレナだけが残ると、ローウェンの学生時代や、クロウの子供の頃の話でそのまま盛り上がった。

 穏やかな時間が流れたあと、ヴェレナの声色が少し真剣なものに変わった。


 「リネアさん」

 「はい」

 「クロウと星約だと……前線で大変じゃない?」


 兄やセイルも後方であったように、フォレスト家の者が学院で前線配置になることは滅多にない。

 リネアにとってもそれは、クロウと星約になるまで想定外のことだったので、ヴェレナも心配してくれているらしかった。


「いいえ。でも……」


 少し迷ってから言う。


「私は恩寵が強いわけでもないので……むしろ、クロウには迷惑をかけているんじゃないかと」


 ヴェレナは一瞬だけ目を瞬かせて、柔らかく微笑んだ。


「そんなことないわよ」


 きっぱりと否定する。


「むしろクロウは、あなたと星約で良かったと思ってるみたい」


 リネアは驚いて顔を上げた。

 ヴェレナはお茶を一口飲みながら続ける。


「ちょっと気の利かないところもある弟だけど、これからもよろしくね」

「はい、こちらこそ」


 その言葉に、リネアは静かに頷いた。





 クロウが戻ってくると、ヴェレナに軽く挨拶をして、二人は図書室に向かうために応接室を後にした。


 廊下に出ると、先ほどまでの賑やかな空気が嘘のように静かだった。絨毯に二人の足音が吸い込まれていく。


「姉上とは何を話していた?」

「うん?」


 リネアは少し考えてから、くすりと笑った。


「昔の話」

「昔?」

「クロウとレオニスが、剣の稽古でヴェレナ様に打ち負かされてたって」


 クロウの足が一瞬止まりかける。


「……そんなことまで話したのか」

「すごく楽しそうに。本当なの?」

「否定はしない。恩寵を使ってなら、今でも敵わないときがある」

「え、そんなに?」


 リネアは驚いた顔をした。

 クロウは小さく息を吐く。


「姉上は昔から強い」


 それだけ言って、視線を前へ戻す。

 ノクエル家には、クロウが生まれるまで男子の嫡子がいなかった。


 ヴェレナはいずれ軍に入って入婿を取り、その子供に家督を継がせるつもりで育てられていたと、屋敷の使用人から聞かされたことがある。

 ただ、それはクロウが生まれる前の話で、結局その道は閉ざされた。


 姉がそのことについて、何か言ったことはない。

 それでも、クロウの胸のどこかにはずっと残っていた。

 ノクエルはクロウが継ぐ。レオニスを補佐していきたいという子供の頃からの気持ちに変わりはない。

 だが、姉の話を思い出す度に、その先でノクエルを繋ぐのは自分の子ではなくルークやアルトでも構わないとどこかで思っている。


 そこまで考えて、クロウは思考を止める。

 廊下の奥に、重い木扉が見えていた。


「ここだ」


 鍵を差し込み、扉を押し開ける。

 図書室は、広さ自体はそれほどでもない。

 それでも、中に入るとリネアは思わず息を呑んだ。


 壁一面の書棚。

 並んでいる本は、驚くほど整然としていた。

 本の背表紙に目をやると、その内容は明らかに偏っている。


 戦史、戦術論、兵站論。

 軍略書、地形研究、戦闘記録。

 魔術書もあるが、そのほとんどが実戦運用を前提としたものだった。


 軍務参謀卿家らしい蔵書だった。


「……すごい」


 思わず呟く。

 クロウは慣れた様子で棚を指した。


「このあたりなら好きに見ていい。戦術理論と、実戦魔術の棚だ」


 いくつかの書棚を示す。

 リネアの目が一気に輝いた。


 「本当に?」

 「問題ない」


 クロウは淡々と言う。

 その瞬間、リネアはぱっと棚へ近づいて、背表紙を一つ一つ目で追っていく。


 「……これ」


 思わず手に取る。

 実戦魔術の応用理論。

 演習で扱う基礎理論より、ずっと踏み込んだ内容の本だった。


 リネアはさらに何冊か取り出す。

 ぱらぱらとページをめくる。


 気づけば、顔がすっかり明るくなっていた。


 「……あ」


 ふと我に返る。

 リネアは慌てて振り向いた。


 「ごめん。ちょっとはしゃぎすぎた」


 クロウは首を振る。


 「構わない」


 ほんのわずかに目元は緩んでいた。

 その表情を見て、リネアも少し安心する。


 手に取った本を見せた。


 「これとこれ、読んでもいい?」

 「好きにしろ」


 クロウはそう言って、近くの机へ向かった。

 リネアも数冊の本を抱えて席につく。

 静かな図書室に、ページをめくる音だけが響く。


 窓から差し込む午後の光が、机の上に柔らかく落ちていた。

 二人は向かい合って、同じように本を開いている。

 特に会話はないのに、妙に落ち着く空気だった。


 クロウがふと視線を上げる。

 リネアは眉を寄せてページをめくる手を止めていた。


「どうした?」

「ちょっと難しい所があって」

「どれだ」

「ここ。どの前提の話?」

「それは——」


 身を乗り出して本を覗き込む。

 二人の距離は、近い。

 けれど、どちらもそれを気にする様子はなく、そのまま本の内容について言葉を交わした。


 午後の時間がゆっくりと流れていく。

 気づけば窓の外の光は傾き始めていた。


 結局この日は、リネアが帰る時間になるまで、二人は図書室で一緒に本を読み続けていた。

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