42 駆け引き
その日の授業の終わりを告げる鐘が鳴ると、教室は一気にざわめいた。
椅子が引かれる音。笑い声。鞄の金具が鳴る。
その中にミカの姿はすでにない。
リネアはすぐには動かなかった。
ノートを閉じながら、呼吸を整える。
逃げない、と小さく決めて立ち上がった。
「リネア、どこ行くの?」
セラフィナが首をかしげる。
「うん、ちょっと用事」
◇
中庭に出ると、窓の外は秋の光がやわらかく差している。
その一角、人目が少ない場所にミカはいた。
木にもたれて、落ち葉をいじっている。
いかにも暇つぶしの姿勢。
けれど、気配は研がれている。
こちらに気づくと、いつもの軽い笑みを浮かべた。
「来たね」
「約束だから」
リネアはすぐ側のベンチに座る。
ミカは距離を保ったまま、木にもたれ続ける。
近すぎず、遠すぎない。
はたから見ると、会話をしていないようにも見える距離感だった。
「で?」
真正面からきた短い問いに、リネアは一度、深く息を吸った。
声が震えないように、慎重に口を開く。
「夢の、話をする」
その言葉で、空気が変わる。
「……五歳の日から、見るようになった」
「どんな夢?」
「大星蝕が、学院で起きる夢」
「学院で?」
「うん。でも、いつかはわからない。
未来かもしれないし、違うかもしれない」
自分で言っていても、確証はない。
けれど、夢で感じる恐怖だけは本物だ。
「曖昧だね」
「断定できないから」
風が吹く。
木の葉が擦れ、乾いた音がする。
「それだけ?」
「それだけ」
ミカは数秒、黙ったままリネアを見た。
その視線に値踏みの色はある。
けれど、嘲りはない。
「夢に誰か出てこないの?聖女は?」
「出ない。人は……はっきりしない。
でも、学院の制服を着た生徒はたくさんいた」
嘘と真実を織り交ぜて、リネアは淀みなく答える。
すべては話さないと決めていた。
「他は?……全部じゃないよね」
わずかな緊張。
「ミカも、全部は言ってないでしょう。
他も知りたいなら、条件がある」
(ああ、そうくる)
ミカの口角が上がる。
「了解。それなら、出せる札だけでやろう。条件は?」
「……神殿の非公開資料を見せて欲しい」
「大胆だなあ」
「大星蝕を止めたい。なら、神殿が知っていることを、私も知る必要がある」
ミカは視線を外し、木の枝葉を見上げる。
面白い。
脅しに屈するどころか、交渉を持ちかけられるのは予想外だった。
少し考える素振りを見せる。
実際、できないことはない。
閲覧の方法もいくつか思いつく。
問題は――
(君を、どこまで巻き込むか)
「いいよ。約束する。次の休暇中に時間を作る」
「本当に?」
「嘘つく理由ないでしょ」
大星蝕が学院で起こる可能性がある。
情報としては、今はそれで十分だ。
「神殿も大星蝕は止めたい。だから、協力はできる」
リネアがほっとしたように少し警戒と緊張感を緩める。
その様子を見ながら、ミカはようやくリネアの隣に腰を下ろした。
「じゃあ、交渉成立」
「うん……」
いつもの軽い笑顔だけ。
手を差し出すわけでもない。
握手もしない。それで終わり。
ミカは、そのつもりだった。
なのに。
頷いたリネアの方が、躊躇いがちに手を差し出している。
ミカは本気で固まった。
「俺の恩寵、知ってるよね?」
「知ってる」
「甘すぎない?」
「"使うのはやめた"って言ってた」
――校外演習での会話。
自分の言葉は、確かに覚えている。
怯えていないわけじゃない。
それでもリネアの表情は、もう迷っていなかった。
「ほんと、お育ちがいいね」
ミカは呆れながら苦笑する。
恩寵は使わない。
ただの握手。
温度が、掌から伝わる。
手を離したあと、ミカはほんの少しだけ真顔になった。
「リネア」
「なに」
「君は、何もの?」
本当に聖女じゃないの?
冗談めかして言う。
けれど、問いは本気だ。
リネアは静かに、首を振る。
「分からない」
「そう」
ただ、視線だけが交わる。
あの白い揺らぎ。
見覚えのある光。
自分の過去と、どこかで繋がる感覚。
「なら、一緒に確かめようか」
ミカは愉しげに目を細めた。




