41 三様
校外演習を終えて数日、学院はすっかり平常に戻っていた。
廊下では他小隊の戦果が飛び交い、食堂では武勇伝が誇張され、練習棟では早くも次の演習の話題が出ている。
「うちは三日目で終わらせた」
「いやいや、四日目まで追った方が実戦的だろ」
笑い声が弾む。
その喧騒から少し離れた射場で、クロウは無言で弦を引いていた。
弦の張りは一定。
風は弱い。
距離は正確に測れている。
体は正確に応える。
矢は中心を外さない。
それでも、何かが噛み合わない。
演習の帰路からずっと、胸の奥に引っかかっているものがある。
リネアは変わらない。
少なくとも、外から見れば。
受け答えは丁寧で、視線も逸らさない。
笑うときは笑う。
だが――
言葉を返す前の、ほんのわずかな間。
自分に向ける視線の奥に生まれた、考える時間。
隣に立っているはずなのに、どこか一歩奥に引いている。
最終巡回の日。
ミカとほぼ同時に水場の方へ向かったはずなのに、リネアはだいぶ遅れて戻ってきた。
合流後、何もなかった顔はしていた。
ミカも同じ顔。
あまりにも、いつも通り。
矢を放つ。
乾いた音が響く。
中心を射抜く。
(神殿……)
確証は、ない。
神殿が絡んでいるなら、ミカが何かを知っている可能性はある。
なぜ、リネアに。狙いはなんだ?
指に、無意識に力が入る。
昨日、三年生の教室がある棟へと向かう彼女の背を見た。
おそらく、セイル・フォレストのところだ。
自分には「何もない」と言ったくせに。
胸の奥が、静かに熱を持つ。
弦を、いつもより強く引く。
星約だから、隣に立ちたい。
戦場でも思考でも、同じ高さで、同じ景色を見たい。
それなのに。
(俺は、外か)
矢が放たれる。
中心を射抜く。
満足はどこにもない。
的を見ているはずなのに、
クロウの視界に浮かぶのは、遠ざかるリネアの背中だった。
◇
この時期の三年生の教室は、人の気配が薄い。
卒業後の進路のために動いている生徒が多く、演習はほとんどない。
座学も振り返りが中心になり、早めに切り上げる教員も多かった。
セイルは教室に一人残り、論文の写しと参考資料の束を整理していた。
普段なら、もう次の改訂案を書き始めている時間だ。
それなのに、今日は進まない。
王立研究所の採用試験は、もう終わっている。
手応えもあった。
だけど、悩んでいる。
学院からは本科への進学も提案されていた。
本科生になれば卒業までの二年間、研究環境は整う。
王立研究所は設備が揃っているが、希望の研究領域に配属される保証はない。
そして学院に残れば——
従妹と卒業の時期を合わせることもできる。
(今日は、集中できないな……)
資料を片付けかけたとき、教室の扉が小さく開いた。
「……セイル」
振り返ると、リネアが立っていた。
「どうしたの。わざわざこっちまで」
「採用試験、終わったんでしょ」
少しだけ息を整えてから続ける。
「お疲れさま、って言いに来ただけ」
“だけ”。
その言い方が、わずかに浮いている。
セイルは立ち上がり、前の席の椅子を引いた。
「座る?」
「うん」
教室の中は静かだ。
窓の外から、中庭の生徒たちの声が遠く聞こえる。
リネアはいつも通り、背筋を伸ばして座った。
けれど、指先が机の端をなぞっていて落ち着かない。
「試験はどうだったの?」
「悪くなかったよ。あとは結果待ち」
「そっか。お疲れさま」
「ありがとう」
間が少し長い。
続けようと思えば、いくらでも話題はある。
でもどちらも、踏み込まない。
リネアの顔に、疲れが見える。
それだけではない。
何かを抱えている。
「リネア」
「うん?」
名前を呼ぶと、肩がわずかに揺れた。
「お疲れさま、って言いにきた“だけ”じゃないよね」
声は穏やかに。
責める色はのせない。
「……そんなことない」
「そう?」
窓からの光が、彼女の横顔を照らす。
唇が、何度か開きかけては閉じる。
言うか、やめるか。
その逡巡が、はっきり見える。
やがて口を閉ざしたリネアは、迷子の子どもみたいな顔をしていた。
「僕にできることがあるなら、教えて欲しい」
沈黙。
目がほんの少し潤む。
けれど、次の瞬間には整えられる。
「何もないよ」
セイルは、それ以上は追えない。
追えば、彼女はもっと遠くに行く。
「……分かった」
椅子にもたれかかる。
「リネア」
視線を真っ直ぐに合わせる。
「無理はしない。隠さない。何かあったら必ず言うって」
一学期のあの約束を、静かに持ち出す。
「僕は忘れてないよ」
最後に少しだけ強く。
「君が大切だ」
理屈ではない言葉。
柔らかく、でも曖昧にしない。
家族だからとも、別の感情だとも言わないけれど。
リネアは少し泣きそうに顔を歪めてから、微かに笑った。
「……知ってる」
「だったら、抱え込む前に一度は僕を思い出して」
「……」
それでも、言わない。
「せめて、選択肢には入れておいて」
僕を。
リネアは、ぎこちなく頷いた。
セイルは初めて、自分の手の届かない場所に彼女がいると感じた。
◇
校外演習から数日間、リネアは沈んでいた。
表面は変わらない。
授業も出るし、板書も取るし、クラスメイトとも普通に話す。
でも、目の奥が揺れている。
その様子を、物言いたげに見るクロウの視線にも気づいていない。
ミカはそれを、離れた位置から観察していた。
(でも、そろそろ答えはもらわないと)
昼休み。
ざわつく教室の空気に紛れて、ミカは屈託のない笑顔を作る。
「リネア、元気ないじゃん。演習の疲れ?」
近づくと、リネアは無意識に一歩下がる。
ほんのわずかな距離。
(そうなるよね)
そういう態度には、慣れている。
自分の恩寵が相手に知られたとき。
昔から、何度も見てきた。
だから、気にしない。
わざとらしくないように、自然に半歩分だけ距離を戻す。
声は周囲に溶ける、なるべく軽い音で。
他の生徒たちが、誰もこちらを気にしない調子で。
「ねえ。答え、出た?」
短い問い。
「……まだ」
暗い声に、ミカは肩をすくめる。
「そっか」
そこで終わらせるつもりだった。
けれど。
「でも」
リネアの目が揺れていない。
ミカに真っ直ぐ視線を合わせてきた。
「あとで、話したい」
ミカは瞬きをひとつして、それからいつもの笑みを浮かべた。
怯えではない。
逃げでもない。
こうして正面から来られるのは、嫌いじゃない。
「いいね」
少しだけ顔を近づけて、声を落とす。
「放課後、ちゃんと話そう」
リネアは頷いた。今度は迷いなく。
ミカの胸に、わずかな熱が灯る。
放課後が、少しだけ待ち遠しかった。
今日は別で、習作の短編小説もアップしています。
婚約破棄&ざまぁのテンプレネタをちょっとダークに書いてます。
興味がありましたらそちらも読んでいただけたら嬉しいです!




