第7話「招かれざる客と、正面の封鎖」
モーターの音を極限まで絞り、電動アシスト自転車とキックボードで展示場のアスファルトへ滑り込んだその瞬間、先頭を走っていた陽介が急ブレーキをかけた。
「……止まれ」
背後の蓮と大輝が咄嗟に足を止める。
大輝が「おいおい、俺の腹がもう限界なんやけど……」と呻きかけたが、陽介の張り詰めた背中を見て息を呑んだ。
陽介の視線の先――芝生が広がる通路。
向かいの家の玄関ポーチの前に、ふらふらと頼りない足取りで立ち尽くす影が一体あった。
泥だらけのスーツを着た男のゾンビだ。
頭をだらしなく垂らし、喉の奥から「……カ、カ……」と乾いた呼気を漏らしながら、展示用の木製ベンチにぶつかっては進路を変えている。
「うわ、入り込んどるやんけ……!」
大輝が顔を青ざめさせた。
「落ち着け、まだ気づかれてない」
蓮が自転車の陰に身を屈めながら、周囲を素早く観察する。
「展示場の外周は、腰くらいの高さのアルミフェンスと植栽があるだけだ。あいつら、獲物を見つけて興奮状態にならなきゃ、わざわざあの低いフェンスを超えてくることはない。……ってことは、侵入経路はあそこしかないぞ」
蓮が指差したのは、道路に面した展示場の正面入り口だった。
見学者用のメインゲートは幅が十メートル以上もあり、門扉も何もない完全なオープン状態だ。
「あそこが開けっ放しだから、道路を徘徊してた奴がふらっと迷い込んできたんやな」
陽介が低く呟く。
「大輝、猫砂と袋持って自分の家のトイレへ走れ。用を足したら袋を二重にしっかり縛って、勝手口の外のゴミ箱に置いておけ。埋めるのは後で落ち着いてからや! ……その間に、俺と蓮であいつを外へ誘導する」
「すまん、助かる!」
大輝は物資を抱え、音を立てずに自分の家の勝手口へと駆け込んでいった。
陽介と蓮は植え込みの死角にしゃがみ込み、ゾンビを観察した。
直接近づいて戦うのはリスクが高すぎる。不用意に間合いを詰めず、やり過ごすか音でコントロールするのが鉄則だ。
「蓮、石で外へ誘導できるか?」
「任せろ」
投擲が得意な蓮は、足元から小石を二つ拾い上げた。
物陰から腕をしならせ、正面ゲートの外の道路へ向けて鋭く放る。
カランッ、と乾いた高い音が道路の向こうで響いた。
スーツ姿のゾンビの肩がピクリと反応し、頭を持ち上げた。
「……ア……?」
濁った声を漏らしながら、音のした正面入り口へ向かってふらふらと歩き始める。
蓮は息を殺し、二投目をさらに遠くのガードレールへ命中させた。
カンッ! と金属音が響く。
ゾンビは完全にその音に引き寄せられ、敷地の外へ出ていった。
二人は植え込みの影からその背中をじっと見守る。
ゾンビは道路を横断し、五十メートルほど離れた交差点の先へ、ふらふらと遠ざかっていった。
「……よし。あの距離まで離れれば、こっちの物音には気づかん」
不用意に近づくことなく、音だけで遠くへ追い出すことに成功した。
そこへ、すっきりとした表情の大輝が小走りで戻ってきた。
「ふぅ……生き返った……! 猫砂入れて二重に縛って、勝手口の外に置いてきたぞ」
「よし。だが、のんびり喜んでる暇はないぞ」
陽介が正面の広い入り口を指差した。
「さっきの奴は遠くへ誘導したが、あそこが開いたままじゃ、午後の探索に行ってる間にまた別の奴が入り込んでくる」
「正面を塞ぐ資材が必要やな」
蓮が道路側を伺いながら言った。
「午後のリストに、目隠しのシートと固定用のパイプを追加するぞ」
「ああ。だがその前に、今すぐできる応急処置をやるぞ」
陽介が道路の路肩を顎でしゃくった。
念のため、さっきのゾンビが向かった交差点側をもう一度双眼鏡で確認する。奴は完全に建物のかげへと消えており、近くに他の動く影もない。
安全を確認した上で、陽介が続ける。
「あの放置車両を使う。展示場の入り口のすぐ脇に止まってるワンボックスカーと軽トラックだ。エンジンをかけると音でさっきの奴が戻ってくるから、手押しで動かす」
「手押しって……どうやって動かすんや? 押すだけじゃ曲がらんぞ」
大輝の問いに、陽介が素早く役割を振った。
「俺が運転席に乗ってハンドルとブレーキを操作する。エンジンは切ったままだからパワステもブレーキアシストも効かんが、力づくでハンドルを切れば舵は取れる。大輝と蓮の二人で後ろから押してくれ」
三人は音を立てずに道路へ出た。
まずは手前のワンボックスカー。陽介が運転席に滑り込み、ブレーキを踏みながらシフトレバーを「N」に入れ、サイドブレーキを下ろした。
「いくぞ、押せ!」
陽介が窓から小声で合図する。
後ろに回った蓮と大輝が、太腿に力を込めてテールゲートに体重を預けた。
重い車輪がギチ……と転がり始める。
陽介はパワステの効かない重いステアリングを両腕の力でぐっと切り、車体を道路から展示場のゲート開口部へ向けて斜めに進入させた。
「ストップ!」
陽介がフットブレーキを踏み込んで止め、サイドを引いて「P」に入れる。
「次はバックで角度をつけるぞ。俺が窓から首出して後ろ見るから、前を押してくれ」
ギアを再び「N」にして、今度はフロントバンパーを二人に押させ、陽介がハンドルを逆へ切り返しながら車体をゲートに対して真横に据え付けた。定位置に入った瞬間にブレーキを踏み、サイドを限界まで引いて「P」でロック。
「次、軽トラいくぞ!」
同じ要領で、今度は軽トラックの運転席に陽介が乗り込み、ワンボックスカーの隙間を埋めるように誘導。二人の力で押し込み、頭と尻をぴったりくっつけるようにゲートの枠へ収めた。
サイドブレーキを引ききり、ギアをパーキングに入れた上で、足元に大きめのコンクリートブロックを車止めとして噛ませる。
人が体を横にしてギリギリ通り抜けられる、わずか三十センチの隙間だけを残し、十メートルあった広大な正面入り口は、二台の鉄の塊によって完璧に塞がれた。
「……っし! 重かったけど、きれいに収まったな!」
大輝が息を整えながら額の汗を拭った。
「運転席で舵取りせんと、まともに並べられんかったな。これで外からは敷地内が見えんし、車止めも噛ませたから押されてもビクともせん」
蓮も納得の表情で息をつく。
「応急処置としては上出来や」
陽介が運転席から降り、ドアを静かに閉めて時計を見た。針は午後一時を回っていた。
「足回りはもう手に入った。午後の探索、一気に本命を取りに行くぞ」




