40 沈黙
教官の確認を受けて、校外演習は正式に完了した。
撤収の指示が出て、小隊は行きと同じ馬車に乗り込む。
馬車はの中は行きとは違って賑やかだった。
「やっと終わったな!」
ガイが背を伸ばして笑う。
「泥の匂いがまだ取れねえ」
「それはあんただけ」
即座に返すエマの横で、ミカは気楽に笑っている。
ネーリス兄弟が既に小声で数字を並べていた。
「総数九。逸走なし」
「制圧率百」
クロウは黙って座っている。
ただ、視線はときどき、向かい側へ向く。
リネアが会話にほとんど加わっていない。
いつもなら、誰かの話に一度は反応する。
相槌だけでも外すことはないのに、それが今日はない。
意識して黙っているわけではなく、ただ、そこにいないような空気。
入口側から見える、遠ざかっていく景色をぼんやりと眺めていた。
風が入り込み、湿った匂いが残る。
『神殿はさ、ずっと聖女を探してる』
リネアの頭の中で、ミカの言葉が繰り返される。
聖女。
大星蝕。
五歳の日。
恩寵と対価。
そして、夢。
——もし、あれを話したら?
家族はどうなる。
兄は。
セイルは。
神殿が動けば、学院も動く。
調査が入れば、周囲は巻き込まれる。
クロウも。
レオニスも。
セラフィナも。
自分だけの問題ではない。
(……言えない)
そう思うたび、喉元を絞められたように息が苦しくなる。
だけど、これは自分一人で引き受けられるものだろうか。
馬車が揺れ、身体がわずかに傾いた。
「リネア」
クロウの声が近い。
呼ぶまでに一拍あった。
何度か様子を見て、ようやく口にしたような間だった。
「疲れてるか」
「平気」
間髪入れずに答える。
その速さが、自分でも不自然だと思う。
クロウは訝しむように、目を細めた。
「無理はするな」
「してないよ」
笑う。
うまく笑えているはずだ。
クロウは何か言いたげな目はしていたが、それ以上言葉にしなかった。
◇
「帰ってきた!」
「風呂だ!」
「ベッド!」
馬車から見える景色が見慣れたものになって、ガイが立ち上がろうとして頭をぶつける。
「痛えっ」
「学習しないなあ」
呆れた声と笑い。空気は軽い。
やがて、馬車が学院の正門前で止まると、一人ずつ降りる。
入り口側に座っていたミカが、ひょいと立ち上がる。
「お疲れさまでしたー」
いつもの調子で、軽く背を伸ばす。
疲労も残っているはずなのに、声は明るい。
そのまま、先に地面へ飛び降りる。
「じゃ、またね」
振り向きざまに、なんでもないように言う。
視線は一瞬だけ、リネアへ。
ほんの一瞬。
それだけで十分だというように。
「……うん」
喉が少しだけ乾く。
声が、わずかに遅れる。
ミカはもう視線を外していて、外でガイの肩を叩いている。
何もなかったみたいに。
地面に足をつけた瞬間、リネアはわずかにふらついた。
帰ってきたはずなのに、まだ足元が揺れている気がした。
「リネア」
クロウに後ろから、支えるように肩を掴まれる。
振り返ると、少しだけ眉を寄せていた。
「顔色が悪い」
「雨に当たったからかな」
軽く聞こえるつもりで言う。
けれど、声に感情が上手くのらない。
「……何かあったか」
言えばいい、と頭のどこかが囁く。
ミカの言葉。
魔力回路。
夢。
全部を打ち明ければ、楽になるかもしれない。
でも——
「何もないよ」
きちんと、薄く壁を作る。
クロウはそれを確かに感じ取った。
「……そうか」
それだけ言って歩き出す。
近いまま、遠い、半歩分の距離。
◇
寮へ向かう足取りの中でも、リネアの思考は巡り続けていた。
家族に話すべきか。
セイルには。
セイルなら理屈で整理してくれるかもしれない。
きっとリネアを安心させる言葉もくれる。
でも、巻き込みたくはない。
クロウに話せば、きっと黙っていない。
レオニスも、セラフィナも。
自分のせいで誰かが立場を失うのは嫌だ。
(これは、私の問題)
そう言い聞かせる。
大丈夫。
五歳の日からずっと——
本当に一人だったことは、ない。
演習は終わった。
けれど、別の何かが、確実に始まっていた。




