断章/プルクト=エル=ハラドナ -2 君が眩しく見えたから
地竜窟。
カタナが、はだかのわたしを抱いて走り続けた。
わたしを、ルインラインから、助けるために。
そして辿り着いたのは、ボロボロの赤絨毯が敷かれた大広間だった。
「──はッ、は、はあッ……!」
かたながわたしを下ろし、スーツの上着を羽織らせてくれる。
「ど、どうして……」
どうして。
「どうして、わ、わたしを、助けた……ですか」
本当に、わからなかった。
だって、ルインラインに敵うわけがない。
[羅針盤]があったとしても、こんなの自殺と変わらない。
「本気で聞いてるんなら、げんこつだぞ」
かたなが、冗談めかしてこぶしを振り上げる。
「ふぎゃ……」
そして、切れた息を整えながら、言った。
「……楽しかった。俺は、この旅路が楽しかったんだ。いつまでも、どこまでだって行きたかった。プルと、ヘレジナと、──まあ、ルインラインも」
「──…………」
そう、だったんだ。
「プルは、楽しくなかったか?」
そんなの、決まってる。
たいへんなことばかりで、血生臭くて、足にまめだってできたけど。
わたしは、これまでの人生で、いちばん生きていた。
いちばん、満たされていた。
いちばん──
「……たの、し、……かった」
あなたが。
かたなが、いたから。
「そうか」
かたなが、優しく微笑んだ。
「──俺、な」
かたなの手が、わたしの頭に乗せられる。
かたなの体温が伝わってくる。
その感覚が、わたしは大好きだった。
でも、続く言葉は、あまりに衝撃的で。
「死のうと思ってたんだ」
「え……」
「具体的に自殺の手段を考えてたわけじゃない。ただ、漠然と死にたかった。ある日いきなり空から隕石が降ってきて、地球ごと滅べばいいってずっと思ってた」
わたしは、呆然とした。
どうして。
こんなにかっこよくて、優しくて、がんばり屋な人が、どうして死ななければならないのだろう。
「そんなとき、川で溺れてる女の子を見つけたんだ。川は、前日までの豪雨で増水してて、土色の濁流になってた。女の子は、何かの取っ掛かりに捕まって、必死に助けを求めていた。そんな可哀想な子供を見て、俺は思った」
「なん、……て?」
「──ああ、死ぬ言い訳を見つけた、ってな」
思わず目を伏せる。
優しく微笑みながら悲しい告白をするかたなの顔を、見ていられなかった。
「知ってるか。服を着て川に飛び込んだら、まず間違いなく溺れるんだぞ。どんなに泳ぎが上手な人だって、服を着たまま泳ぐことは難しい。そんなことは知っていた。知っていて、俺は、スーツのまま川へ飛び込んだ」
「──…………」
「女の子を、なんとか助けて。川岸へ運んで。これが最期の善行だと思った。野次馬たちが差し伸べてくれた手を振り払って、俺は、そのまま力を抜いた。それからは、プルの知ってる通りだよ。な、カッコ悪いだろ?」
「そんなこと……!」
そんなこと、ない。
絶対にない。
でも、わたしの心は、気持ちは、かたなには伝わらなかった。
「カッコ悪いんだよ、俺は。あの子を助けることはできたかもしれない。でも、それは、死ぬための言い訳だ。自分の葬式で、いい人だったね──なんて一言が欲しかっただけなんだ。助けるのなら、死ぬべきじゃなかった。死ぬのなら、一人孤独に死ぬべきだった。俺は、あの女の子に、一生の負い目を作ったんだから」
「……あ、……うう……」
わたしの口から、言葉にならない言葉が漏れる。
否定できなかった。
否定したいのに。
かっこよかったって、言いたいのに。
でも、かたなの言うこともわかってしまうから。
「──でも、お前は違う。お前は立ち向かった。ヘレジナを助けるために。最期は、この地竜窟で贄になるつもりだったのかもしれない。でも、あのときは、そんなこと頭から抜けてたはずだ。あそこで死ねば、贄になることすらできなかったんだから」
かたなが目を閉じる。
「腰の引けた俺を責めるでもなく、ただ、自分の力でヘレジナを助けようと前を向いた。それが、俺には、たまらなく眩しく見えたんだ」
「──…………」
かたなは、あのとき、そんなことを思っていたんだ。
わたしは、そんな立派な人間じゃない。
でも──
ヘレジナを助けるために立ち上がったとき、わたしは、地竜窟で贄になることも、パレ・ハラドナのことも、頭から抜け落ちていた。
ヘレジナに生きていてほしい。
ただ、それだけを、考えていたように思う。
かたなが、わたしの両肩に手を置いた。
「頼む、生きてくれ。一言でいい。生きたいんだって言ってくれ。そうしたら、俺は」
わたしには、かたなが泣きそうに見えた。
ああ、
この人は、
なんてあたたかいんだろう。
どうして、そのあたたかさを、わたしなんかに向けてくれるのだろう。
「──お前を、きっと、助けてみせるから」
その言葉を聞いた瞬間、我慢できなくなった。
わたしの両目から涙が溢れるのがわかった。
「あ、……ああ、……ああああああ……」
わたしは、かたなの胸に飛び込んだ。
必死にすがりついた。
離れたくなかった。
本音が口から溢れ出す。
誰にも、ヘレジナにすら打ち明けられなかった、わたしの本当の気持ちが。
「こ、……こわ、がった……! いやだった……! 死にたくなかった……! い、……生き、……生きて、いたいよう……!」
「……そっか」
かたなが、わたしを抱き締める。
そして、背中をそっと撫でてくれた。
あたたかくて、心地よくて、ずっとこうしていたいと思った。
でも、それは許されない。
「あのわからず屋を、説得するだけだ」
かたなが、そう呟いた瞬間、
──どさっ。
重い小麦の袋を落とすような音がして、わたしとかたなはそちらを振り向いた。
「わからず屋とは、儂のことかね」
ルインラインがいた。
わたしの死が、そこにいた。
「プル、明かりを頼む」
「は、はい……!」
灯術の明かりを、大広間の天井に浮かべる。
すると、見えた。
ルインラインが投げ落としたものが、いったいなんだったのか。
「ヘレジナ……ッ!?」
ルインラインの足元に倒れていたのは、血まみれのヘレジナだった。
そんな。
やめて。
わたしの大切な人たちを、傷つけないで。
わたしなら我慢するから。
我慢して、死ぬから。
「なあ、プルクト殿。贄となる前に、ヘレジナの傷を塞いでやってくれんか。血を流し過ぎた。このままだと、死んでしまうかもしれんのでな」
「……ッ!」
わたしは、ヘレジナの元へと駆け出した。
そして、無数の傷の一つ一つに治癒術をかけていく。
「ありがとう」
ルインラインの言葉を無視し、集中する。
血が足りないのは、わたしの腕でもなんとかなる。
問題は、傷の多さ。
臓器さえ大きく損傷していなければ、問題はない。
でも、すべての傷が臓器に達していれば、後遺症が残る可能性があった。
治癒術を施していくにつれ、気付く。
十や二十では利かない傷のすべてが、浅いのだ。
ルインラインの言うことは正しかった。
ヘレジナは、ただ、血を流し過ぎたから死の危険があっただけだ。
傷は、一つたりとも致命には届かない。
神業だった。
同時に、ルインラインにヘレジナを殺す気がなかったことを理解する。
やはり、ルインラインは優しい人だ。
ただ、敬虔過ぎるだけ。




