断章/ネル=エル=ラライエ -終 三周目の選択
カタナがラライエの妄執を断ち、あたしたちは王の間を後にする。
長い廊下を歩いていると、ふと、カタナが来た道を振り返った。
「──そうだ。ネルのリボン、落としたままだった。みんな、先行っててくれ。すぐ取ってくる」
あんなことがあったばかりだ。
ヤーエルヘルを背負ったヘレジナが、心配そうに問う。
「……危なくはないか?」
「危ないものは、さっき排除したろ」
「それは、まあ、その通りであるな」
「じゃ、行ってくるわ」
カタナがきびすを返し、最上拝謁の間へと駆け戻っていく。
「──…………」
今だ、と思った。
あたしには、カタナと二人きりで伝えたいことがあったから。
「……あー、その。あたし、カタナのこと見てくるね」
ヴェゼルが不思議そうに言う。
「そんなの、わざわざ国王がすることじゃないでしょ」
「う」
そうなんだよね。
もし、さらなる危険があったとしても、あたしでは足手まといになるだけだ。
どう言い訳しようか困っていると、アーラーヤがヴェゼルの頭に手刀を落とした。
「たっ!」
「行かせてやれよ、小娘様。そら、いろいろあるだろうさ」
「べつに止めてないだろ!」
プルも、ヘレジナも、あたしを見て小さく頷いてくれる。
察されていたらしい。
「さっさと行って、さっさと戻ってこい」
そう言って、ジグがあたしの背中を押す。
「──うん!」
駆け出す。
あの人の元へ。
王の間を抜け、開け放されたままの真紅の大扉をくぐると、カタナがあたしのリボンを拾い上げるところだった。
「……あー」
リボンはもうボロボロで、あたしの血やらサザスラーヤの血潮やらで元の色すらわからなくなっている。
「ネル、怒るかな」
独り言に、答える。
「──あはは、怒らないって」
カタナが振り返った。
「ネル」
「やっぱり、すこし心配でね。大丈夫なのはわかってるんだけど……」
嘘だった。
でも、それらしい理由が思いつかなかったから、仕方ない。
「──…………」
ヤーエルヘルの魔術が削り取った、半球状の大穴。
その縁に、あたしはそっと腰掛けた。
「すこし、話していいかな」
ぽんぽん、と、隣を叩いてみせる。
「ああ」
カタナが、あたしの隣に腰掛けた。
「──…………」
伝えたいことが多すぎて、届けたい想いが大きすぎて、あたしの心はぐちゃぐちゃだ。
平静を装えているのかすら、自分ではわからない。
だから、感情の赴くままに話そうと、決めた。
「ママとパパ、死んでた」
「……そうだな」
「あたし、ずっと自分を誤魔化してた。ママとパパは忙しいんだ、とか。王城は危ないんだ、とか。手紙を出せない事情があるんだ、とか。滑稽だよね。とっくに死んでたのに」
心の置き所が難しい。
だって、ママとパパは、さっきいきなり死んだわけじゃない。
ずっと前から死んでいて、あたしはそれをようやく知っただけ。
弔うには遅い気がするのに、あたしの悲しみは新鮮で、どう感じていいのかわからない。
でも、確かなことがある。
あたしは、カタナの肩に、そっと頭を預けた。
「……つらい」
「ああ」
「つらいよ、カタナ」
「……ああ」
カタナが、そっと、あたしの頭を撫でてくれる。
優しい手つきだ。
プルやヤーエルヘルの頭も、こうして撫でてあげているのかな。
もしかすると、ヘレジナもねだっているのかも。
そう思ってしまうくらい、心地よかった。
ずるいな、あの三人は。
ずるいよ。
だから、
「……すごく、ずるいこと、言っていいかな」
「言ってくれ。ちゃんと聞くから」
「うん」
涙で濡れた瞳で、カタナの顔を見上げる。
治してもらったばかりの心臓が、苦しいくらいに早鐘を打っていた。
「……あたしのこと、可哀想だって。すこしでも、好きだって。プルやヘレジナ、ヤーエルヘルほどでなくたっていい。それでも、好きだって思ってくれているんなら」
続きを言い掛けて、何度も止める。
緊張で手が震える。
でも、最後には、ちゃんと言えた。
「……あたしと、一緒にいて。ラーイウラで、ここで、一緒に暮らそうよ。あたし、頑張るから。ここが住みよい国になるよう、頑張るから」
涙が溢れる。
自分の心を正直に告げるのには、なんて勇気がいるのだろう。
きっと、あたしは拒絶される。
でも、言わずにはいられなかった。
あたしは、カタナのことが、一人の男性として好きだから。
カタナがみんなのために頑張る姿を、ずっと傍で見ていた。
ジグに裏切られて傷ついているあたしを、カタナは支えてくれた。
あたしをママに会わせるために、御前試合で優勝してくれた。
そして、あたしの命を、泣きながら必死に救ってくれた。
好きにならないわけ、ないよ。
わかってる。
カタナは、あの三人を選ぶ。
わかってる。
カタナは、あたしを置いていく。
わかってる。
それでも。
それでも、伝えたかった。
伝えなければ、一生後悔すると思ったから。
「──…………」
カタナが、苦しげに目を伏せる。
すこしでも、揺れてくれているのかな。
すこしでも、あたしとの未来を想像してくれたかな。
すこしでも、あたしのことを、好きだと思ってくれているのかな。
長い、長い沈黙のあと、カタナが振り絞るように言った。
「……ごめん」
「──…………」
うん。
そう、だよね。
当たり前だよね。
「……そっか」
わかってたもん。
こうなるって、わかってた。
だから悲しくない。
わかってたんだから。
あたしは、なんとか笑顔を作った。
「あ、あははー。なーんて、冗談、冗談。カタナは元の世界へ帰るんだもんね。あたしなんかでも、カタナを誘惑できるか試しただけだよ」
自分が何を言っているのかも、よくわからなかった。
ただ、誤魔化したくて。
自分の告白をなかったことにしたくて。
口が勝手に動いただけ。
あたしは、カタナから、そっと体を離した。
「ありがとう、もう悔いは──」
──カタナが、あたしを抱き締めた。
「え──」
頭が真っ白になる。
「好きだよ。好きだ。でも、これがどんな好きか、わからない」
強く、強く、抱き締められる。
痛いくらいに。
熱いくらいに。
でも、それが嬉しかった。
「一緒にいたかった。ラーイウラで幸せに暮らしたかった。でも、選べなかった」
カタナが、喉を鳴らす。
何かを逡巡するかのように。
苦しげに。
申し訳なさそうに。
その言葉を、あたしに告げた。
「──家族が、いるから」
ああ──
だから、言うかどうか迷っていたんだ。
ママとパパが死んでいたことを知ったばかりのあたしには、酷な理由だから。
元の世界に帰れば、カタナには御両親がいる。
妹さんがいる。
同時に気が付いた。
カタナって、あたしが思っていたよりずっと、あたしのことを好きでいてくれたんだな。
あの三人と、迷わせるくらいに。
「……う、あ、……ああ、……ああああ」
あたしは、カタナの体を掻き抱いた。
嬉しかった。
悲しかった。
悔しかった。
すべての感情が、ぐちゃぐちゃだった。
「ばかあ……! なんで、最初に、ラーイウラに出てこなかったのさあ! ……なんで、なんで最初に、あたしと出会わなかったのさ! そしたら、きっと、もっと惚れさせてみせたのにい! ばか、ばか、ばか! ばかかたなあ……!」
「……うん」
「こっち、王だぞ! 王さまだぞ! 王さまの言うことは絶対なんだぞお……!」
「うん」
「ばかあ……ッ!」
カタナを抱き締めながら、思うさま罵倒する。
ああ、もう。
大好きだ。
大好きなのに、一緒には行けないのだ。
カタナも、あたしも、きっと同じだ。
カタナは、あの三人とあたしを天秤にかけた。
あたしは、カタナたちとラーイウラ王国を天秤にかけた。
そして、互いにすれ違った。
ただ、それだけ。
エル=タナエル。
もしもの世界は、あるのでしょうか。
あるとすれば、あたしとカタナが結ばれた世界も、どこかには存在しているのでしょうか。
もし、存在しているのなら、ほんのすこしでいいのです。
その二人に、女神の祝福をお与えください。
このあたしと、このカタナは、すれ違ってしまったけれど。
幸福な二人がどこかの世界にいるのなら、きっと、この悲しみにも耐えられると思うから。
──カタナ。
あたしの、大好きな人。
立派な王さまになって後悔させてやるから、覚悟しておくんだぞ。




