4/ジランブ・モア -6 あの時間は、もう
ムードメーカーであるマナナがいるだけで、騎竜車内はぐっと華やぐ。
俺は、前回とは似て非なる旅路を楽しんでいた。
プルがマナナに治癒術を教えたり、
以前と変わらず就寝前に朗読会を開いたり、
四人のうちの誰かと二人きりで秘密の話をすることもあった。
そして、前の周と同じ夏の後節十四日、俺たちはようやくハウルマンバレー円卓国へと入国を果たしたのだった。
「あ゛ー……」
前回とは異なる宿を取り、ふかふかのベッドに倒れ込む。
国境検問所は相も変わらず混んでおり、入国だけで八時間も待たされた。
早めに検問所へ向かえば早めに通れると踏んでいたのだが、見通しが甘かったようだ。
解放されたのは、結局、以前と変わらない夕刻だった。
だからと言って遅めに行けば、そのぶん遅くなったんだろうな。
理不尽である。
「──…………」
今日の宿は、珍しく個室だ。
大部屋が空いていなかったので、三部屋に分かれて宿泊する運びとなった。
隣がプルとマナナの部屋、その隣がヘレジナとヤーエルヘルの部屋となっている。
遊びに行きたい気持ちもあるが、御者台で八時間もうだうだしていたことだし、さっさと寝てしまいたい気分でもあった。
「……風呂でも入るか」
ここは浴室付きの個室だ。
個室に一人で宿泊する経験はあっても、一人用の浴室を利用したことはなかった。
安宿であれば浴室は男女分かれて二つあればいいほうだし、ハノンソル・ホテルやアンパニエ・ホテルのような高級な宿であれば、大部屋に豪奢な浴室がついてくる。
これまで、中間を取ることがあまりなかったのだ。
「さて、どんなもんかなーっと」
浴室を覗き込む。
壁と一体化しているタイル張りの浴槽と、鏡が設置してある狭い洗い場。
タイルは古び、一部変色しているが、掃除自体は行き届いているように見えた。
浴槽の壁には半輝石が埋め込まれており、魔力を送り込めば水かお湯が出てくるのだろう。
そう、魔力を送り込めば。
「──…………」
俺は、がくんと肩を落とした。
仕方ない。
自室を出て、隣室の扉を叩く。
「はーい?」
薄く開いた扉から顔を覗かせたのは、マナナだった。
「お願いがあるのですが……」
「え、なんだいなんだい。部屋入るかい? 今、プルがお風呂入ってるけど」
「いや、むしろ来てくれ……」
「……?」
マナナが首をかしげる。
「風呂の水が出ないんですわ」
「あ!」
得心が行ったように、マナナが大きく頷く。
「カタナ、魔力ないんだもんね。忘れてた忘れてた」
カラッと笑い飛ばすのがマナナらしい。
「お願いできますかね」
「もっちろん! 沸騰術で適温にもしちゃるよ」
「ありがてえ、ありがてえ……」
マナナを連れて自室へ戻り、浴室の扉を開く。
「悪いけど頼む」
「ぜんぜん悪くないっての。むしろ、こういうのは遠慮したら駄目だよ。うちらにとっては当たり前のことだし、魔力だって大して使わないんだから」
「そっか。なら、遠慮なく」
マナナが浴室へ入った直後、水が勢いよく流れ出す音が聞こえてきた。
マナナと二人きりは、案外珍しい。
ふと、聞きたかったことを思い出した。
「──そう言えば、さ」
「んー?」
「マナナは、怖くないのか? 誘っておいて今更だけど、ハッキリ言って、とんでもなく危険な旅路だぞ。本当は最初に確認すべきことだった。マナナに甘えて、なあなあで来ちまったけど、そこらへん知っておきたくてな」
「あー……」
すこしの沈黙ののち、マナナが答えた。
「そらね、怖いよ。でも、想像が追いついてないから平気な部分もあるかな」
「だよな……」
マナナかバルマを連れて行く。
これは、どこまでも俺たちの都合だ。
悪し様に言えば、俺が天眼一閃を複数回使えるようにするための道具として、彼女を巻き込んだことになる。
その事実は、ずっと胸に引っ掛かっていた。
「でもさ。それ以上に怖いことがあんのさ」
「それ以上に?」
「──…………」
僅かな沈黙のあと、マナナが口を開いた。
「うちの両親、早逝したんだ。診療所にいなかったし、気付いてるとは思うけどさ」
「……ああ」
マナナは、まだ三十歳を迎えてもいない。
にも関わらず、それなりの規模の診療所を一人で切り盛りし、家族がいる様子もない。
尋ねることこそしなかったが、そこに事情があることは感づいていた。
「あれは、もう何年前かな。十三年とか、十四年とか。うちが十五歳のときだったと思う。あるとき、本島へ家族旅行に行こうってことになったんだ。でも、ほら。ワンテール島って、新月のときにしか定期船来ないだろ。最短でも一ヶ月の旅行になる。当時、かるーい反抗期だったこともあって、うちだけは家に残ったんだ」
水音が、止まる。
「自分だけの城だー、なんつって、自由を謳歌したっけな。たまに来る怪我人には消毒して包帯だけ巻いてやってさ。当時はまだ、治癒術は独学だったから、徒弟級第五位にもなってなかった」
「──…………」
「でも、翌月の新月の日、父さんも母さんも帰ってこなかった。心配しながらもう一ヶ月待って、帰ってきたのは二人分の骨だったよ。本島で魔獣に襲われたんだってさ。治癒術士だった父さんが先に狙われたから、どうしようもなかったんだ」
「……そう、か」
マナナの声音は淡々としていて、既に乗り越えている様子が窺えた。
そんな彼女に、俺は、どんな言葉を投げ掛ければいいのだろう。
わからなかった。
「それから、うちは、診療所を継ぐために本島に渡って、治癒術を学んだ。あんまり才能はなかったけどね。だから、さ。自分の知らないところで、自分の好きな人たちが傷つくのが、怖いんだ。怖くて仕方ない。傷つくのなら、目の前で傷ついてほしいよ。そしたら、治癒術をかけられるだろ?」
それが、マナナの理由か。
「すこし、わかるよ。自分の好きな人たちには、安全なところか、俺の傍にいてほしい」
「うんうん、そういうことさ。それに、もう一つ理由があるんだ」
「もう一つ?」
「ああ」
一拍置き、マナナが尋ねた。
「──ナナイロの最期の言葉、覚えてるかい?」
覚えている。
本当に、すべて、鮮明に。
「ナナイロは言ってた。ワンダラスト・テイルのみんなと冒険したかった。おれが放浪していたのは、カタナ兄たちと旅がしたかったからだ──って」
「……ああ、覚えてる」
記憶と共に、当時の感情も蘇る。
胸が苦しかった。
「ナナイロの代わりに──って言っちまうと、すこし傲慢かもね。でも、うちも世界が見てみたくなった。ナナイロがしたかったことを、してみたくなった。でも、ほんとは何も言わないつもりだったんだ。バルマがいるとは言え、うちは、島の人たちのことも大切だから。でも、カタナが誘ってくれたから、なんとか踏ん切りがついたんだ。カタナのおかげで、ワンダラスト・テイルの一員になれた。一緒に旅をすることができた。だからね」
マナナが、浴室から、ひょいと顔を出した。
彼女は微笑んでいた。
「自分の都合でうちを危険に晒してる──なんて、思わなくていいんだぜ」
「──っ」
俺は、思わず目を見開いていた。
「あ、やっぱり。そんなこと考えてる気、したんだよねえ」
「……すごいな、マナナは」
掛け値なしに、すごい。
「主神級の剣術士に言われると、なんだか光栄だね」
「本気でそう思ってる。前回も、マナナがいれば、何かが大きく変わってたかもしれないな……」
「前回、か」
マナナの表情が暗くなる。
「……カタナこそ、平気かい? 不自然な記憶、持て余したりしてないかい?」
「──…………」
正直に答えるべきだと思った。
「……俺の知ってることを、みんなは知らない。すこし寂しく感じることは、正直あるよ」
「そう、だよね。あんたにとってみれば、自分以外の全員が記憶喪失になったようなもんだ」
「でも、それはいいんだ。つらい記憶でもある。ヘレジナはルインラインに致命傷を負わされ、プルはハルユラに連行されて、恐らく幽閉されていただろう。ヤーエルヘルはヘレジナの件がショックで眠りについてしまった。覚えてないのなら、そのほうがいい」
「……でも、それだけじゃないだろ?」
息を呑み、苦笑する。
「お見通し、だな」
そうだ。
俺は、つらかった。
ヤーエルヘルが、人恋しさに、俺のベッドに入ってきたこと。
ヘレジナの頭を撫でてやりながら、彼女の生い立ちを聞いたこと。
プルが、俺が誰と寝るかを順番制にすると言い出したこと。
すべて、なくなった。
すべて、忘れ去られた。
旅路は楽しい。
皆でいるとき、俺は、心の底から笑えている。
だが、一人になったとき、ふと寂しさに追いつかれる。
あの時間は、もう、なくなった。
あのプルは、あのヘレジナは、あのヤーエルヘルは、もう、どこにもいないのだと。
「──…………」
マナナが、俺の頭にそっと手を乗せた。
髪の毛の流れに沿って、手櫛で梳くように撫でていく。
「……マナナ」
「ホントは抱き締めてあげたいとこなんだけどね。でも、カタナのことが本当に好きな子たちは、他にいるから。うちは、このくらいにしておくよ」
苦笑し、その手を受け入れる。
「……十分過ぎるさ」
しばらく無言でマナナの手を感じ続ける。
数分ほど経ったころ、部屋の扉が遠慮がちにノックされた。
「か、……かたなー? マナナ、し、知らない……?」
「ああ、ここにいるよ」
マナナが俺の頭から手を離す。
それが、すこしだけ名残惜しかった。
部屋の扉を薄く開き、プルが顔を覗かせる。
「カタナの部屋のお風呂、入れてたんだよ。魔力ないからね」
「あ! た、たしかに……」
「サンキュー、マナナ。助かったわ」
「気にすんない。これからも、何かあったら遠慮するんじゃないよ」
「そんときは、また頼むな」
「あいよ。じゃ、うちも風呂入るかなー」
「せっかくマナナが入れてくれたんだし、俺も入ってさっさと寝るかな。いや、その前に、さすらいのマッサージ師がやってくるかもな……」
「や、ヤーエルヘル、はりきってる、……かも」
マナナとプルを見送り、俺は、沸騰術で適温に調整された風呂に浸かった。
すこぶる気持ちがいい。
同時に、すこしだけ心が晴れた気がする。
マナナは、すごいな。
彼女が来てくれてよかったと、素直に思った。
これから先、過酷が、危険が、俺たちを苛むだろう。
だが、彼女たちは絶対に守り切る。
そう、改めて誓うのだった。




