断章/プルクト=エル=ハラドナ -1 神託
ハノンソル・カジノでの大勝負のあと、わたしとかたな、それからナクルの三人は、十三階の息吹の間へと案内された。
わたしがお風呂から上がると、ナクルはもう、ベッドで寝息を立てていた。
灯術の街ハノンソルの夜景を、かたなと二人で眺める。
不思議と心地よく、なんだかどきどきしてしまう。
かたな。
何度もわたしを助けてくれた、最高のお友達。
わたしの命は地竜窟で尽きてしまうけど、彼に報いたかった。
きっと、元の世界に帰りたいだろう。
わたしが贄になったあとのこと、ルインラインにしっかり頼んでおかないとな。
「──…………」
「──……」
わたしは、かたなに聞きたいことがあった。
この心地よい無言の時間が終わってしまうのは寂しいけれど、切り出すべきだ。
「……その。かたな?」
「ああ」
「かたなには、……その。な、何が見えてるの……?」
あの大勝負は、明らかにおかしかった。
かたなには、カップが透けて見えている。
そうとでも考えなければ、とても納得の行く展開ではなかった。
助かったのは事実だけど、それはそれとして、かたなが見えているものが気に掛かった。
「……べつに、隠してたわけでもないんだがな。言う機会がとんとなかった。悪い」
「あ、その。えっと、……うん」
「──俺には、時折、選択肢が見えることがあってな。この世界に来てからのことだ。さっきの勝負であれば、ニーゼロを選ぶか、イチイチを選ぶか、ゼロニーを選ぶか、三つの選択肢が要所で表示されていた」
「せんたくし……」
不思議な力だ。
「選択肢は色分けされていて、その選択をした場合の未来が大まかにわかるようになってる。青は好転、白は現状維持、黄色は注意で赤は危険──ってな具合にな」
「す、すごい……ね?」
「ああ、すごい」
わたしは、思わず目を見開いていた。
限定的とは言え、未来がわかる。
それは、わたしが失ってしまった神託に、とてもよく似ていた。
自嘲と共に口を開く。
「……か、かたなは、エル=タナエルの寵愛を受け、て、るんだね……」
「運命の女神、エル=タナエルか」
かたなが、窓の外の月を見上げた。
「う、うん。銀輪教の主神……。こ、この世界を、お創りになったの。で、でも、わたしはダメみたい。皇巫女なのに、……エル=タナエルに嫌われちゃった」
「……どういうことだ?」
「──…………」
わたしは、そっと立ち上がった。
そして、窓ガラスに手を触れる。
「神託は、ある日突然に下る、……の。エル=タナエルが、わ、わたしの体を操って、どうにかして言葉を残す。そのあいだ、わたしに記憶はなくて。だ、だから、ひとがいればそのひとに伝えるし、誰もいなければ書き残す……みたい。あんまり覚えてないけど……」
こんなふうに、と、わたしは窓ガラスに吐息を吹き掛け、曇った場所に猫の絵を描いた。
「か、かたな、覚えてるかな。わたしに下賜された神託の一つに、ぜ、前皇帝の崩御があった──って」
「ああ。ヘレジナが言ってたな」
「──…………」
夜景に背を向け、かたなを振り返る。
思い出す。
お爺さまの、優しい笑顔を。
「パレ・ハラドナの前皇帝、は……。わたしのお爺さま、だったの」
「……それは」
かたなが言葉に詰まるのがわかった。
そして、悲しそうな顔をする。
本当に優しい人だ。
「……わたし、お爺さまが好きだった。お城の中は、……その。ぎすぎすしてて、居心地が悪くて。で、でも、お爺さまといるときだけは、そんなことちっとも気にならなかった。だから、神託が下ったとき、決めたんだ。未来を覆そう、って」
思い出す。
必死にお爺さまを死から遠ざけようとした、あの日々を。
「こ、子供なりに頑張った、の。いろんなこと、した。死因はわからなかったから、お爺さまを危険から遠ざけた。暗殺が怖いから、なるべく部屋で過ごした。ど、毒殺も怖かったから、わたしが毒味をした」
「──…………」
「お爺さまは、自分の死をとうに受け入れてたけど……。でも、わたしのわがままに、ずっと付き合ってくれたんだ」
そんなわたしのことを、ユラはひどく冷たい目で見ていたっけ。
きっと、ユラにはわかっていたんだ。
わたしの行為が徒労に終わることを。
神託が絶対であることを。
「……神託で決められた日、お爺さまは倒れた。心臓の発作だったって、あとから聞いた。病気知らずだったのに。だから、思った。思ってしまったの……」
自嘲の笑みを浮かべる。
わたしは、無力だ。
「わたしが神託なんて授からなければ、お爺さまは死ななくて済んだんじゃないか──って」
変えられない悲しい未来を識ったところで、それが何になるだろう。
「……きっと、ね。わたし、エル=タナエルに愛想をつかされてしまったんだあ。それから三年間、神託は、一度も下らなかった。そのせいでパレ・ハラドナの権威は失墜し始めてる。神託を授かれない皇巫女に、価値はないもんね……」
「……そうか」
わかってる。
本当は、わかってるんだ。
この神託は偽物だ。
わたしは、ただ、いたずらに命を捨てようとしている。
でも──
「三年ぶりの神託を、外れましたの一言で片付けるわけにはいかない。絶対に的中するってわかってても、手をこまねいてはいられない。頼ってばかりで、ごめん。何も返せなくて、ごめんね。わたしにできることなら、なんだってする。だから──」
わたしは、かたなの顔に自分の顔を近付けた。
顔から火が出そうなくらい恥ずかしかったけど、そうした。
「かたな。地竜窟まで、わたしたちを導いてほしい」
ずるいお願いだ。
かたなは、きっと、わたしの頼み事を引き受けてくれる。
それをわかっていて、頼むのだ。
かたなが後悔することもわかっていて、それでも頼むのだ。
でも。
それでも。
かたなの力を借りれば、確実に、期限内に地竜窟へと辿り着くことができるだろう。
「──…………」
かたなが立ち上がり、わたしの頭に手を乗せる。
「!」
どきりとした。
かたなは、大人のお兄さんなんだ。
それが、わかったから。
「プルは、嫌われてなんかないさ」
「……?」
「神さまの世界のことはわからんが、どんなシステムだって不具合を起こす。だから、多くの場合、不具合が起きた場合の対策が講じられている」
「え、と……」
かたなの言っていることは、難しくてよくわからなかった。
「その対策が、恐らく俺なんだろうさ。神託を下賜するシステムがエラーを吐いてるから、半端に未来がわかる俺が現れた。それは、プルの力になるためだ。そうでなきゃ、あんな場所にいきなり現れたりはしないだろ」
でも、わかることが一つだけあった。
「な、慰めてくれてる、……の?」
「……下手で悪かったな」
かたなが、照れたように目を逸らす。
かわいい。
「……ふへ、へ」
わたしは、頭に触れたかたなの手を、そっと取った。
男の人の手を握るのは、かたなが初めてだ。
これまでの旅路で何度か握る機会があったけど、そのたびにどきどきしていた。
「そろそろ寝るか。ほら、空が白み始めてる。ルインラインたちがいつ来るかもわからないしな」
「う、うん……」
本当は、もっと、かたなと話していたかった。
わたしに残された時間は、とても少ない。
眠気なんて、来なければいいのに。
ずっと、ずっと、かたなとお話しできたらいいのに。
でも、それは、叶わぬ願いだった。
わたしは、自分の寝室へ向かいながら、一度だけ振り返った。
「おやすみ、かたな」
「ああ、おやすみ。プル」
かたなに挨拶をして、寝室の扉を閉じる。
その瞬間、不安が、恐怖が、わたしに襲い掛かってきた。
思わずその場にしゃがみ込む。
涙が、次から次へと溢れ出た。
死にたくない。
死にたくない。
死にたくない。
逃げられたらいいのに。
かたなの故郷で、おこめを作って暮らせたら、どんなにいいだろう。
そこでは、わたしは、かたなのお嫁さんなのだ。
でも、ヘレジナが寂しい想いをしちゃうかな。
ヘレジナもかたなのことが大好きだから、二人でかたなのお嫁さんになって、三人で暮らせたらいいな。
ずっと、ずっと。
そんな、夢のような幸福を考える。
あり得ない未来を、願う。
そうすると、すこしだけ心が落ち着いた。
「──…………」
のそりと立ち上がり、ベッドへと倒れ込む。
寝よう。
眠ってしまえば、不安に駆られなくて済む。
機会も残り少ないのだから、せめて幸せな夢が見たい。
わたしの考える、最高の未来の夢を──




