2/皇都コルハイン -11 繰り返し繰り返し
【青】再び始める
【黒】終わる
──こぽり。
口から漏れた歪な泡が、瞬間ごとに形を変えながら、上へ上へと昇っていく。
対して俺の肉体は、水の冷たさに指先を痺れさせながら、下へ下へと落ちていった。
「──…………」
気が付けば、目の前に、幾度も見た覚えのある二行の文章が浮かび上がっていた。
「──エル=タナエル」
呼び掛ける。
返答はない。
俺は、俺として生きた。
プルとヘレジナを助けることはできなかったが、後悔はない。
このまま息絶えても構わない。
次の俺はもう、俺ではないのだから。
だが──
もし、俺とは違う俺が、プルとは違うプルを助け出す未来が存在するのなら。
ここで黒枠を選ぶことは、彼らを殺すことに他ならない。
「……わかった」
俺は、青の選択肢を選び取る。
幻のように実体のないそれは容易に崩れ落ち、光の粒となって周囲を満たし始める。
失われた感覚を寄せ集め、
俺は、
全身全霊を込めて目蓋を開いた。
「──……んごっ」
すぐ傍で、アーラーヤの寝息が聞こえる。
一瞬、ここがどこで、今がいつか、わからなかった。
今日は、夏の後節二十日。
トレロ・マ・レボロに入国し、初めての夜だ。
「……?」
どうして、俺は、騎竜車の一階で眠っていたのだろう。
真実を忘れていく。
俺が、俺でなくなっていく。
そして、目の前に選択肢が現れた。
【青】アーラーヤを起こす
【白】プルを起こす
【白】ヤーエルヘルを起こす
【青】ヘレジナを起こす
【白】マナナを起こす
【黄】全員を起こす
──待て。
マナナがいるのか?
俺は、既に理解している。
この選択肢が、俺の選んだ分かれ道に置かれた道標であることを。
だが、ここは俺の知らない世界線だ。
俺は、ラライエ戦後、一度も繰り返していない。
俺は、一周目の俺──の、はずだ。
果たして、
俺は、
この物語を何周しているのだろう。
そして、俺はまた忘れ去る。
すべてを。
「……──?」
[羅針盤]が、また現れた。
ワンテール島を出てから、[羅針盤]の選択肢が異常に現れる。
俺がこの世界に来たときより、選択肢の数も多くなっている気がした。
ルインライン戦やラライエ戦の際の無数の黒枠は別として、平均で四から六個の選択肢が出現する。
誰を起こすか、か。
同じ青枠なら、素直にアーラーヤを起こすべきだろう。
そう決めた瞬間、青枠の選択肢が砕け散り、かすかな光と共に時間の流れが元に戻る。
「──アーラーヤ、アーラーヤ」
すこし顔を近付け、アーラーヤの名を呼ぶ。
「んっ、……んー……?」
アーラーヤが、薄く目を開き、上体を起こした。
「……どしたあ、カタナ」
「いや、俺にもわからん。また[羅針盤]だ」
「……またか。やたら多いな。最初のときより多いんじゃねえか?」
「間違いなく、多い。そもそも、こんな長期間に渡って[羅針盤]の選択肢が出続けてることすら初めてなんだよ。最初は、せいぜい五日か六日だったのに」
「……そう言や、もう三週間は出続けだって言ってたもんな」
「ああ……」
サンストプラにおける一週間は、五日間だ。
そのため、三週間は十五日となる。
「アーラーヤを起こして青枠ってのも、よくわからないんだよな。心当たりあるか?」
「心当たり、ねえ……」
アーラーヤが、首をポキリと鳴らす。
「ま、嬢ちゃんたちを起こすのも悪い。ちっと外にでも出てみるか?」
「だな」
青枠ともなれば、少なくとも危険はない。
だが、全員起こすと黄枠だ。
俺たちは、気配を殺しながら、そっと騎竜車を降りた。
「……特になんもねえなあ」
「いちおう、神眼で索敵してみる」
俺は、神眼を発動した。
「──…………」
呼吸音。
騎竜車の中ではない。
「……屋根の上?」
「屋根がどうした?」
「誰か、いる。恐らく寝息だ。寝てる」
「寝て──」
そこまで言って、アーラーヤが大きく肩を落とした。
「なーんか、わかっちまったぞ」
アーラーヤのリアクションで、俺も、心当たりを一人思い出した。
「……まさか、クロケー?」
「可能性はあんなあ。ちっと見てくる」
「ああ」
アーラーヤが御者台へと駆け上がる。
「ワああああ──ッ!?」
悲鳴が上がる。
その悲鳴には、やはり聞き覚えがあった。
【青】再び始める
【黒】終わる
気が付けば、目の前に、幾度も見た覚えのある二行の文章が浮かび上がっていた。
「──エル=タナエル」
呼び掛ける。
返答はない。
「……わかった」
俺は、青の選択肢を選び取る。
幻のように実体のないそれは容易に崩れ落ち、光の粒となって周囲を満たし始める。
失われた感覚を寄せ集め、
俺は、
全身全霊を込めて目蓋を開いた。
「……クロケー。マナナ。頼む。プルさまとヤーエルヘルを守ってくれ」
「ア、アア!」
「わかったよ!」
「カタナ。アーラーヤ。アイヴィルは私が斃す。それを確認した瞬間、師匠へ攻撃を仕掛けろ。三人同時に畳み掛ける」
ヘレジナの言葉で、俺は我に返った。
一瞬、ここがどこで、今がいつか、わからなかった。
ここは、トレロ・マ・レボロの首都マウダンテトの国立図書館前広場。
日付は──秋の前節であることは間違いない。
だが、情報が何重にも脳にぶち込まれ、判然としなかった。
マナナが、いるのか。
俺の知っている過去と異なっている。
真実を忘れていく。
俺が、俺でなくなっていく。
そして、目の前に選択肢が現れた。
【赤】ヘレジナの意見に従う
【赤】アイヴィルに燕双閃・自在の型を仕掛ける
【赤】アイヴィルをアーラーヤに任せる
【赤】逃走を図る
【青】プルを引き渡す
──ああ、その通りだ。
実力差を理解し、素直にプルを引き渡していれば、ヘレジナが致命傷を負うことはなかった。
だが、本当にそれでいいのか?
ヘレジナが傷つかなければ、ヤガタニが表に出ることもなかった。
アルクハルヴァ神殿で一ヶ月の鍛錬を積むことも、天眼を開眼することも、ルブロイを撃破することも、なかった。
その先に、道はあるのか?
そして、俺はまた忘れ去る。
すべてを。
「──…………」
[羅針盤]だ。
青枠は言う。
プルを引き渡せ、と。
そうすべきなのだろうか。
本当に、それが正しいのだろうか。
ラーイウラ王城、最上拝謁の間でのことを思い出す。
俺が、安易に青枠にすがったから、ネルは一度死んだのではなかったか。
「……──ッ」
だが、ネルは今、生きている。
青枠は嘘をつかなかった。
事態は、確かに好転したのだ。
悔しい。
青枠を拒絶できない情けない自分が。
赤枠を撥ね除けられない弱い自分が。
悔しくて仕方がなかった。
──選ぶ。
青枠の選択肢が光の粒子となり、世界が彩色される。
「……待ってくれ」
「どうした、カタナ。共に──」
「プルを、引き渡す」
「……えっ」
ヘレジナのみならず、皆が呆気に取られる。
「なッ! なに言ってんだい、カタナ! そんなこと、できるはずないだろッ!」
プルが、小声で尋ねた。
「……[羅針盤]?」
プルの問いに、小さく頷く。
「プルを引き渡す以外の選択肢は、全部赤枠だ」
「──…………」
ハルユラが、軽蔑したような目を俺に向けた。
「[羅針盤]、ね。つまらない。誰かの言うことばかり聞いて、自分の意志で選べない。鵜堂 形無。結局、あなたも誰かの言いなり。つまらない人間ね」
「……ッ」
拳を握り締める。
だが、それを振り下ろす場所はなかった。
「プルクト。あなたは、自分の意志で死を選べるよね?」
そう言って、ハルユラがプルに右手を差し出す。
「──…………」
プルが、歩き出す。
マナナの手を振り払って、ハルユラのところまで。
ああ。
行かないでくれ。
行かないで、くれ。




