3/或る時、或る部屋で -2 知恵比べ
「まず、ここは地球です。時系列としては、形無が増水した川で少女を助ける数時間前ですね」
「月に行く、……前?」
「ええ。鍛え上げた肉体が元に戻っているでしょう?」
「──…………」
スーツの袖をまくり、自分の腕を見る。
嗚呼。
俺の腕は、こんなにも細かったのか。
「なら、俺の旅路は……ッ!」
「なかったことになった──わけでは、ありません。元より繰り返していることは、アルクハルヴァ神殿でヤガタニから聞いたはずです」
「あ、ああ……」
「エル=タナエル。ノートを」
「ほいほい」
エル=タナエルがコタツを出て、ベッドの枕元に置いてあったノートパソコンを抱える。
ノートパソコンを開くと、ゲームのタイトル画面が映し出されていた。
美しく風に揺られるサンストプラを背景に、タイトルロゴが表示されている。
異世界は選択の連続である[Re:]
そして、幾度か見た記憶のある選択肢が、画面下部に表示されていた。
【青】再び始める
【黒】終わる
俺の背筋を、嫌な悪寒が走った。
「今までのは──」
「ゲームじゃないよ」
エル=タナエルが、俺の言葉を遮った。
「実際に起こったことだから、安心おし」
「……違う、のか」
デムリカが半眼でエル=タナエルを見る。
「エル=タナエル。あなたがタイトル画面に妙に凝るからですよ」
「いいじゃん」
エル=タナエルが、俺の顔を覗き込んだ。
「これは、単なるUI。神が自分の権能を使うためのね」
UIとは、人間とシステムを繋ぐ架け橋のようなものである。
この場合、エル=タナエルがその権能を効率的に使用するために作り出したツール、くらいの意味合いになるのだろう。
「──…………」
無言で続きを促す。
「まず、エル=タナエルの目的をお話ししましょう。彼女は、月に再誕するつもりでした。ただの人として。もっとも、権能を捨てる気はなかったでしょうけれど」
「ないよ」
「この通りです」
「……再誕?」
「ええ。言葉の通りです。エル=タナエルは、月を愛していますから」
「え、……っと。地球って、エル=タナエルそのものなんだろ。お前が月に生まれたら、地球はどうなるんだ?」
「特に変わりはないよ。地球は、もともと神だもの。月も手に入れたいだけ」
「魔王か何か?」
「近いです」
「コラ」
「五祖のうち、カガヨウだけが地球の者であったことを覚えていますか?」
「ああ、覚えてる」
「ちなみに、かぐや姫のモデルとなった説は、マジです」
「……おおう」
シオニア、正解だったのか。
「カガヨウの系譜は、エル=タナエルが仕込んだ布石でした。いつの日か、地球から月へ人を送り、カガヨウの末裔とつがわせる。そうすれば、エル=サンストプラよりエル=タナエルの要素の大きい純人間が月に生まれることになります」
月で生まれたエル=サンストプラ管理下の月人間、地球で生まれたエル=タナエル管理下の地球人間がいるとして、カガヨウという地球人間を月に送り込み、のちのちその子孫と地球人間とのあいだに子供を作らせることで、地球人間を月で誕生させる。
エル=タナエルは、その地球人間に転生し、サンストプラを内側から手中に収めようとした。
「……月へ送り込んだ地球の者。それが、俺なのか」
「そゆこと」
「そして、俺のお相手が──」
「プルクトちゃん」
「──…………」
つまり、エル=タナエルは、こう言っているのだ。
俺とプルに子供を作らせ、その子供に転生して月に生まれるつもりだった──と。
この、ただの少女にしか見えない女神が、急に恐ろしく感じられた。
「そんなわけで、形無とプルクトちゃんには、神のパパンとママンになってもらう予定だったのよ」
「……直接、月へ行くことはできないのか? もしくは、地球の者をもっと送り込めばいい。地球の者同士で子供を作ればいいんだろ」
エル=タナエルが、口を尖らせる。
「できたらしてるんすわ……」
「ええ。月は、エル=サンストプラの世界です。彼はまだ生きている。地球からの介入手段は限られます。事実、人間はアポロ計画で月面着陸を果たしましたが、位相のずれたサンストプラに入ることはできていないでしょう?」
「神の権能でできたのは、地球の者を一人送り込むことと、そやつに加護を与えること。ルインラインが[羅針盤]って名付けたアレのことね」
「なるほど……」
「そして、[羅針盤]を扱いやすくするためにエル=タナエルが開発したUIが、こちらになります」
「……ゲームにしか見えないんだが」
「実際、ノベルゲームみたいなもんだからね。仕組みはかんたん。神の権能で作ったこの無限スペックパソコンは、形無と同期してる。そんで、形無が死ぬなりすれば、そこに選択肢を残して適当な時点へと巻き戻る。以前の周と異なる行動を取れば、そこにも選択肢を設置する。それを繰り返すだけ」
「マクロ、か」
「そんなかんじ。詰まったときなんかは神自身が選択肢を書き込んだりもしたけど、ほとんど自動」
マクロ──繰り返し作業を自動で行ってくれるプログラムのことだ。
なるほど。
作業が膨大になればなるほど、繰り返しの回数が多くなればなるほど、マクロは本領を発揮する。
第三者の観点に立てば、最初にマクロを組んだのは賢明だったと言えるだろう。
当人からすれば、なんとも言えない心持ちだが。
「エル=タナエルから月への直接介入ですから、エル=サンストプラも当然気が付きます。そこで、彼が妨害策として打ち出したのが、ハルユラです」
気付く。
「──あ、エル=サンストプラの神託!」
「その通りです。エル=サンストプラは過去へと遡り、双子の片割れ──ハルユラに神託を与えました。そして、いつかプルクトを始末するよう洗脳したのです」
「洗脳……?」
これまでの話を聞いていれば、明らかにエル=タナエルが悪者だ。
だが、エル=サンストプラも無欠の善とはとても言えない。
神々とは、善悪では測れないものなのだろうか。
「なにせ、月はエル=サンストプラの世界ですからね。好き放題できるかと」
「──…………」
「エル=タナエルがカガヨウの末裔に神託を下していたのは、カガヨウの末裔を絶やさないためです。未来を識る力が重用されないはずもなく、皇巫女の血筋は、エル=タナエルの目論見通り、千年以上も保たれました。プルクトとハルユラに神託を与えなかったのは、あなたを──形無を月へ送り込む予定があったからです。血を絶やさないという目的は、既に果たしていましたからね」
スケールが違う。
そう思った。
地球と月の知恵比べ。
目的は単なるわがままのくせに、世界を操り、人を操り、時を操り、やりたい放題だ。




