第30話 踏み込めない線
夜の集落は、驚くほど静かだった。
焚き火は最小限。
見張りもいない。
人々は、まるで何かを待つように、家の中で息を潜めている。
防ぐ気がない。
逃げる気もない。
――覚悟している。
レインは、集落の外れに立ち、森を見ていた。
闇の奥に、気配がある。
魔物だ。数は、二体。昼間の読みと一致している。
討てる。
今すぐにでも。
だが、剣に手は伸びなかった。
「……行かないのか」
カイルが、低く聞く。
「行けば、終わる」
「終わるな」
「ここでの“選択”もな」
カイルは言葉を失った。
セレスが、後ろから静かに言う。
「彼らは、延命を望んでいない」
「あなたが介入すれば、“生き残る可能性”を押し付けることになる」
「分かっている」
レインは、拳を握った。
救えないから苦しいのではない。
**救えるのに、踏み込めないから苦しい。**
判断とは、選ぶことだ。
だが今は、選ぶことで相手の意思を壊す。
ミレアの言葉が、脳裏に蘇る。
『抵抗しないことを、選んでいます』
その選択を、否定する資格が自分にあるのか。
――ない。
夜半、低い唸り声が森から響いた。
魔物が、動き始めている。
集落の家々から、物音が消える。
人々は、眠っているのではない。
起きたまま、静かに待っている。
「……来るぞ」
カイルが、剣に手をかける。
「止めるな」
レインは、短く言った。
それは命令ではない。
確認だった。
魔物が姿を現す。
家畜の囲いに近づき、柵を壊す。
悲鳴は、上がらない。
誰も、助けを呼ばない。
レインの中で、何かが軋んだ。
――このまま見ているのが、正しいのか。
家畜が倒れ、血の匂いが漂う。
それでも、人は出てこない。
選択だ。
彼らの。
レインは、一歩、前に出かけ――止まった。
「……レイン」
カイルの声が、震えていた。
「俺は、行ける。止めろって言われても、行きたい」
「分かっている」
レインは、目を閉じる。
「だが、行けば、ここでの“選択”は消える」
セレスが、静かに言う。
「あなたが踏み込めば、この集落は“救われた側”になる」
「その瞬間、彼らはもう選んでいない」
重い沈黙。
やがて、魔物は家畜を引きずり、森へ戻っていった。
夜は、再び静かになる。
レインは、その場に立ち尽くしていた。
助けなかった。
だが、見殺しにもしていない。
どちらでもない。
中途半端な立場。
それが、これほど苦しいとは思わなかった。
夜明け前、ミレアが静かに近づいてきた。
「……討ちませんでしたね」
「望んでいないと、言った」
「はい」
ミレアは、穏やかに頷いた。
「だから、感謝もしません」
「でも――」
少しだけ、言葉を探す。
「……尊重してくれたことは、分かります」
それは、感謝とは違う。
だが、拒絶でもなかった。
レインは、何も答えられなかった。
夜が明ける。
集落は、昨日と変わらぬ姿で朝を迎えた。
減った家畜と、変わらぬ人々。
判断しなかった判断。
踏み込めなかった線。
それが、レインの中に、深く残った。
――判断は、万能ではない。
その事実を、初めて突きつけられた朝だった。
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