2/皇都コルハイン -9 人竜
「三本勝負とか、ただの言い訳だろ。お前はただ、ルインラインを自慢したいだけだ」
「正解」
ハルユラが、魔竜ルインラインの後ろへと無防備に歩いていく。
クロケーであれば、この距離からハルユラを殺害することもできただろう。
だが、リスキーだ。
もし、魔竜ルインラインの命令権が刷り込み式の譲渡不可能なものであった場合、暴走する可能性もゼロではないからだ。
「魔竜ルインライン。遠当ては使わないで。宮殿も、聖地も、壊したくはないわ」
「──…………」
ルインラインは、頷きも、返答も、しない。
「奇跡級特位、鵜堂 形無」
「なんだよ」
「前と同じ展開はつまらない。今回は、もうすこし頑張って」
「前と同じ展開には、絶対にならない。安心して見てろ」
そう告げて、俺とアーラーヤは、魔竜ルインラインから距離を取った。
アーラーヤが宣言する。
「魔竜ルインラインとは、うちの弟子が戦う。俺たちは基本、手出ししねえよ」
「……?」
ハルユラが、きょとんと目をまるくする。
「何を言っているの?」
クロケーが、すべてを覚悟した表情で告げた。
「最初からソウ決めてたんだ。魔竜ルインラインは、オレが相手する。オレだけで戦う」
「──く、クロケー、……くん……!」
プルが、クロケーに向かって手を伸ばそうとする。
だが、兵士と侍女がそれを阻んだ。
「大丈夫、だ!」
クロケーが、プルに、拳を突き出して見せた。
「……理解しがたいわね。弟子を殺したいの?」
「そんなわけねえだろ。クロケーなら、魔竜ルインラインにだって勝てる。俺は、師匠として、そう思ってる」
「やってみりゃ、わかるさ。勝負は級位だけで決まるわけじゃない」
「そう」
ハルユラが数秒ほど目を閉じ。右手を肩提げ鞄に触れさせた。
「魔竜ルインライン。あの、亜人の少年を殺しなさい」
「──…………」
神眼を発動し、即座に深化を行う。
1/12倍速の世界へ。
この世界においてすら、魔竜ルインラインの動きはあまりに速かった。
恐らく、クロケーは、ルインラインの動きを知覚できていない。
だが、問題はない。
「──ッ!」
クロケーが背後に跳躍する。
今度は、ザザムと相対したときのような、加減した跳躍ではない。
ただの一歩で、ほぼ三十メートルを後退する。
しかし、魔竜ルインラインの追撃も、また、異常だった。
ルインラインがクロケーに肉薄する。
クロケーの次の行動は、最初から決まっている。
五日間、この前庭で、幾度も幾度もシミュレーションを重ねた。
何度もルートを検討し直した。
クロケーの武器は、その軽さ──質量の小ささだ。
いくら魔竜ルインラインが速くとも、曲がろうとすれば遠心力がかかる。
クロケーが唐突に直角に曲がったとして、クロケーよりも速く、クロケーよりも重いルインラインは、どうしても曲がりきれなくなる。
それを繰り返し、ただただ逃げ回り続ける。
俺たちの策は、これですべてだった。
クロケーが宮殿への距離を一瞬で詰め、窓枠に着地して数歩ほど壁を駆ける。
魔竜ルインラインもまた、同じルートを攻めようとして、そのまま窓へと突っ込んだ。
割れた窓ガラスが朝焼けにきらめく。
「よッし!」
これで、さらに時間が稼げる。
窓から大きく距離を取り、魔力銃を構えながら、今か今かとルインラインが顔を出すのを待ち続ける。
一秒、
二秒、
三秒──
気付く。
「──避けろッ!」
「ッ!?」
クロケーがその場を飛び退く。
ルインラインが現れたのは、入った窓からではなかった。
壁を破壊し、クロケーが待機していた場所へと直接現れたのだ。
「無理に攻撃するな! 逃げに徹しろッ!」
そう。
俺たちの狙いは、攻撃による決着ではない。
クロケーは攻撃行動を行っていないにも関わらず、魔竜ルインラインの全身から、だらだらと血が溢れ続けている。
戦闘時間を引き延ばし、肉体の限界を超えた動きを続けさせることで、ルインラインを自壊へと導くことが俺たちの目的だった。
魔竜ルインラインと相対し、ここまで長く生きていられる人間は、サンストプラ広しと言えどもクロケーくらいのものだろう。
本当に、仲間に恵まれたものだ。
「──なあ、ハルユラ」
「なに?」
鞄を指差す。
「それ、銀琴か?」
「ええ」
「奪えば、どうなる」
「……なるほどね。魔竜ルインラインへの命令権が欲しいんだ」
「そういうことだ」
「わたしがどれほど抵抗しても、あなたにはそれができるでしょう。だから、欲しいなら渡すわ。痛いのは嫌だもの」
「そうか」
「──でも、それでは勝てない。今の戦法を続けてもね」
ハルユラが、無抵抗どころか、自らの意志で銀琴を取り出し、手渡す。
「はい、どうぞ」
「──…………」
俺は、銀琴を受け取り、魔竜ルインラインへと叫んだ。
「──ルインライン! 今すぐ戦闘をやめろ!」
俺の声が前庭に響き渡る。
だが、
「……言うことを聞かない?」
「ええ。あなたは致命的な勘違いをしてる」
「なんだ」
「まず、一つ目。魔竜ルインラインのあれは、怪我じゃないわ。誰か気付いていたのね。わたしがルインラインに治癒術をかけていたことに。あれはね、〈皮〉の修復をしていたの」
「……皮?」
「そう、人の皮。何度も何度も言ってるじゃない、〈竜〉だって。もともと半分竜種だったルインラインを、完全なる竜種に変えた。それなのに、どうして人の姿を残しているの?」
「あ──」
「人の姿は便利だったから、頑張って維持していたの。でも、もう駄目かな」
神眼を発動し、再び1/12倍速の世界で、見る。
ルインラインの手を。
ルインラインの足を。
ルインラインの皮膚を。
剥がれ落ちている。
剥がれ落ちていく。
まるで、脱皮のように。
そして、気付く。
人としての形を失うたびに、魔竜ルインラインの肉体が、大きく膨れ上がりつつあった。
もしかして、
俺たちは、
とんでもないものを呼び起こそうとしているのではないか。
「そして、二つ目。何故、魔竜ルインラインがわたしの言うことを聞いて、あなたの言うことを聞かないのか。それはね」
とっておきの内緒話をするかのように、ハルユラが声をひそめて言った。
「──ルインラインには、ちゃあんと、自我が残っているからよ」
「……は?」
ハルユラに問い返そうとしたときだった。
「──づ、あ……ッ!」
ルインラインに一瞬だけ追いつかれ、その一撃をかすめたクロケーが、俺とハルユラの傍の地面に叩きつけられる。
「クロケー!」
アーラーヤが即座にクロケーに駆け寄り、治癒術をかけ始めた。
「──…………」
一部が崩壊した宮殿を見上げる。
そこにいたのは、もはや、魔竜ルインラインとすら呼べる存在ではなかった。
元の倍ほどに肥大した肉体を、黒い竜鱗が覆っている。
地の竜を地竜、天の竜を天竜、炎の竜を炎竜と呼ぶのなら、視線の先に在るモノは、こう名付けられるべきだろう。
人の竜──人竜。
神眼を発動する。
1/12倍速の世界で、クロケーを守るように立ちはだかる。
銀琴を落とし、神剣を抜き放ち、灰燼術によって白き刀身を成す。
人竜と化したルインラインが宮殿の屋根から飛び降りた。
着地と同時に、たったの一歩でこちらへと跳躍する。
クロケーと出会ったときのように、猪突猛進の攻撃を避けることは容易だ。
だが、俺の背後には、怪我を負ったクロケーと、彼の傷を治しているアーラーヤがいる。
わかっている。
天眼だ。
天眼しか、ない。
俺は、1/12倍速の世界でルインラインをギリギリまで引きつけ、
──天眼を発動した。
弾丸のような速度を誇っていたルインラインが、目の前でピタリと静止する。
俺は、必死で。
ただ、必死で。
白き神剣で、ルインラインの胴体を薙ぎ払おうと──
「──……ああ、カタナ殿」
「え──」
「貴殿も、この世界へ辿り着いたか」
「ルイン、……ライン?」
半ばほど竜と化した顔で、ルインラインが微笑む。
「……強く、なったのう。[羅針盤]に頼っていたあの頃とは、大違いだ」
「あ、……あああ、ああああああ……」
どうしてだろう。
どうして、こんなに嬉しいんだろう。
どうして、こんなに悲しいんだろう。
どうして、どうして。
「出会った頃の儂では、もう、カタナ殿には勝てんだろうなあ……」
「……そんなこと、言うなよ。あんたは最強なんだ。俺の憧れ、なんだ」
いつだって、ルインラインを目指していた。
俺の剣の果てには、常にルインラインがいた。
ルインラインは間違ったさ。
でも、それは、プルを始末するための謀略に巻き込まれただけだ。
ルインライン自身は、ただ、エル=タナエルの言葉に忠実に従おうとしたに過ぎない。
だから、だろうか。
ルインラインを責める気持ちになれなかったのは。
ルインラインの長剣が、深々と、俺の体を袈裟懸けに斬っていく。
同時に、白き神剣が、ルインラインの胴体を真横に寸断していく。
互いに痛みはないだろう。
痛みは、まだ、届かない。
「相討ち、だのう」
「……ああ」
俺は、気付けば微笑んでいた。
「でも、あんたと相討ちになれたんなら、光栄かもしれないな」
「……すまんな。プルクト殿の目の前で」
「──…………」
ごめん、プル。
助けられなかった。
大好きだよ。
世界の誰より、お前のことが好きだ。
俺は、[羅針盤]を信じない。
これまでの出来事が、ここまでの努力が、ただの〈一回〉にされるのは我慢ならない。
だから、おしまいだ。
この物語は、ここでおしまいだ。
「……さようなら、ルインライン」
「ああ。さようならだ、カタナ殿」
鵜堂 形無の旅路は、今、ここで終わる。




