2/リィンヤン -4 ハィネスの神眼
「見ればわかる。お前は非力だ」
「……そうだな」
あのとき、俺を押さえつける旅人狩りの男に抵抗できていれば、結果は違っていたはずだ。
「まず、筋肉をぶっ壊す。ぶっ壊した筋肉は、繋ぎ直せば太くなる。クソほど痛いが治癒術は使うな。あれは筋肉の成長を阻害する」
いざ話し始めれば、ジグは饒舌だ。
「それと、見るからに無駄な動きが多い。歩き方に妙な癖があるな。歩きにくい靴を長く履いていなかったか?」
「……は?」
たしかに、長年革靴を履き続けてきた。
見ただけでそこまでわかるものか?
「体操術が使えず、動きがすっとろいのであれば、せめて動作を最適化しろ。以上の二つを完璧にこなせば、奇跡級中位にはなれる。もっとも、オレに勝てるかは別問題だがな」
「ああ、わかった」
「それと──」
ジグが、教会の備品がまとめられている場所へと向かい、紙に何事かを記す。
「カタナと、それからヘレジナと言ったな。今から一瞬だけ紙を見せる。なんと書いてあったか、読み上げてみせろ」
「……?」
意図がわからなかった。
「それは構わんが……」
ヘレジナが頷いた次の瞬間、ジグが紙の両端を持ち、
──バッ!
恐らくは体操術を用いた神速でもって、瞬く間にその紙を開いて閉じた。
「読めるかッ!」
ヘレジナの声が教会に響く。
「カタナはどうだ」
ジグの言葉に、首を横に振る。
「……そうか」
心なしか残念そうに、ジグが紙を丸めていく。
「いや、もっかい頼む」
「ああ」
ジグが紙を構える。
次は、本気で視る。
過集中によって周辺視野が黒く滲み、紙しか見えなくなっていく。
やがて、
視界が晴れ上がり、
時が流れを緩め始める。
ジグの一挙手一投足が手に取るようにわかる。
紙がゆっくりと開かれ、共用語で書かれた五つの文字が露わとなった。
知らない言語ではあるものの、文字自体は複雑ではない。
なんとか覚えたころ、ゆっくりと紙が閉じていった。
──時の流れが元に戻る。
「どうだ」
「なんか書くもの貸してくれ。俺、読み書きができないんだよ」
「ああ」
ジグから受け取った紙に、木炭鉛筆で、五つの記号を書き記していく。
ヤーエルヘルが、俺の手元を覗き込んだ。
「〈太陽〉、でしか?」
「これで太陽って意味なのか」
「──…………」
ジグが、自らの紙を開く。
ほぼ同じ文字列が、そこにあった。
ヘレジナが目を見張る。
「……カタナ。今のが見えたのか」
「まあ……」
奇跡級の剣術士、武術士は、俺と同じ世界を見ているのだと思っていた。
だが、どうやら違ったらしい。
「オレの一撃を見極め、回避した。あのタイミングで回避に転じるなど、凡百の奇跡級にできる所業じゃない。だから、あるいはと思っていた。お前の持つ眼力を、オレの流派ではこう呼ぶ」
ジグが、自分の目を指差す。
「〈ハィネスの神眼〉」
「ハィネスの、神眼……」
思わず目元に手をやる。
「それは、何?」
ネルの疑問に、ジグが答えた。
「見切りと呼ばれる技術の、一つの到達点だ。過度の集中によって、止まった時の中で自在に思考できると聞く。鍛錬によって会得しにくい、一種の才能だな」
「さすがに時が止まりはしないな。意識すれば時の流れがゆっくりに感じられるってだけだ」
「十分だろう……」
ヘレジナが、得心が行ったように頷く。
「ハィネスの神眼──聞いたことがある。そのときは御伽話としか思わなかったが、まさかカタナが神眼持ちとはな。道理で目が良いはずだ」
「むしろ、共に旅をして気付かなかったお前の眼力に問題があると思うがな」
「なんだと!」
「身のこなしでわかる。どうせ、体操術頼みの身体能力で、わけもわからず力押しの戦術しか取れないに決まっている」
「ぐぬぬぬぬ……」
ヘレジナが唸る。
反論できないのは、その言葉が、正鵠を射たものだからだろう。
かつて、ルインラインはヘレジナに言った。
自分の動きに意識が追いついていない──と。
「抗魔の首輪がなければお前など!」
「勝負にはなるだろう。だが、十戦すれば七戦はオレが取るだろうな」
「いいところを突きおってからに……!」
「こら、やめなさーい!」
ネルが、二人に割って入る。
「ジグ、強い人が来たからってはしゃぎ過ぎ!」
「──…………」
ジグが、ぷいと顔を背ける。
「ごめんねー。ジグったら戦闘狂で……」
「いや、そのくらいでいいんだ。鼻っ柱をぶち折ってくれる人が、俺には必要だったんだよ」
「可能な限り鍛えてやる。御前試合の前日に、オレと戦え。勝てば出場権を譲る」
「ああ、わかった」
ヤーエルヘルが、感心したように言った。
「ジグさん、戦うの、ほんとに好きなんでしね……」
「け、怪我だけは、しないでね。わ、わたし、治せない……」
プルの言葉に、ネルが胸を張る。
「だいじょーぶ。あたし、これでも師範級の治癒術士だから」
「ふふん。プルさまは、首輪さえなければ奇跡級の治癒術士である」
「おお、すごい!」
「褒め称えるがよいぞ」
「……ふへ、へ」
プルが、てれりと目を伏せる。
「首輪が外れたらコツを教えてね」
「う、うん。……わ、わかった!」
本当に気さくな人だ。
ラーイウラの国民性に絶望しかけていたところだから、ある種の感動すら覚える。
「じゃ、部屋へ案内するね。無駄に広い屋敷だから、好きなように使っていーよ」
「ありがとうございまし!」
俺は、きびすを返し、教会の出入口へと足を向けた。
「……? カタナ、どこへ行くのだ」
「ああ。騎竜車から荷物を取ってこようと思ってな」
「私も行こう」
「いや──」
今のヘレジナは非力だ。
そう言おうとして、慌てて口をつぐむ。
ヘレジナは、それをわかっていて、手伝うと言ってくれているのだから。
「……なら、いちばんでかいヘレジナの荷物は俺が背負うよ。他の細かいのは頼むわ」
「了解した」
教会を出て、騎竜車へ乗り込む。
太陽は沈みかけており、騎竜車の車内は薄暗かった。
「──ッく、らあッ!」
気合いで荷物を担ぎ上げる。
「ふふふ、重かろう」
ヘレジナが普段から背負っていた巨大な荷物は異様に重く、この小さな体躯に頼りきりだった己を恥じる。
だが、皆の人生は、この荷物より遥かに重い。
「ヘレジナ」
「なんだ?」
「──強くなろうな」
ヘレジナが、不敵に微笑んだ。
「当然だ。私はここで、奇跡級上位の壁を越える」
一ヶ月。
長いようで短い期間だ。
ジグに師事し、可能な限り強くなってやる。
俺は、元の世界より遙かに巨大な月を見上げ、そう誓うのだった。




