2/皇都コルハイン -1 日食
パレ・ハラドナは銀輪教の総本山である。
五祖の一人であるカガヨウが建国し、エル=タナエルが中天の空へと旅立った場所とされる聖地ハラドナを擁するパレ・ハラドナは、銀輪教の宗教的中心地であり、同時に周辺国の規範となるリーダー的な国家でもあった。
ただし、それは、皇巫女に神託が下賜されていた三年前までのことだ。
パレ・ハラドナはエル=タナエルに見放された──そんな噂が千里を走り、トレロ・マ・レボロとの関係の変化も相俟って、現在の政情はかなり不安定になっているようだ。
パレ・ハラドナに入国して二日後、俺たちは、皇都コルハインへ向かう道中にある小都市へと立ち寄っていた。
預かり所に騎竜車を預け、昼食を取るために市街地を歩く。
なんとなく落ち着かない俺は、二人に小声で話し掛けた。
「──なんつーか、上品で小綺麗な国だな。軍隊はアレなくせに」
街には緑が、花が溢れ、よく手入れされている。
道行く人々も身綺麗で落ち着いており、こうして会話をしながら歩くのも少々はばかられるくらいだった。
「そら、ここは皇都が近いからな、徳のたかーいやつらが集まってんのよ。パレ・ハラドナの国民は、聖典を重んじ、エル=タナエルの教えに殉じて生きることを至上の喜びとする。起きたときに顔を洗うか歯を磨くか、その順番まで決まってるらしいぜ」
「うへえ……」
たとえ思ったとしても、馬鹿らしいなどと口にすべきではないのだろう。
彼らの生き方を否定してはいけない。
たとえ、エル=タナエルが、純人間を根絶させようとした張本人であったとしてもだ。
「……コイツら、自分の国の軍人タチが亜人を虐殺シテるなんて、知りもしないんだろうな」
クロケーが、複雑そうな表情で、行き交う人々を眺めている。
「誰が悪いんだろうな。誰の罪なんだろうな。もう、わかんねえや」
俺が殺した兵士の中にも、上から命令されて嫌々ながらに従っていた人もいただろう。
道行く人々の家族だったかもしれない。
わかっている。
だが、もしも再び同じことが起きたとしても、俺はまた同じように、兵士たちを躊躇なく殺すだろう。
俺は亜人を助けたかったし、パレ・ハラドナ軍の蛮行を止めたかった。
自分の心が指し示した目的に対し、俺は犠牲を厭わない。
半年前の自分が今の俺を見たら、何を思うだろうか。
自分が善に傾いたのか、悪に染まったのか、それすらもわからない。
確実に言えるのは、強くなったこと。
それだけは疑いようのない事実と言えた。
「メシ、何食う? 干し肉にクソ硬いビスケット、あとは煮豆の缶詰くらいしか食ってないから、作りたてならなんでもいいんだけど」
「オレ、ステーキ食いたい!」
「いいねえー」
皿いっぱいの焼きたての肉。
想像しただけで唾液が溢れてくる。
「胃袋元気で羨ましいやな。俺はサラダ食いてえ。生野菜が足りてない気が、神殿出てからずーっとしててな……」
「ああ、それもわかるな……」
不健康な生活をしている自覚があると、たまに生野菜を大量に食べて罪悪感をリセットしたくなる。
アーラーヤのそれとは違う気もするが、生野菜サラダも食べたい気分ではあった。
「ま、そこらの適当な食堂でいいだろ。難しい注文じゃねえし」
「そうだな」
懐中時計を取り出し、時刻を確認する。
長針と短針とが真上で重なっていた。
ぴったり正午だ。
「お、ちょうど──」
二人に話し掛けようとしたとき、懐中時計の文字盤が唐突に暗くなった。
「……?」
周囲を見渡す。
すべてが闇に没していた。
「ナッ、ナナ、……ナンダ……!?」
「おいコラ」
慌てたクロケーが武器に手を掛けるのをアーラーヤが止める。
「落ち着け。ただの日食だから」
アーラーヤの言葉に、俺は、南の空を見上げた。
太陽が、巨大な月の後ろを通っている。
「月が沈まないから、日食が多いんだったな」
以前、ヤーエルヘルがそんなことを言っていた。
パレ・ハラドナは、月が真南に見える国の中で、一年間における日食の回数が最も多いのだ、と。
「なる国は毎年同じ時期の同じ時間に見られるんだが、ならねえ国は絶対ならんのよ。この様子だと、バレボロでは日食は見られないのか?」
「ア、アア……。初めて見た」
周囲を見渡すと、道行く人々が全員、日食に右手の甲を向け頭を垂れている。
「……前から思ってたんだけど、サンストプラ式の敬礼って、やっぱ銀輪教から来てんのかな」
「ああ、こいつか?」
アーラーヤがこちらに右手の甲を向けた。
「確か、陪神イルザンハィネスの逸話から来てんじゃなかったか。イルザンハィネスは右手が燃えている。だから、相手に害がないことを示すために、手のひらではなく手の甲を相手に向けるんだとかなんとか。それが転じて、相手に敬意を表すジェスチャーになったんだと」
「あー、なるほどな。そういうのあるよな」
クロケーが小首をかしげる。
「……ン? ジャア、なんで日食に向かって手の甲見せるんだ?」
「え、知らん」
「言われてみれば」
エル=タナエルそのものである月に敬礼するのはいいとしても、わざわざ日食中にそれを行う理由は思い当たらない。
そんな会話を交わしていると、日食が終わった。
周囲が暖かく照らし出され、日食の前よりも明るくなったように感じられた。
「ハー……、スゲーもん見たなあ」
年相応の顔に年相応の表情を浮かべ、クロケーが感動を表すように幾度も頷いている。
「──もし」
ふと、誰かに話し掛けられた。
振り返ると、白く染まった髪を後頭部で綺麗にまとめた福々しい老婆がいた。
「あなた方は、旅の御方?」
「ええ、まあ。大陸中回ってますね」
「そうですか。盗み聞きするつもりはなかったのですが、お話が聞こえてしまって」
「……何か失礼でもしてしまいましたか?」
不安になって尋ねると、老婆が微笑みながら首を横に振った。
「いえ。日食の最中に敬礼する理由、お知りになりたいかと思って……」
「ア、知りたい!」
「ふふ。陪神イルザンハィネスは、太陽そのもの。これは御存知でしょう?」
「ウン、そのクライは」
やべ、知らなかった。
無知がバレないように、知ってますよという顔をしながら黙っていることにする。
「日食のとき、イルザンハィネスは休憩しているの。エル=タナエルの御許で、すこしだけね。だから、いつも私たちを照らしてくれてありがとう、と敬礼をするのよ」
「ナルホド……」
敬礼しても向こうから見えていないのでは、というツッコミは野暮なのだろうな。
「この季節にパレ・ハラドナにいれば、きっと、また日食に出会うわ。そのときは、あなたたちも、イルザンハィネスにお礼を伝えてあげてね」
「アア、ワカッタ。教えてくれてアリがとう!」
老婆が微笑み、こちらに敬礼をする。
俺たちもそれに応じ、親切な老婆を見送った。
「──さ、メシだメシ。皇都までマトモなモン食えねえぞ。今のうちに食えるだけ食っとけ」
「ああ」
「オウ!」
俺たちは、すぐ近くにあった食堂に入り、肉と野菜をたらふく食べた。
皇都コルハインは近い。
プル、待っていてくれ。
俺は、お前を、必ず助け出す。




