断章/ヘレジナ=エーデルマン -終 光の花園
「な、──や、やめて……っ!」
理性ではなく、感覚で理解してしまう。
影の魔獣は、私に成り代わろうとしている。
私自身になってしまえば、もう、光も影も必要なくなるだろう。
私は必死に抵抗した。
やめてくれ。
私に、プルさまたちを殺させないでくれ。
私の命でいいなら、いくらだってくれてやる。
だから、それだけは──
情けない叫び声を上げそうになったとき、見覚えのある人影が近付いてくるのが見えた。
カタナ、だった。
「──カタ、ナ……! 何故、戻ってきた……!」
「な、……──に。そんな気分だったんだよ」
カタナが、不自然な体勢で痛みに耐えている。
治癒、していないのか?
「怪我──してるの、に、どうして来る……! プルさまを置いてまで、どうして……!」
「──…………」
カタナが、空を見上げた。
「……憧れたから、かな」
そして、肩に突き刺さった短剣の柄を握り、
「ぐッ、う、あああああああああああああああああああッ!」
獰猛な獣のような咆哮と共にそれを抜き放った。
やめてくれ。
痛いだろう。
無理しないでくれ。
お前は、ただの一般人なんだ。
私たちの事情に巻き込まれただけの、ただの。
「──はッ、はあッ、はあッ、はァ……」
カタナが、血に濡れた短剣を左手で構える。
「お前のご主人さま、強い子だったからさ! 俺もそうなりたいって思っただけだッ!」
言いながら、カタナは、私へ向けて駆け出した。
視線でわかる。
狙っているのは、影の本体だ。
私の体が反射的に動いた。
体操術まで用い、カタナのあごを真上に蹴り抜く。
蹴り上げられたカタナの肉体が空中で一回転し、地面に倒れ伏す。
「カタナ……ッ!」
逃げてくれ。
憶病風に吹かれてくれ。
軽蔑なんかしない。
だって、それが当たり前なんだから。
たった数時間前に出会った私たちのために、そんなに傷つくことはないんだ。
「──はッ」
カタナが、笑う。
「逃げて、たまるか……!」
そして、立ち上がった。
立ち上がって、しまった。
「やめろ……。やめ、て、くれ……」
視界が歪み、涙が頬をくすぐる。
「私に、お前を、殺させないでくれ……!」
体が勝手に動き、立ち上がったばかりのカタナの鳩尾に掌底を入れる。
「──がッ、ほ!」
カタナが、そのまま崩れ落ちる。
私は、すこしだけ安心した。
そのまま横になっていてくれ。
だが、カタナの意志は固かった。
何が彼をそうさせるのだろう。
崩れ落ちる体を支えるために、地面に短剣を突き立てる。
「はッ、げホッ、はっ、はあ……ッ!」
ぎい、ぎい。
ぎい、ぎい。
影の魔獣が、嗤う。
やめろ。
嗤うな。
この人を、嗤うな。
カタナは何度でも立ち上がった。
そして、私の手によって、何度も地に伏せた。
私は、もう、涙が溢れて止まらなかった。
どうしてだろう。
どうして、この人は、こんなに頑張れるのだろう。
私たちのために、体を張ってくれるのだろう。
やがて、カタナが大の字に寝転がり、動かなくなった。
「あ、……ああ……!」
エル=タナエル。
お願いです。
この人を、この人だけは、助けてあげてください。
死んでほしくないんです。
私の旅路が終わったとしても、その先で生きていてほしいんです。
誰でもいい。
誰か。
「誰か──……!」
それは、
まるで、
光の花園だった。
蛍のような無数の光が高台をひらひらと埋め尽くし、やがて一斉に花開く。
無数の光球が世界から影を奪い去り──
黒板を鉄の棒で思いきり引っ掻くような音が、周囲に轟いた。
──ああ、そうか。
カタナとプルさまは、最初からこれを狙っていたんだ。
安堵する。
そのとき、私の足元から、小さく黒い塊がカタナのほうへと飛び去るのが見えた。
慌てて危険を知らせようとしたとき、私の前を誰かが通り過ぎた。
「──口を閉じるといい。体内とて影は影だ」
師匠だった。
師匠が、カタナへ向かって飛んで行く影を、難なく掴み取る。
「生憎と、火葬の用意しかなくてな」
師匠の右手が燃え上がる。
そして、閃光と炎に包まれた影の魔獣は、今度こそ絶命した。
「詰めこそ甘いが、素晴らしい機転だ。なにより恩もある。プルクト殿とヘレジナを導いていただいたこと、誠に感謝する。儂の名は、ルインライン=サディクル。貴殿の──」
師匠がそこまで言ったとき、カタナがその場に倒れ込んだ。
「──カタナッ!」
私は、自由になった体でカタナの元へと駆け寄り、その体を抱き締めた。
「ばか! ばか……ッ!」
涙が溢れる。
止まらない。
触れ合わせた胸元から、カタナの鼓動を感じる。
生きている。
私は、心の底からエル=タナエルに感謝した。
「か、……かた、な……っ!」
プルさまが駆けてくる。
「プルさま! カタナに治癒術をお願いします!」
「わっ、わわ、わかった! すぐ!」
プルさまがカタナに治癒術を施すあいだも、私はカタナの体を抱き締め続けた。
離すと、魂がどこかへ行ってしまいそうで怖かったからだ。
「……そうか。素晴らしい人物だのう」
はぐれてからの数時間を話すと、師匠は嬉しそうに頷いた。
「ええ、本当に……」
「惚れたか」
「──…………」
私は、師匠を半眼で見つめた。
「師匠。そのからかい方は、さすがにおっさんくさいかと」
「ひどいのう」
「で、でも、……ふへ。かたなは、恩人。恩人には、報いたい、……ね!」
「ええ、本当に。私に、何を返せるかはわかりませんが……」
この、疲れた目をしていて、皮肉屋で、そして誰より熱い心根の持ち主に、いつか恩を返したい。
私は、彼を抱き締めながら、心の底からそう願っていた。




