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リネアの選択  作者: とたか


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37 雨の森

 ネーリス兄弟の予測通り、今日は朝から小雨が降っている。


 霧のように細かい雨に森は湿り、葉の縁から細い雫が落ち続けていた。

 視界はやや悪いが、昨日敷いた包囲網と観測の精度は崩れていない。


「北東、接近」

「低速度」


 ネーリス兄弟の声が淡々と響く。


 小型獣型は、ウサギほどの大きさ。

 黒ずんだ毛並みと、濁った目。

 単体なら脅威ではないが、群れると厄介だ。


「右、二」

「行くぞ!」


 ガイが前に出る。


 踏み込んだ瞬間、地面が重く沈んだ。

 拳が振り下ろされ、魔物が横に吹き飛ぶ。


 武器は使わない。

 体重と筋力と、恩寵を乗せた打撃。


 魔物の核が砕ける鈍い音。

 泥が跳ねる。


「雑にまとめるなよ!」

「わかってる!」


 クロウが位置を指示し、エマが後方から増幅を流す。

 リネアは魔術で補助しながら、小さな回復を必要に応じて。

 ミカは流れを整え、後方の観測精度を支えている。


 午前中は順調だった。


 的確に魔物を捕捉して、移動経路を塞ぎ、じわじわと追い詰める。

 昼前、小休憩で行動食を口にしながら状況を確認する。

 事前情報よりも増殖はしていたようだが、魔物の残数は数匹になっていた。


「このまま今日中に終わらせる」


 クロウの判断に、誰も異を唱えなかった。





 午後に入って、空気が変わった。


「気圧低下」

「天候悪化」


 ヨルンとハルンがほぼ同時に告げる。

 それからしばらくすると、雨足が一気に強くなった。


 地面が急速にぬかるむ。

 それでも怯まずに、ガイが一気に踏み込んだ。

 斜面に追い込まれた魔物が散開する。

 

「逃がすか!」


 大きく跳躍して、拳を叩き込む。

 衝撃で地面が抉れる。

 雨で緩んだ土が崩れ、斜面の一部が崩落した。


「ガイ、踏み込みすぎだ!」

「悪い!」


 魔物が一匹、横へ跳ねる。


 ミカは冷めた様子で観察しながら、先行するガイたちを追っているリネアに目をやった。


 昨日の夜も、上手く中には入れなかった。

 なら、


(完全に意識がなければどうかな?)


 ――例えば気絶しているときとか。


 ミカは静かに息を整える。


 ガイの動き。

 エマの増幅。

 この距離なら、遠隔でもいける。

 今の流れで――少しだけ。


 ほんのわずかにミカの恩寵が、二人に触れる。


 ガイの神経伝達を、わずかに鋭く。

 エマの増幅効率を、ほんの一段だけ押し上げる。


「っ――!」


 ガイの踏み込みが深くなる。

 拳の衝撃が、想定よりも重い。

 同時に、エマの増幅が過剰に乗る。


 斜面が震えた。

 雨で緩んだ土が、大きく割れる。


「まずい!」


 クロウの声が飛ぶ。

 だが、遅い。

 地盤が連鎖的に崩れた。

 リネアが体勢を変えるため、半歩踏み出した場所が沈む。


「リネア……!」


 足場が崩れ、身体が流される。


(ここで、意識を)


 ミカはごく自然に、リネアに手を伸ばす。


 その瞬間。

 別の魔物が横から飛び出した。


 ガイが反射的に迎撃した。

 エマの増幅がまだ強く残っている。

 衝撃は、想定より広がって、ミカ自身の足元まで巻き込んだ。


「……あれ」


 土が抜けた。

 体勢が崩れる。

 計算より、一拍早い。


 リネアとほぼ同時に、斜面へ滑る。

 下には露出した岩。


(これは、少しまずい)


 「……っ!」


リネアが咄嗟に地面へ手をかざして魔術を展開する。

 ミカとリネアのまわりで崩れる土が、瞬間的に少し固くなって流れが緩やかになる。


 それでも崩落の勢いは止まらない。

 ミカは致命症を避けるために横へ身体をひねる。

 そのとき、リネアが方向を変えて、躊躇なくミカへ腕を伸ばす。


「掴んで!」


 迷いがない。

 真っ直ぐな視線。

 その瞳に疑いはない。


 ミカはその手を掴む。


 リネアは魔力を流して着地点にさらに魔術を使う。

 斜面の一角が柔らかく固まり、斜面の下までゆっくりと流れながら二人の身体を受け止めた。


 衝撃で息が詰まる。

 雨が強く打ちつける。


「無事か!」


 上からクロウの声。

 斜面の木々で姿はよく見えない。


「……大丈夫!」


 リネアが先に返す。

 小さな打撲と、擦り傷程度。


 本当に、想定外だった。


(俺が落ちるのは、計算外だよ)


 リネアはまだミカの腕を握っている。


「怪我は?」

「平気。リネアは?」

「私も大丈夫」


 本気で心配している声。

 自分が巻き込まれた可能性など、微塵も疑っていない。


「二人とも!ここまで戻れそう?」


 心配の感情を滲ませた、エマの声が届く。


 滑落はしたの七、八メートルほど。

 見上げた先の斜面には角度があり、ぬかるんで登り返すのは難しそうだ。

 リネアが立ち上がって演習服のポケットから紙を取り出す。

 泥だらけの地図にさっと目を落とした。


「ここからは難しいと思う!

このまま南東に一キロ進むと等高線が緩やかな鞍部がある。そこまで移動して合流する!」


「了解!」

「無事に来いよ!」


 ガイの声が悔しそうに響く。





 斜面の上で皆が移動する気配を感じつつ、リネアは自分の体の異常を確認する。


 土が柔らかかったおかげか、大きな痛みはない。

 そして、ミカに向き直る。

 こちらも、特に目立つ怪我はなさそうだった。

 

 けれど。


「ふふ」


 堪えきれないようにリネアが笑いだした。


「……?」

「お互い、泥だらけだね」


 昨日、泥だらけは嫌だって言っていたのに。

 そう言われてミカは自分の姿を改めて見る。

 髪も、顔も、服も何もかも。二人は頭からつま先まで泥と雨で酷い状態だった。


「だから、雨は嫌だったんだよ」


 一拍おいてから少しおどけてみせる。

 不思議とミカにも、笑いが込み上げた。


(……やり方を少し変えてみるか)


 それでもまだ、目の奥に冷たさは残したまま。

 雨は、まだ止まない。

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