2/皇都コルハイン -10 繰り返し
【青】再び始める
【黒】終わる
──こぽり。
口から漏れた歪な泡が、瞬間ごとに形を変えながら、上へ上へと昇っていく。
対して俺の肉体は、水の冷たさに指先を痺れさせながら、下へ下へと落ちていった。
「──…………」
気が付けば、目の前に、幾度も見た覚えのある二行の文章が浮かび上がっていた。
「──エル=タナエル」
呼び掛ける。
返答はない。
俺は、俺として生きた。
できるすべてをやりきった。
プルとヘレジナを助けることは叶わなかったが、後悔はない。
このまま息絶えても構わない。
次の俺はもう、俺ではないのだから。
だが──
もし、俺とは違う俺が、プルとは違うプルを助け出す未来が存在するのなら。
ここで黒枠を選ぶことは、彼らを殺すことに他ならない。
「……わかった」
俺は、青の選択肢を選び取る。
幻のように実体のないそれは容易に崩れ落ち、光の粒となって周囲を満たし始める。
失われた感覚を寄せ集め、
俺は、
全身全霊を込めて目蓋を開いた。
「光矢術の師範、がんばってくだし!」
「ああ、もちろん。魔獣除けがなくなった以上、今後普通の海の魔獣がこのワンテール島を襲うこともあるだろう。その際、何もできずにやられることのないよう、しっかり島民を鍛えておくさ」
ヤーエルヘルとバルマの会話が聞こえる。
一瞬、ここがどこで、今がいつなのか、わからなかった。
──ここは、ワンテール島。
夏の後節四日、出立の日だった。
ほぼ、二ヶ月。
随分と巻き戻されたものだ。
真実を忘れていく。
俺が、俺でなくなっていく。
そして、目の前に選択肢が現れた。
【青】マナナを旅に誘う
【白】四人でワンテール島を出立する
──待て。
選択肢が、二つ?
俺は、既に理解している。
この選択肢が、俺の選んだ分かれ道に置かれた道標であることを。
俺の記憶によれば、ラライエ戦後、〈ネルと共に生きる〉と書かれたものを最後に、[羅針盤]の選択肢は一度も現れていない。
一度も、繰り返してはいない。
俺は、ラライエ戦後一周目の俺──の、はずだ。
だが、目の前の選択肢は、俺が既に最低でも三周以上繰り返していることを示している。
忘却しているのだ。
果たして、
俺は、
この物語を何周しているのだろう。
そして、俺はまた忘れ去る。
すべてを。
「……──?」
唐突に現れた選択肢に面食らう。
[羅針盤]。
ラライエ戦後は一度も現れることのなかったものだ。
[星見台]とは異なり、[羅針盤]は、時の流れを緩やかにする効果も併せ持つ。
そのため、仲間たちと相談できないのがネックだった。
[羅針盤]という能力自体を、俺はあまり好んでいない。
だが、青枠が出たのなら青枠を選ぶしかない。
俺は、マナナを旅に誘うことにした。
そう決めた瞬間、青枠の選択肢が光の粒子に変換されていき、世界に時間と彩りが戻った。
「……あー、こほん」
わざとらしく咳払いをする。
「そのだな」
マナナが小首をかしげる。
「うん? どうかしたかい、カタナ」
「実は今、[羅針盤]の選択肢が出てきてさ……」
皆が目をまるくする。
「なんだと!」
「な、……なんで、だろ。なんかヘンなタイミング……」
「ああ。いろいろ片付いたタイミングでの[羅針盤]って、今までにないよな。んで、選んじまったからには腹くくって言うけど……」
俺は、マナナへと向き直った。
「──マナナ。俺たちと行かないか? 一緒に、旅を、しないか?」
「へ?」
一瞬、時間が止まったようにも感じられた。
ヘレジナが尋ねる。
「ど、どういう選択肢だったのだ……」
「マナナを旅に誘うか、どちらも誘わないか。前者が青枠、後者が白枠だったんだよ」
「あー、なるほどなるほど。バルマを誘う選択肢はなかったのかい?」
「なかった。まあ、選択肢にない行動も取れるんだけどさ」
「でも、なかった理由はわかる気がするね。バルマには、島で光矢術の師範をするって役目があるし」
「本当は二人とも誘いたいけど、そうすると島の安全がなあ……」
マナナが、からからと笑う。
「誘われちまったんなら仕方ない。悔しいけど、カタナのハーレムに参加するとしようかな」
「おい」
「冗談だよ。あんたの誠実さは、この数日でよーくわかったさ。そして、こうしてからかわれるのを承知で、うちを誘ってくれた。今、けっこう嬉しいんだよ?」
ヤーエルヘルが、マナナの手を取る。
「やったー! マナナさんと一緒に旅でしー!」
ナナイロを失ったばかりのヤーエルヘルに、心からの笑顔が浮かぶ。
そうだよな。
本当は、別れたくなんてないものな。
「……カタナ。本当に下心はないのであろうな」
「ないわ!」
バルマが光矢術の師範をしていなければ、バルマを選んだかもしれない。
だが、ワンテール島を守っていた魔獣除けは、もう回収してしまった。
ごく普通のものとは言え、海の魔獣が現れる危険があるのだ。
光矢術も治癒術も扱えるバルマの存在は、このワンテール島にとってあまりに大きすぎた。
「──よし! ちょっと待ってな。荷物まとめてくる!」
「そ、……そんな急がなくて、いいからね!」
「なーに、言うほど荷物なんてないさ。大事なのは、胸に抱いた想い出一つ。だろ?」
「うむ。それはそれとして着替えは必要であるからな。特に下着は多めに持ってくるのだぞ」
「はいよ!」
マナナが、今来た道を軽やかに駆け戻っていく。
その背中を見送りながら、バルマが微笑んだ。
「ふふ、やはり我慢していたか。行きたかろう、とは思っていたのだ」
「そうなのか?」
「島で暮らしていれば、マナナの話を耳にすることもある。マナナは、早くして両親を亡くしている。本島に渡り治癒術を学んだのは、その悲しみゆえだった。両親の死因は、不幸な事故だったと聞いている。治癒術士であったマナナの父親に意識があれば、少なくとも命は助かった可能性が高い、と」
「──…………」
「マナナは恐れていた。自分が島を離れることで、助けられた命が助からないことを。だから、冗談めいた言い訳で諦めようとしていたのだ」
ヘレジナが目を伏せる。
「それは、……うん。悲しいな。私たちはマナナが好きだ。我慢など、してほしくはない」
「そうだな。だが、この島にはもう、私がいる。私の治癒術の級位は、師範級第三位だ。徒弟級第一位のマナナより、高い。彼女がこの島に囚われる必要は、もう、ないのだ」
バルマが、俺たちに頭を下げる。
「──マナナを、よろしく頼む」
思わず苦笑する。
「頭なんて下げるなよ、バルマ。次に来たときは、土産話をたっぷり持ってくる。それまでワンテール島を守るのは、お前なんだからさ」
「ああ。お前たちのことだ。また、本当に、世界の一度や二度救って戻ってくるかもしれんな」
「そ、……それは、世界、危機に陥りすぎ……」
「違いない」
こうして、俺たちは、マナナと共にワンテール島を後にした。
数え切れないほどの人々が、俺たちを見送るために港へ集まってきてくれていた。




