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2/ハノンソル -1 目覚め

 ──がたがた、ごとん。


 あまり質の良くない揺れが、背中と腰とに痛みを蓄積させていく。

 にも関わらず、後頭部だけは不思議と心地よかった。

 ふにふにした感触のものが頭の下に敷かれているようだ。


「……ん、あ……」


 うっすらと目蓋を開く。


「──わ、わ! 起きた!」


 その瞬間、枕が唐突に失われた。


 ──どゴッ!


「だッ!?」


 後頭部が床に叩きつけられ、思わず悶絶する。


「ぐ、う、……ぐおおおおお……!」


 痛い。

 打ち付けた後頭部だけでなく、全身にくまなく痛みが走る。

 ふと、男性の声がした。


「……プルクト殿。今のはさすがに可哀想ではないか?」


「ご、ごごご、ごめんなさいー!」


 ぽ。

 後頭部にやんわりとした熱が灯り、徐々に痛みが引いていく。

 そこで、ようやく、現状を把握する余裕ができた。

 俺の後頭部を優しく撫でているのは、プルだ。

 そして、俺たちの正面で壁を背に預けて座っているのは、黒髪混じりの白髪を無造作にくくった老齢の男性だった。

 鎧の上からわかるほど鍛え上げられた肉体。

 皮膚を走る幾つもの傷痕が、彼が無数の死線をくぐり抜けた歴戦の勇士であることを物語っている。


「も、もう、痛くない……です?」


「ひとまず頭はな……」


 男性が笑ってみせる。


「ははは、災難だったのう。だが、プルクト殿の膝枕を満悦できる人間なんぞ、パレ・ハラドナどころか世界中を探したって一人もおるまい。今の照れ隠しも役得と相殺と思って、許してやってはくれんか」


「膝枕……」


 されていたのか。

 プルが頬をうっすらと染めながら、わたわたと口を開く。


「そ、その! 枕になるものがなかった、ので!」


「……まあ、その。ありがとう」


 干支の一回りどころではないほど年下の少女とは言え、膝枕となれば照れもある。


「それで、──づッ」


 上体を起こそうとすると、全身に鈍い痛みが走った。


「だ、だめ! 治癒術で塞いだ、ですけど、馴染むまでは傷が開きやすくて……」


 なるほど、随分痛めつけられたものな。

 こうして無事でいられるのは、プルのおかげというわけか。


「プルクト殿。また膝枕をして差し上げてはいかがかな。横になっていたほうが治りが早いだろう」


「う」


 プルが固まる。


「しなくていい、しなくていい。足も痺れるだろ」


 傷が痛まない姿勢を探し、なんとか左肘で頬杖を突く。


「カタナ殿は欲がないのう」


「俺には俺なりの距離感ってものがあるんだよ。それで──」


「ああ。中断していた自己紹介の続きと参ろうか。儂の名はルインライン=サディクル。ルインラインと呼び捨ててくれて構わん。五十九歳独身、絶賛恋人募集中。好みは年上の女性だ」


「年上……」


 還暦からの恋とは、また。


「そして、謝罪を。儂の不甲斐なさによって、プルクト殿やヘレジナのみならず、本来無関係であったカタナ殿までをも命の危険に晒した。これは許されることではない」


 ルインラインが深々と頭を下げる。


「あ、え、べつに謝らなくても。最後は助けてくれたんだし──」


「おお! なんと心の広いことか! では、失敗は次に活かすとして、この件は水に流そうではないか」


「──……はは」


 思わず苦笑が漏れる。


「ご、ご、ごめんなさい。こういうおじさん……」


「いいけどさ」


 これは、まさにヘレジナの師匠だ。


「次に、感謝を。カタナ殿の勇気と機転がなければ、儂らは今ここにいない。流転の森のどこかを今も彷徨っているか、あるいは夜を渡ってきた影の魔獣どもに殺されていたかもしれん」


「……ああ」


 勇気。

 そんなもの、俺にはない。


「勇気を持っていたのは、俺じゃない。俺はただ、後に引けなくなっただけだ。プルの熱に当てられてな」


「わ、わたし……?」


「ああ」


 心の底から、本音を口にする。


「カッコよかった。マジで」


「──…………」


 プルが、しばし呆然とする。

 そして、


「…………うへ」


 だらしなく上がる口角をむにむにと揉みしだきながら、なんとか笑顔を我慢しようとしているようだった。


「カタナ殿は損をする性格だのう。自らの功績は誇示すべきだと儂は思うがな」


「心底、自分のおかげだなんて思ってないんだよ。ヘレジナだって──」


 ふと、周囲を見渡す。

 ここは、十数畳はある木製の小屋に見えた。

 アーチ状の天井には梁が何本も巡らされており、素人目にも頑丈なつくりだとわかる。

 揺れているからには馬車か何かだと漠然と思っていたのだが、それにしては広すぎる気がしないでもない。


「……ヘレジナは? 泣かせちまったからな。さすがに寝覚めが悪い」


 ヘレジナの背負っていた巨大な荷物はあれど、肝心要の本人の姿がどこにも見当たらなかった。


「え、……と。かたな?」


「うん?」


「へ、ヘレジナが泣いてたこと、蒸し返さないほうが。ぜったい怒る……」


「……ああ」


 顔を真っ赤に染めながらこちらへ向けて銀琴を構えるさまが目に見えるようだった。


「ヘレジナは今、この騎竜車の御者をしている。話したければ、その戸を開こう」


 ルインラインが示した壁には、大人がギリギリくぐれる程度の小さな引き戸が設えられていた。


「キリュウシャ?」


 馬車の一種だろうか。

 聞いたことのない響きの言葉だ。


「ああ、そうか。カタナ殿は世界を跨いで来られたのだったな。騎竜車と言うのは、騎竜が引く馬車のようなものだ。馬はわかるかね?」


「ああ、それはわかる。馬車はこっちの世界にもあったから」


 ルインラインが頷いてみせる。


「影の魔獣を屠ったのち、儂らは近隣の村で宿を取った。翌朝、村の者から騎竜車を騎竜ごと買い上げ、ザイファス伯領西端の地竜窟を目指して一路邁進しているという次第だ」


「かたな、ぜんぜん起きなかった、……でっす」


 随分長く気を失っていたらしい。


「今、何時だ?」


 ルインラインが懐中時計を取り出し、こちらに文字盤を見せてくれる。

 四時、すこし前。

 午後四時だとすれば、二十時間近くも眠っていたことになる。

 なるほど、背中と腰が痛むわけだ。


「ありがとう。まあ、目が覚めた挨拶くらいはしといたほうがいいだろ。いくらか心配もかけたみたいだしな」


「では、儂が御者を代わろう」


 そう言って、ルインラインが立ち上がる。


「……る、ルインライン。その」


「どうかしたか、プルクト殿」


「道、はー……。その」


 ルインラインが呵々と笑った。


「なに、この先しばらくは一本道のはずだ。いくら方向音痴と言えど、分かれ道のない街道で迷うほど器用ではないぞ」


 引き戸を開く。

 すると、手綱を握り締めながら御者台に腰掛けていたヘレジナが、こちらを振り返った。


「──カタナ!」


 その表情が、ぱあっと明るくなる。


「ヘレジナ、交代だ。首都ハノンまで、しばし体を休めておけ」


「ですが、師匠……」


 ヘレジナが逡巡する。


「道ならば問題ない。このまま街道沿いを進めばいいのだろ?」


「それはそうなのですが」


「師匠の言葉が信じられんか」


「はい」


「はいと来たもんだ……」


「ご自分の胸に手を当てて考えてみては如何かと」


「わかった、わかった。では、戸を開け放しておくことにしよう。プルクト殿。カタナ殿。幾分か肌寒くなるが、我慢なされよ」


 ヘレジナとルインラインが御者を交代する際、騎竜の姿がちらりと見えた。

 ウロコで覆われた皮膚。

 頭頂部から生える二本のツノ。

 そして、小山と見紛うほどの巨躯。


「──…………」


 改めて実感する。

 ここは、俺の生きていた世界とは異なる異世界なのだ。

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