1/ハシュラム -9 ルブロイ=フブラリーシージ
「行くぞ」
俺は、最上階の扉へと手を掛けた。
「……ウ」
クロケーが、軽く嘔吐く。
嗅ぎ慣れた悪臭がした。
血の臭いだ。
「ふっ、……フッ、……あ、ああ、そろそろイく、イくよ……!」
ぱちゅ、ぱちゅ、ぱちゅ、ぱちゅ。
粘液が叩きつけられる醜悪な音が響く。
亜人の女性が犯されているのだろう。
ルブロイは無防備だ。
今のうちに殺してしまいたかったが、女性を巻き込む危険がある。
俺は、クロケーに目配せをすると、最上階の奥へと慎重に歩を進めた。
大時計台の文字盤の裏側が見えてくる。
複雑な機構を持つ、高さ五メートルほどの巨大な機械仕掛け。
思わず目を奪われる光景の真下で、褐色肌の大男が必死に腰を振っていた。
「──ウッ!」
男が達する。
俺たちは、その光景から目が離せなかった。
何故なら、
男が陰茎を突っ込んでいたのは、
首のない女の遺体の喉穴だったからだ。
「ア、……アア、ア……ッ!」
あまりの恐怖とおぞましさに、クロケーが数歩ほどたたらを踏む。
「──ん? なにさ、君たち。ボクたちの情事を邪魔しないでほしいなあ」
こいつは、駄目だ。
今すぐ殺すべきだ。
咄嗟にそう判断し、俺は薄刃の長剣の代わりに折れた神剣を抜き放った。
ルブロイまでの距離を数歩で詰めながら、灰燼術によって白き刀身を成す。
そして、そのまま燕双閃・自在の型で以て、ルブロイの上体を両断──しようとした。
だが、
「ほい、──っと」
ルブロイが、今まで喉穴を犯していた首のない死体を蹴り上げ、空中で俺に向かって再び蹴り込んだ。
「くッ」
反動で、大きく距離を取られる。
ルブロイが、膝まで下ろしていたズボンをゆっくりと上げた。
「──今の、ヤバい技だねえ。あと、その剣熱いから近付けないでくれる?」
「な──」
白き神剣での燕双閃・自在の型は、初見の相手に対し、まさに〈必殺〉を誇る。
初手で破ったのは、魔竜ルインラインくらいのものだ。
「……お前は、なんだ」
「ルブロイ=フブラリーシージ。知らない? まあ、知らないかあ。ルインラインに比べたら無名も無名だもんな……」
ルブロイが、すこし落ち込んだように肩を落とす。
「こんなんでも、〈不夜の盾〉で最強って言われてるんだよ。ルインラインが一回死んで、おかしくなっちゃってからだけど」
「……アイヴィルより強いのか」
「あハッ!」
ルブロイが、子供のような高い笑い声を上げた。
「あの子、たかだか奇跡級上位でしょ?」
「……たかだか?」
「うん。だって、ボク陪神級の槍術士だし」
「は……?」
脳が理解を拒む。
陪神級?
魔竜となる前のルインラインと、同格?
呆然としたのは、ほんの一瞬のことだった。
だが、ルブロイにとっては、その一瞬で十分だった。
高々と跳躍したルブロイが、空中で翻り背後に着地する。
そこには、一塊の巨大な翡翠から削り出したような、無骨な槍があった。
「──よーく見たら、それ、ルインラインの神剣アンダライヴじゃん。なんで持ってんの?」
「……形見だ」
「ちょうどいいや!」
ルブロイが満面の笑みを浮かべる。
「ねえ、この神槍ダウナシュートと比べっこしよう! さすがに相手がルインラインじゃ分が悪かったからさ。でも、相手が君ならなんとかなりそうだし」
「──…………」
二十秒が経過し刀身の掻き消えた神剣を構える。
「クロケー、手を出すな」
「ウ、ウン……」
ここからの戦闘には、巻き込めない。
クロケーを守る余裕が、ない。
相手は、世界に四人しかいない陪神級の武術士だ。
世界一の剣術士がルインラインだとすれば、世界一の槍術士が目の前の男なのかもしれない。
いくら白き神剣で下駄を履いて特位に届いたとしても、勝てるかどうかわからない。
俺は、右手の人差し指と小指を立てた。
──キュボッ!
「──らあッ!」
白き炎が刀身を成すと同時に、大上段から最大火勢で広範囲を焼き尽くす。
時計台など知るものか。
だが、ルブロイが慌てることはなかった。
その場でくるりと槍を回したあと、素振りのように虚空を貫く。
瞬間、
──ブオッ!
竜巻の如き暴風が、最上階に吹き荒れた。
ルブロイに到達する前に、白き炎がこちらへ押し返される。
「チッ!」
このままでは押し負ける。
俺は、炎竜に対してそうしたように、白炎の起こす熱風を二度三度と叩きつけた。
互角。
炎と風は俺たちの中央で弾け、時計台の最上階を炎で包み込んだ。
六千度の火の粉が各所で燃え上がり、熱で空気が揺らめき始める。
「おおー」
ルブロイが、感心したように幾度も頷いた。
「出力だけならダウナシュートが勝つと思ったけど、綺麗に互角か。ボクたち相性いいね」
「ふざけろ」
白き炎の火勢を最大にし、背後に放つ。
クロケーに勝るとも劣らぬ速度で、俺はルブロイへと肉薄した。
燕双閃・自在の型。
神眼を用いた不可避の一撃。
ルブロイが、こちらを見てから左に避ける。
その僅かな隙に二撃目を叩き込もうとして、俺は見た。
ルブロイの唇が、加速した俺の思考と等速で動くのを。
唇を読む。
な。
か。
ま。
だ。
ね。
「──ッ!」
正体不明の悪寒が走り、俺は白炎を操って距離を取った。
その瞬間、ルブロイが神槍ダウナシュートで風を操り、一瞬で間合いを詰める。
槍が、俺の肩を狙う。
上体をひねり、避けようとして気が付いた。
槍の軌道が変化しつつある。
俺の動きに、合わせて。
理解する。
これは、燕双閃・自在の型だ。
白炎で得た機動力で、俺は再び大きく距離を空けた。
燕双閃・自在の型は、一撃目の直後、二撃目が届かないほど相手から離れることで無効化できる。
俺は、神眼を一時的に切った。
「──お前ッ!」
「すごいすごい、一発で気付いたね!」
ルブロイが楽しげに笑う。
「ハィネスの神眼って言うんだっけ? これ持ってるやつ少なくてさ! 仲間、仲間」
「──…………」
呼吸を整え、平常心へと切り替える。
「俺も、初めてだよ。同じ神眼持ちと戦うのは」
ハィネスの神眼。
これが、俺の唯一のアドバンテージだった。
白き神剣という規格外の武器も、すべては神眼ありきだ。
ルブロイは俺と同様に神眼を持ち、神剣アンダライヴに対し神槍ダウナシュートを武器としている。
ここまでは互角。
だが、ルブロイは魔術が使える。
体操術を扱うことができるのだ。
明らかに分の悪い相手だった。
「──…………」
折れた神剣を構える。
不利だからと言って、逃げるのか?
それは、できない。
できるはずがない。
パレ・ハラドナの非道を、ルブロイの悪逆を、この目で見てしまったのだから。
時計塔の最上階には、子供から大人まで、亜人の女性の遺体が無数に転がっている。
この男が、玩具にしたのだ。
許せるはずがなかった。
燕双閃・自在の型は、互いに通じない。
俺が攻めあぐねていると、ルブロイが構えを深くした。
「慎重だなあ。もっとライブ感出して行こうよ。こんな風に、──さッ!」
神眼を瞬時に発動する。
速い。
だが、避けられる範疇だ。
ルブロイの得物が長槍であることが幸いした。
手数の多いヘレジナの双剣や、アーラーヤの四刀流であれば、避けるのにもうすこし工夫が必要だっただろう。
──その隙を突かれた。
「ッ!」
連撃の最中、ルブロイが妙な動きをした。
即座に気付く。
燕双閃・自在の型だ。
連撃に挟むという使い方は、編み出した俺ですら一度もしたことがなかった。
何故なら、初撃で相手を無力化できるか、そもそも通じないかの二択だったからだ。
燕双閃・自在の型をまともに食らって立っていた例は、俺の記憶にある限り、頸動脈を焼いて血を止めたジグだけだ。
アルクハルヴァ神殿での一ヶ月の鍛錬では、あくまで初見殺しに過ぎない燕双閃・自在の型は意図的に使わないようにしていた。
既に原理を理解され、対策を知られている技を使う理由はない。
そう考えていたからだ。
ルブロイ=フブラリーシージ。
俺の技を瞬時に見切り、習得し、その応用まで行ってきたこいつは、紛れもない天才だった。
「──くッ!」
無理矢理体をひねり、白炎の火勢と共に、今度は真後ろへと跳躍する。
とにかく距離を取ればいい。
距離を──
「その避け方は、もう見たよ」
思考が加速した世界で相手の声が等速で聞こえてくるのは、不思議な感覚だった。
ルブロイが神槍から風を放つ。
最上階のすべてに延焼しつつある炎が揺らめき、円を描くことで、風の形がわかった。
地面と平行に伸びる竜巻だ。
俺は、両足を床から離してしまっていた。
自ら背後へと跳躍した勢いと合わさり、木枯らしに翻弄される枯れ葉のように、俺の体が最上階の壁へと叩きつけられる。




