3/或る時、或る部屋で -終 未来を紡ぐ
「……それが嫌なんだよ。神の尺度で人が死ぬ。俺の心の中まで見てたんなら、わかるだろ」
「まね。でも、プルクトちゃんと子供作りたいっしょ?」
エル=タナエルが卑猥なハンドサインを作って見せてくる。
「こら、やめなさい。やめなさい」
「──ま、神たちと形無は、一時的には手を組めると思ってるのよ。魔竜ルインラインを斃して、その先を生きる。その点では利害一致してるはず」
「……そうだな。その点では」
「いくら避けても、いくら逃げても、ハルユラは神託で追ってくる。だったら、真正面から乗り越えるしかないのだ。ちゅーわけで、アイディアきぼんぬ」
「古っ」
「神的には最近よ」
ふと、デムリカがノートパソコンを覗く。
「──エル=タナエル。ノートに触れても?」
「ええよ」
俺たちに画面を見せるためか、すこし無理のある角度で、デムリカがノートパソコンを軽く操作する。
「私としては、彼女が鍵になるかと」
ディスプレイに表示されていたのは、白衣を着た亜人の少女だった。
「ハレ=フラスネイオン? トレロ・マ・レボロの発明家の女の子だっけ。けっこう高確率で形無のパーティに押し掛けてたよね」
「俺たちに?」
「形無たちが、その子にとって、すンごい面白い存在だったみたい。よくわからんけど」
「そういう世界線もあったんだな……」
「あと、治癒術を使える友人知人は集めておいたほうがいいかと。ワンテール島からも、マナナかバルマのどちらかは欲しいところです」
エル=タナエルが、興味深げに頷く。
「フンフン。なんで?」
「彼女の発明品に、面白いものがあったことを思い出しまして」
「発明品、か」
さすが発明家である。
「魔術の効果を離れた位置に発現させる道具です。Aパーツに治癒術をかけると、Bパーツを所持している人に効果が発揮されるというイメージですね。これ、使えると思いませんか?」
「──あ、プルの脊髄反射の治癒術!」
「ええ。アーラーヤは置き治癒術とも呼んでいましたね。治癒術は、あらかじめ発動しておけば、傷が大きくなる前に次々と塞がり重傷を負うことがありません。この状態であれば、天眼一閃が一度きりの必殺技ではなくなります」
「おー! さすが智慧の陪神!」
「恐縮です」
これまでの会話を振り返る。
「俺の記憶を封印し、第五章まで再演。第五章の終了時に記憶を取り戻し、ワンテール島でマナナかバルマ、バレボロでアーラーヤとクロケー、そしてトレロ・マ・レボロでハレって亜人の子を仲間にする。ハレの発明品で治癒術を俺に集めながら、魔竜ルインラインと再戦する──と」
「うーし、燃えてきた。次こそ未来を掴み取るぞう!」
「──エル=タナエル。一つ頼みがある」
「なんぞ?」
ガッツポーズのまま停止しているエル=タナエルに、俺は言った。
恐らくは、残酷な言葉を。
「[羅針盤]は、もう、いらない」
「──…………」
「繰り返したって、それが良い結果に繋がるとは限らない。よくわかっただろ。俺は、繰り返したくない。繰り返せるからと、真剣に生きられなくなる弱い自分が怖い。人生は一度きりでいい」
エル=タナエルの表情は、怒りでも、悲しみでも、落胆でもなかった。
何を言われているのか、わからない。
そんな顔だった。
「……加護を、いらないって言われたの、初めて。ショックかも」
さすがに罪悪感を覚え、フォローする。
「ま、まあ、ほら。それ以外の支援とか情報はもらってるしな。十分十分」
「ほんとお? ほんとは加護、欲しいんじゃない? 女神の寵愛だよ? 誰しも欲しがるやつだよ? 我慢しなくていいんだぜい」
肘でつついてくるエル=タナエルに、俺は、そっと微笑んだ。
「もう、十分だよ」
「──…………」
エル=タナエルが、すこしだけ、悲しそうに目を伏せた。
「形無」
デムリカに名前を呼ばれ、振り返る。
「[羅針盤]でなければよいのでしょう? うちの女神は、拒絶されることに慣れておりませんで。何か一つでもいい。もらってやってください」
「そう言われても──」
固辞しかけたが、エル=タナエルが、まるで捨てられた仔猫のように見えてしまって。
「……誰か死んでも一度だけ生き返せる方法、とか。頼んだらくれたりするか?」
「ほう」
エル=タナエルが、にまりと笑う。
「だったら、サザスラーヤの丸薬をあげよう。あの子の血から精製したものだから、口に入れるだけで一発! 治癒術の必要もなし!」
「なんか出自がアレだけど、ありがとう。もらっとくよ」
「形無、上着脱いで」
「うん?」
「スーツの上着、結局ずーっと荷物に入れっぱなしだったじゃん。なら、上着のどっかに仕込んどけば、記憶封印してもパラドックスが起きるほどの違いにはならない、……はず」
「あ、なるほどな。頭いいじゃん」
「神ぞ」
「ははー」
俺が上着を脱いでいるあいだに、エル=タナエルが、デスクの引き出しから真紅の丸薬を取り出した。
透明なビニール素材の袋に丸薬を入れて、スーツの胸元にそっと押し込む。
まるで手品のように、袋が消えてなくなった。
「よしよし。内ポケットの中を切ると出てくるようにしたぞい」
「……今、さりげに物質透過とかした?」
「しないと入らないし……」
さすが創世の女神だと、妙なところで納得してしまった。
「ありがとうな、エル=タナエル」
「頑張ってね、パパン」
「娘にしたくはないんだよな……」
「認知してね」
したくない。
「──それで、また、川であの子を助ければいいのか?」
「いちいち手間だし、心の準備が整い次第スパンと飛ばすよ」
「いや、それだとあの女の子が……」
「気になるなら助けとく。そのほうが、あの子も変な負い目とかなくていいでしょ」
「……そうかもな」
俺は、ちびちび飲んでいた生姜湯を一気に飲み干した。
「さ、いつでもいいぜ」
「おうけい」
「形無。あなたの旅路を、地球から応援しております」
「サンキュー、デムリカ」
「なんとか神のパパンにしてやるから覚悟しとけよなあ……」
「怖いんですけど」
俺は、コタツから立ち上がった。
「──ま、父親になる気はさらさらないが」
エル=タナエルの頭を撫でる。
艶のある、細く柔らかい髪の毛だった。
「またな、エル=タナエル。ちっと頑張ってくるわ」
「うん!」
エル=タナエルが、まるで子供のように満面の笑みを浮かべる。
「行ってらっしゃい、形無」
──こぽり。
口から漏れた歪な泡が、瞬間ごとに形を変えながら、上へ上へと昇っていく。
対して俺の肉体は、水の冷たさに指先を痺れさせながら、下へ下へと落ちていった。
次に目を覚ましたときは、記憶が封印されているのだろう。
記憶を失った俺には選択肢が見えるかもしれないが、それはあくまで再演に過ぎない。
繰り返しは、これで最後だ。
行こう、月へ。
そして、未来を紡ぐのだ。
ルインライン。
俺は、あなたを超えてみせる。
だから、待っていてくれ。
気が付けば、俺の目の前に、二行の文章が浮かび上がっていた。
【青】再び始める
【黒】終わる
俺は、迷うことなく、青い枠へと右手を伸ばした。
これが、最後の[羅針盤]だ。
ここから先の人生は、俺自身が決めるのだ。
幻のように実体のないそれは容易に崩れ落ち、光の粒となって周囲を満たし始める。
やがて、意識までもが白に染まり──




