2/皇都コルハイン -7 〈不夜の盾〉
──秋の前節三十日、午前五時。
開園時間を迎えていないために閉じていたゲートを悠々と乗り越え、俺たちは宮殿の前庭で時を待っていた。
白み始めた東の空が、朝の前庭を穏やかに照らす。
藍色と橙色の美しいコントラストが、空をたゆたう雲を染め上げていた。
宮殿に乗り込めばプルの居場所がわからず、また、彼女を隠されるか移送される可能性は否めない。
闘技場で助け出そうとすれば、物見遊山で集まった皇都の市民たちが障害となる。
ならば、宮殿から闘技場へとプルを連行するタイミングを狙えばいい。
この五日間、綿密な下調べを行った。
プルを連れた一団は、必ずここを通るだろう。
「──…………」
先程から、深呼吸をしたり、幾度も軽く跳躍しているクロケーの肩を、アーラーヤがぐにぐにと揉む。
「緊張は仕方ねえ。だが、緊張を嫌うな」
「緊張を、嫌ワない……?」
アーラーヤが頷く。
「緊張はな、俺だってする。カタナだってするはずだ。そうだろ?」
「今まさにしてる」
「アーラーヤサンとカタナサンでも緊張すんのか……」
「実戦直前の緊張をなくすことなんざ、できねえ。だから、上手く付き合っていくことを考えるんだ。緊張ってのも、案外悪いもんじゃない。過度でさえなければ、これから挑む事柄に心と体が引き締まってる状態とも言えるだろ。だから、〈緊張してるから上手く動けないかもしれない〉じゃなくて、〈緊張してるから準備が整ってる〉と考えろ」
「緊張シテるから、準備が整ってる……」
「そうすりゃ、緊張してても気にならなくなる。緊張してていいんだぜ、お前は」
緊張で怒っていたクロケーの肩から、すこしだけ力が抜けるのが見えた。
思わず感心する。
「さすが師匠だな。アーラーヤも師範、向いてるんじゃないか?」
「あー、無理無理。クロケー一人で手一杯だってのに、何人も同時に育てられっかよ」
「まあ、わかるな。気持ちは」
俺も、イオタという弟子を取っている。
同時に何人も、となると、いっそ仕事にしなければ指導が追いつかないだろう。
「そのうち弟子同士で代理対決させたいよな。強いぜ、うちのクロケーは」
「イオタの頑張りは本物なんだけど、どうかな。次に会うときは奇跡級だって息巻いてたから、もしかしたらってとこか」
正直に言えば、師範級に上がっていただけでもパーティを開きたいくらいだ。
既に奇跡級へ昇格しているクロケーとはスタート地点も実戦経験も違う。
だが、イオタへの刺激としては十分だろう。
雑談を交わしていると、クロケーの双眸が細く引き絞られた。
「──来た」
音だ。
亜人の耳が、遠くの音を感知したのだろう。
俺とアーラーヤが宮殿へと向き直る。
すると、宮殿から、十数名の人々が姿を現した。
まだ距離がある。
まだ、誰がいるかはわからない。
宮殿から出てきた人々は、何かを囲むように並びながら歩いてくる。
先頭にいるのは、腰に武器を佩いた三名の騎士。
周囲には一般兵や侍女が続き、最後に見知った顔が覗く。
ハルユラ=エル=ハラドナ。
そして、魔竜ルインラインだ。
俺たちの存在に気付き、先頭の騎士が歩みを停める。
「──何者だ」
俺は、答えた。
「新しい皇巫女サマが知ってるよ」
「──…………」
リーダーらしき騎士が、ちらりと背後を振り返る。
ハルユラが不敵な笑みを浮かべた。
「来ると思ってたよ、鵜堂 形無」
「か……、かたな……!?」
兵士たちに囲まれたプルの矮躯が、一瞬だけ見えた。
「助けに来たぜ、プル」
「う、あ──」
「静かにしろッ!」
兵士が、プルを一喝する。
それを横目に、ハルユラが全員に指示を出した。
「〈不夜の盾〉以外、すこし離れていなさい」
「は、はあ。しかし……」
「わたしは神託で知ってたわ。ルブロイ=フブラリーシージを殺したのは、彼」
そう言って、優雅に俺を指差す。
「──ッ!?」
兵士たちが、そして〈不夜の盾〉までもがざわめき始める。
「わかったら、プルクトを連れて下がりなさい。死にたくなければね」
「は、はい……!」
兵士と侍女たちが、プルを囲んだまま前庭の端へと避難する。
リーダーらしき騎士が、片眉を上げて尋ねた。
「……お前如きが、本当に、あのルブロイを?」
「さてね。疑うのなら、御主人様に確認取ればいい」
「──…………」
ここで素直に尋ねたら面白かったんだけどな。
ハルユラが、すこし子供っぽい笑みを浮かべた。
「──ねえ、こんな余興はどうかな。あなたたちは三人。〈不夜の盾〉の騎士も三人。順に戦い合って、あなたたちが勝てば魔竜ルインラインへの挑戦権をあげるわ。もちろん、魔竜ルインラインへは三人同時で構わないよ」
「──…………」
「──……」
俺とアーラーヤの視線が、クロケーで交錯する。
クロケーが頷いた。
「オレなら構わない」
「こっちもいいぜ」
「オーケー。その余興、乗ってやるよ」
好都合だった。
アーラーヤの記憶通り、ハルユラは大事そうに肩から鞄を提げている。
隙を突いてハルユラを狙うためには、三人の騎士の存在は邪魔でしかなかった。
「──おッし! 俺から行かせてもらうぜえ!」
握った大型のメイスが小さく見えるほどの巨漢が前に出てくる。
「お前がルブロイを斃しただなんて、俺ァ信じねえ! あの変態は、人間枠じゃ最強だ! 人を超えなすったルインライン様には届かんがな!」
メイスを肩に担ぎ、巨漢が言う。
「──奇跡級中位、ザザム=ヘクランテス! 鵜堂 形無、お前に一騎打ちを申し込む!」
「断る」
「ハアッ!?」
アーラーヤと目配せを交わし、頷く。
「クロケー、行けるな」
「アア」
巨漢──ザザムの顔が紅潮し、まるで茹でたタコのように真っ赤に染まる。
「俺の相手が、こんなガキだとッ! たわけたことをぬかすなあッ!」
「──怖いのか?」
「あァ!?」
「〈こんなガキ〉に負ケルのが怖いのか、って聞いてんだ」
「──…………」
す、と。
ザザムの表情から怒り抜け落ちる。
さすがに〈不夜の盾〉の騎士、怒りに任せて突撃してはこないか。
「──いいだろう、相手になってやる」
俺とアーラーヤ、そして二人の騎士が、無言のうちに下がる。
これは試合ではない。
いつ殺し合いが始まっても不思議ではなかった。
「──…………」
「──……」
クロケーとザザムのあいだに緊張が走る。
そして、
「──ッ!」
クロケーが、左のポケットから魔力銃を一瞬で抜き放ち、ザザムの眉間へと早撃ちをした。
「くッ!」
ザザムが魔力銃の存在を知っていたかはわからない。
もしかすると、ハシュラムで兵士たちが未知の武器を用いて殺害されていたという報告くらいは届いているかもしれない。
いずれにしても、遠距離での不意打ちを初撃で避けるのは、さすが奇跡級中位、さすが〈不夜の盾〉といったところだろう。
ザザムが、魔力銃という武器に怯えず、侮りもせず、即座に近距離戦へと持ち込む。
魔力銃の長所を潰しにかかったのだ。
だが、クロケーは、一瞬でその場を飛び退いた。
その距離、一歩で二十メートル超。
「──は?」
通常、体操術で可能な身体能力の限界を超えている。
恐らく神代の体操術を扱っていたラライエほどではないにせよ、実力者が一瞬呆気にとられるほどの跳躍だ。
そして、当然、同時に引き撃ちも行う。
「ぐ、……ッ! 卑怯な!」
魔力の銃弾が、ザザムの腕を、足を、掠めていく。
銃弾を避けつつ、メイスで打ち払っているのだ。
正確無比なクロケーの射撃に初見でここまで対処できているのは、正直驚きだった。
だが、このままではジリ貧だ。
「うおおおおおおおお──ッ!」
覚悟を決め、ザザムが吶喊する。
その瞬間、ザザムには、クロケーの姿が掻き消えたように見えたことだろう。
「──あ、……れ」
ザザムの体が右へ倒れていく。
彼の右足が完全に寸断されていたのだから、それは道理だ。
すべて、クロケーの計算通りだった。
クロケーは、身体能力が高すぎて、自分の体の動きを自分で把握しきれない。
単純な動き、単純な一閃で事を済ませるため、相手がこちらへまっすぐ向かって来る状況を作り出し、圧倒的な速度ですれ違いざまに右足を切断したのだった。
クロケーは奇跡級下位相当の実力ではあるのだが、魔力銃という遠距離攻撃手段と身体能力のおかげで、ジャイアントキリングを起こしやすい。
かく言う俺も、アーラーヤも、幾度かはクロケーに白旗を上げているくらいだ。
「……ハルユラ。お前も治癒術、使えるのか?」
「安心して。使えるけど、使わないよ。使っても仕方ないし、疲れるもの」
「は、……ハルユラ、さま……!」
ザザムが、右足の切断面から溢れる血で石畳に線を引きながら、ハルユラの元へと這っていく。
「お、ね、……お願い、します。御慈悲──」
「魔竜ルインライン。ザザムを楽にしてあげて」
「──…………」
ルインラインが、長剣を抜くこともなく、人差し指を軽く動かした。
その瞬間、ザザムの首から上が弾け飛ぶ。
遠当ては武器を選ばないらしい。
それが、たとえ、指の一本であったとしても。




