1/ハシュラム -10 天眼一閃
「か、……はッ!」
「……んー?」
ルブロイが、神槍を肩に担いで言う。
「なんで体操術使わないの? それじゃ、さすがにボクには勝てないって」
「……使えッ、ない、……んだよ……!」
「使えない──って、ああ!」
納得したように頷き、ルブロイが目を輝かせた。
「その右手の、義術具か! すげー! 灰燼術の義術具なんてあるんだね」
「──…………」
「しかし、すんごいなあ。体操術ナシで奇跡級特位だなんて、この世界に君しかいないんじゃない?」
「そうッ、……かもな!」
肉体に鞭を打ち、無理矢理に立ち上がる。
「うん、気に入った!」
ルブロイが、俺を指差す。
「君さ、名前なに? 部下にしてあげるよ! そしたら女の子抱き放題だぜ。いいだろ!」
「──…………」
足元を見る。
四肢のすべてを切断された全裸の遺体が、悲しげな表情を浮かべたまま転がっていた。
「……ごめんだね。趣味が合わない」
「そう?」
心底残念そうに、ルブロイが目を伏せる。
「ざあんねん。せっかく〈不夜の盾〉を、また最強軍団に戻せると思ったのに……」
ルブロイが、神槍を構えた。
「まあ、武術士の命の捨て場所は自由だよね。かかってきなよ。せめてボクが摘んでやるからさ」
「できるもんなら、なッ!」
ルブロイにできるのならば、俺にだってできる。
俺は、まず、初撃で燕双閃・自在の型を放った。
当然のように、ルブロイが一歩大きく距離を取る。
二撃目。
これも燕双閃・自在の型だ。
「──っと、とと」
燕双閃・自在の型の一撃目を連続で行うことで、ルブロイに大振りでの回避を強要する。
神剣を弾く形での対処は、神槍にはできまい。
白き神剣を打ち払おうとすれば、いくら神槍と言えど無傷では済まないはずだ。
だが、これでは当たらない。
ルブロイとダンスを踊っているだけに過ぎない。
相手のミスを待つ戦法では、体操術で持久力を底上げできない俺が不利だった。
そして、相対しているのが陪神級の武術士ともなれば、ミスを期待するほうが間違いだ。
──一つだけ、思いつく手があった。
だが、針の穴を通すような成功率でしかない。
それを乗り越えてすら、思い通りに事が運ぶとも限らない。
俺は、迷っていた。
「……もう、全部見たなあ」
ルブロイが呟く。
「君、全部出し切ったでしょ。終わりだね。勝てないよ」
「……わからないぜ」
「わかるさ」
恐ろしく冷たい声が、炎に巻かれた最上階に響いた。
「──もう、手加減しないしね」
ルブロイがそう言った瞬間、十メートルはあった距離が、これまでの倍の速度で詰められる。
「な──」
見えている。
見えてはいる。
だが、対処しきれない。
繰り出されるは、燕双閃・自在の型。
俺は、反射的に後ろに飛び退いた。
「暴れろ、ダウナシュート」
──ブオンッ!
ダウナシュートから放たれた螺旋の風が、かつてない勢いで俺を吹き飛ばす。
「──カタナサンッ!」
クロケーがこちらへ駆け寄るのが見えた。
やめろ。
来るな。
──ドゴォ……ンッ!
俺の体が、時計台の文字盤を突き抜ける。
次の瞬間、クロケーが、俺を助けるために飛び出していた。
馬鹿野郎。
クロケーが、空中で俺を抱き締める。
嗚呼。
まだまだ死ぬなってことかよ。
落下する。
落下する。
落ちるはホテルの屋上だ。
高さは十数階相当。
だが、落下時間が長いことが幸いした。
右手の人差し指と小指を立てる。
──キュボッ!
俺は、灰燼術にて白き刀身を形作ると、それを真下へと振り下ろした。
──ボンッ!
白炎の火勢で、一瞬、ふわりと浮き上がる。
「ワアッ!」
俺とクロケーが、高さ二メートル地点から改めて落ち直す。
着地の際に足が痺れたが、問題はない。
時計台の高さから落ちて、痺れたで済むなら御の字だろう。
「大丈夫か、クロケー!」
「ナ、ナンとか……」
「無茶すんなよ……」
「ゴメン」
クロケーが、小さく頭を下げる。
だが、これでルブロイとの距離が開いた。
一度撤退し、アーラーヤを連れて──
──ブァオッ!
クロケーの背後にルブロイが落ちてくる。
俺と同様に、神槍の風で落下の衝撃を相殺して。
「ナッ!?」
ルブロイが風を操作し、優雅にホテルの屋上へと舞い降りた。
「へえー、こういう使い方もできるんだ。勉強になるなあ」
「どんどん人間離れして行きやがって……」
「それ君に言われたくないからね」
「──…………」
逃げ回ることはできない。
立ち向かうしかない。
俺は、覚悟を決めた。
「……次で終わる」
そう告げ、白き刀身の消えた神剣を構える。
「いいねいいね、その目! まだ何かあるんだ。楽しみだあ」
ルブロイが隙なく神槍を構える。
「ねえ、どっちがいい? 攻めるほうと、攻められるほう。決めていいよ」
「なら、攻められるほうで」
「受けかあー」
「受けとか言うな」
軽口を叩き合う。
次の一撃が決まれば、ルブロイは死ぬ。
失敗すれば、俺が死ぬ。
「──じゃあ、最後は君の技で行こう。気に入ったよ、これ」
燕双閃・自在の型で来る。
なんとなくだが、この男は、戦闘においては嘘をつかない気がしていた。
誠実ゆえではない。
自らの技量に圧倒的な自信があるからだ。
右手の人差し指と小指を立てる。
耳慣れた音と共に、白き炎が刀身を成した。
「行くよ」
その言葉と同時に神眼を発動する。
ルブロイが、体操術を用いた瞬速で、瞬く間に距離を詰める。
そして、俺の顔面へと神槍の突きを放った。
右に避ける。
左に避ける。
上体を反らす。
距離を取る以外のどの回避方法であっても、ルブロイはそれに合わせ、不可避かつ必殺の二撃目を放つだろう。
だが、俺は距離を開かなかった。
頭を左に傾け、ギリギリで避ける。
神槍の突きが、途中で止まった。
俺の回避行動によって生まれた隙に対し、ルブロイが流れるような二撃目を放つ。
「──…………」
俺は、アルクハルヴァ神殿での一ヶ月間、ひたすらアーラーヤとクロケーとの模擬戦に明け暮れていた。
だが、同時に、一人の時間に試していたことがある。
神眼のさらなる深化、さらなる思考の加速だ。
俺の神眼は、特に意識しなければ、通常の五倍程度の思考加速を誇る。
一分間が五分間にも感じられるというわけだ。
さらに集中すれば十倍の思考加速まで可能だが、脳を酷使するため長時間の維持は難しく、また必要なときでも一瞬だけ深めれば事足りるため、これまで深化の鍛錬を怠ってきた。
それよりも、神眼の即時発動及び継続時間の延長を優先してきたのだ。
だが、一ヶ月間という猶予を与えられたことで、神眼の深化に対しても目を向けることができた。
現在の俺は、十二倍程度の思考加速を、以前より遥かに長い時間維持し続けることができる。
そして、あるとき、ふと思い至った。
それは、あまりにも荒唐無稽な思いつきだった。
──もし、神眼の発動中に、さらに神眼を重ねることができたとしたら?
そんなことは不可能に決まっている。
走っている最中にさらに走ってみたら、などと提案されて、首をかしげない人はいないだろう。
ただの言葉遊びに過ぎない。
だが、俺は試してみた。
何度も、
何度も、
何度も、
何度も──
そして、数千回の試行の果てに、一度だけ成功してしまった。
俺は、
さらに深く、
深海に潜るように、
──二重に神眼を発動した。
音が止まる。
風が止まる。
時が、止まる。
そう。
体感でたったの数秒に過ぎないが、発動すれば、静止した時の中で思考することができる。
俺は、この神眼を超えた神眼を、密かに天眼と名付けていた。
だが、意味などない。
自らの死を数秒間遠ざけるだけだ。
「──…………」
本当にそうだろうか。
天眼は、たったの一度きりしか開くことのできなかった扉だ。
何かを試す暇はなかった。
だから、もし再現が可能だとしたら、やってみたいことが一つだけあった。
天眼を発動した状態で無理矢理にでも動いてみたら、果たしてどうなるのだろう。
俺は、揺らめきすら停止した白き神剣を、意志の力で強制的に動かした。
本来不可能なはずの動きに、筋繊維がねじれるような違和感を覚える。
だが、無視する。
痛みはない。
痛みは、まだ、訪れない。
時が止まっているのだから。
俺は、
両の手で握った白き神剣で、
ルブロイの上体を真横に切断した。
天眼一閃。
──そして、時が緩やかに流れ始める。
俺のこめかみを狙っていたはずの神槍が、外れた。
「あ、……──れ?」
溶断されたルブロイの上体が、そのまま真横に倒れていく。
上半身と下半身が、別方向に落ちて、倒れた。
焼け焦げた傷は、ルブロイに、ただの一滴の血液も流させなかった。
「なん、で……?」
わからないのだろう。
わからなくていい。
わからないまま、死ねばいい。
「──づ、あ……ッ」
腕が熱い。
痛むどころではない。
腕から、足から、全身から血液が噴き出し、俺はその場に倒れ伏した。
「ぼ、……うえッ! ごぼ、……ぼェ……ッ!」
胃の内容物と共に、血液まで吐き出す。
「か、カタナサン……ッ!?」
「ず、……ばん、グロ、ケー……。アーラーヤのどごろ、まで……」
「ワカッタ!」
クロケーが、俺を両肩に担ぎ、駆け出した。
ホテルの屋上から、それぞれの階のバルコニーを足場にし、ほんの数秒で地面へと到達する。
亜人の身体能力と、体操術の掛け合わせ。
やはり、とんでもない。
体と顔のあちこちから血液を垂らしながら、俺の意識は徐々に薄れていった。




