第10話「モールの奥のSOS」
展示場のモデルハウスに拠点を構えて、四日目の朝。
午前中の日差しが強くなる前、陽介、蓮、大輝の三人は、昨夜決めた「小型トランシーバーと予備乾電池の回収」のため、三度目となる隣の大型商業施設へと足を踏み入れていた。
一昨日の深夜に起きた工場の爆発で大半の感染者が走り去り、昨日も二度にわたって米や家電を運び出した場所だ。とはいえ、広い館内は不気味なほどの静寂に包まれている。割れたガラス片を踏まないよう、慎重に通路を進んでいた陽介が、ふと足を止めた。
「……おい、これ見ろ」
陽介が指差したのは、2階へと続くエスカレーターの脇だった。
床に転がっていたのは、中身が半分残った500mlのミネラルウォーターのペットボトル。ボトルの表面についた埃の積もり方からして、ごく最近――昨夜から今朝にかけて誰かがここに置いたものだった。昨日、米や家電を運んでいた時には確実になかった痕跡だ。
「誰かいるな」
蓮がバールを握り直し、床を指でなぞる。
「見てみろ。靴底で埃を擦った跡が、インフォメーションカウンターの裏、従業員用の通路へ続いてる。足跡のサイズからして複数人だ」
「生存者か……!」
大輝がゴクリと息を呑む。
「油断するなよ。だが、見過ごすわけにはいかん」
三人は息を殺し、従業員通路の頑丈な鉄扉へと近づいた。
扉は内側からラッチがかかっていたが、ドアノブの下に、口紅のような赤い塗料で殴り書きされた文字があった。
『HELP 中に生存者あり』
その文字を見た瞬間、扉の向こうから、息を殺したような悲鳴と、荒い男の呻き声が漏れ聞こえてきた。
「……っ、やめて、おじさん……!」
「う、あ゛……ガ、アァ……」
「中で何かが起きてる!」
陽介が合図し、蓮が隙間にバールをねじ込んでテコの原理で一気に押し広げた。
ガンッ! と鈍い金属音が響き、扉が跳ね上がる。
薄暗いバックヤードの防災センター。
非常用バッテリーの赤いランプが点滅するその部屋で、最悪の光景が広がっていた。
制服を着た大柄な警備員が、血走った目で暴れていた。その口元は赤く染まり、喉の奥から獣のような濁った声を漏らしている。
足元には、もう一人の年配の警備員が首筋を押さえて倒れ、すでに事切れていた。
「きゃあああっ!」
部屋の隅、スチールロッカーの隙間に身を寄せ合って震えていたのは、三人の女性だった。
オフィスカジュアルの服を着崩した25歳ほどのOL。
リュックを胸に抱えて涙目になっている20歳前後の女子大生。
そして、二人をかばうように制服姿でモップの柄を構えている17歳くらいの女子高生。
暴れる警備員ゾンビがギョロッと目を剥き、扉を破って現れた陽介たちへ標的を変えて突進してきた。
「うわっ、来るぞ!」
大輝が青ざめて叫ぶ。
いくら異様でも、相手は制服を着た人間の姿だ。刃物を刺すことも、頭を叩き割ることなどできるはずがない。
陽介は反射的に持っていたのぼり旗ポールを両手で突き出し、相手の胸板をグッと突っ張って突進の勢いを押し止めた。
「ぐっ……力、つよ……!」
陽介が必死にポールを突っ張って相手を押し返した一瞬、蓮が横から踏み込み、手にした鉄パイプを警備員の足元へフルスイングした。
狙ったのは急所ではなく、足首。
払われた警備員ゾンビはバランスを崩し、ドスンと床に派手に転倒した。
「三人とも、こっちへ走れ! 早く!!」
大輝がロッカーの影に向かって叫ぶ。
女子高生がOLの手を引き、女子大生が震える足で駆け出す。
三人が部屋の外の通路へ飛び出したのを確認し、陽介と蓮も脱兎の勢いでバックステップを踏んで部屋から飛び出した。
「扉を閉めろ!」
床を這いずりながら追ってこようとする警備員を遮るように、陽介と大輝が二人がかりで重い防火鉄扉を力任せにバタンッ! と引き戻す。
ガチャリと外側のレバーを回し、蓮がドアの隙間に鉄パイプを斜めに噛ませて物理的に開かないよう固定した。
ドガン! ドガン! と内側から扉を激しく叩く音が響く。
「ハァッ……ハァッ……ハァッ……!」
陽介はその場にへたり込みそうになり、壁に手をついた。
手袋越しとはいえ、生きた人間だったものを突き飛ばした感触が手のひらに残り、心臓が早鐘のように打っている。大輝も膝をガクガクと震わせ、真っ青な顔で荒い息を吐いていた。
「……だ、大丈夫ですか?」
女子高生が、震える声で陽介たちに声をかけた。
OLの女性はへたり込み、女子大生は口元を押さえてすすり泣いている。
「あ、ああ……怪我は、ないか?」
陽介が掠れた声で問い返す。
「私たちは……大丈夫です……。でも、おじさんたちが……」
OLの女性が、蒼白な顔で絞り出すように言った。
「一昨日の夜……すっごい爆発音がして、モールの外にゾンビがいっぱい走って行ったんです……。それで昨日の昼間、警備員のおじさんたちが『もう外へ逃げて行ったから、今のうちに上の階から食料を取ってこよう』って、外の様子を見に出て……」
女子大生が涙を拭いながら言葉を継いだ。
「そしたら、通路の暗がりに……下半身が千切れて動けなくなってたゾンビが這いつくばってて……暗くて気づかなくて、おじさんの足首を噛まれたんです……。パニックになってここまで逃げ戻ってきて、昨日の夜からずっと高熱を出してうなされてて……今朝になって急に暴れ出して、もう一人のおじさんまで……」
「下半身のないゾンビか……」
蓮が冷や汗を拭いながら呟いた。一昨晩のパニックで扉に挟まれたりして足をもがれた個体が、暗闇の床に潜んでいたのだ。音が消えて油断した昨日の昼間に噛まれ、感染の潜伏期間を経て今朝発症したということか。
「あの……私たち、どうしたら……」
制服姿の女子高生が、すがるような目で陽介たちを見つめた。着の身着のままで逃げ込んできたらしく、唇は乾燥し、怯えきっている。
陽介は深く息を吐き、震える手を太ももで強く握りしめた。
自分たちだってただの学生で、足がすくむほど怖い。だが、目の前で震えている彼女たちをここに置いていく選択肢はなかった。
「ここにはもう居られない。……俺たちの拠点に来てください」
陽介ができる限り落ち着いたトーンを作って言った。
「向かいの住宅展示場です。車で塞いだ安全な入り口も、鍵のかかる部屋も、水も電気もあります。……立てますか? 一緒に行きましょう」




