3/トレロ・マ・レボロ -終 今の生き方 [第六章・了]
まず、原初に月があった。
宇宙を創造したエル=タナエルが百三十八億年を加速し、自ら月の傍に寄り添った。
月は地球の衛星となり、それが現在へと繋がっているのだ。
「悪い、当たり前のこと聞く。空気は?」
「地球から見た月は、荒廃した空気すらない世界。それは、たとえ技術の力で以て月を訪れたとしても同じことでしょう。地球の者が見ていたのは、エル=サンストプラの遺骸そのものです。その表面に貼り付けられた平らな世界ではない。この〈サンストプラ〉の位相が、外の世界とは僅かにずれている、とでもご理解ください。地球の者が〈サンストプラ〉を訪れるためには、恐らく、エル=タナエルの許可が必要です」
「なるほど……」
エル=タナエルが許可しなければ、たとえ月に降り立ったとしても、〈サンストプラ〉を見ることも、〈サンストプラ〉に入ることもできない。
誰も気付かないはずだ。
「エル=タナエルがカタナさんを〈サンストプラ〉に送り込んだ理由については、正直に言ってわかりません。ですが、[羅針盤]の正体については見当がついています。もちろん[星見台]のことも」
「……教えてくれ」
正直に言えば、真実に殴られすぎてぐらりと来ている。
だが、それ以上にすべてを知りたかった。
「エル=タナエルと陪神たちは、それぞれ、気に入った人間に加護を与えることができます。[星見台]は陪神ヤーエルヘルの加護です」
「ああ……」
思わず納得する。
ネルが死んでしまったとき、ヤーエルヘル──ヤガタニは[星見台]の選択肢が見えているかのように振る舞っていた。
「以前に一度言った通り、[星見台]は、その選択肢の行動が可能であると教えるだけの加護に過ぎません。ただ、ちょっと混乱させる部分がありまして」
「……?」
「ええ。直近であれば、影の魔獣の存在に気付いたとき、バレボロへ行くかどうかの選択肢が現れたはずです。覚えていますか?」
「ああ、あった気がするな……」
「あれは、ヤーエルヘルの心の迷いです。あの子が迷うと、本来の[星見台]とは異なる選択肢が出てしまうことがあって……」
「ヤーエルヘル本人もわかって出してるわけじゃないから、たまにバグることがあるって感じか」
「ばぐる、という言葉の意味はわかりませんが、当たらずとも遠からずではないでしょうか」
ヤーエルヘルがわたわたと焦っている姿が想像できて、微笑ましい。
「次に、[羅針盤]。これは恐らくエル=タナエルの加護でしょう」
「だろうな……」
他に心当たりがない。
俺をサンストプラへと送り込んだのがエル=タナエルだとすれば、彼女の加護であるとするのが自然だ。
「こちらも推測が混じります。名前も記憶も権能も奪われたとは言え、ヤーエルヘルは陪神です。エル=タナエルが何かをすれば、おぼろげにそれを察知することはできる。カタナさん。あなたは、無意識のうちに繰り返しています。この物語を」
「……繰り返す?」
「はい。ラライエのときが顕著だったのですが、あそこで何度も黒枠の選択肢が現れたと言ってましたよね?」
「ああ。そう話したけど……」
「まず、何かの行動を取り、カタナさんが死んだとします。ある程度の時を遡り、再び同じ地点まで進む。そのとき、以前に取った行動が黒枠の選択肢として現れる……」
「何度も何度も死んだから、あれだけの黒枠の選択肢が現れた──ってことか?」
「恐らくは」
「──…………」
事の正誤はわからない。
だが、納得の行く仮説ではあった。
[羅針盤]は、必ず、強敵と共に現れた。
最初はルインライン。
次は、ラライエ。
炎竜のときに現れなかったのが不思議だが、あれは一発クリアしたということなのだろうか。
「……なるほどな。道理で気に入らないわけだ」
「気に入らない、ですか」
「困難を乗り越える能力には違いないだろうさ。でも、人のことをコマとしか見ていやがらない。何度も繰り返して、何度も死んで、試行回数の暴力で無理矢理進めてやがるんだろ。今のこの俺を、一人の人間として見ていない。〈一回〉としてしか見ていない。そんなやつ、好きになれるか?」
ヤガタニが苦笑する。
「……なれませんね」
「純人間を滅ぼそうとしたとこからもわかるけど、性格悪いぜ。絶対」
クロケーが、複雑な表情で忠告する。
「……ソレ、外で言わないほうがイイぞ。絶対」
「言えるか、こんなこと」
袋叩きにされるわ。
「私から教えられるのは、こんなところでしょうか。質問があれば受け付けますが」
アーラーヤが小さく右手を上げる。
「なあ、ヤガタニちゃん。[星見台]はお前の好きなように出せるのか?」
ヤガタニが、そっと首を横に振った。
「私はただの器ですから、自在にとは。それに、時間の操作を続ける以上、私はヘレジナさんの傍にいるつもりです。カタナさんの隣には立てません。[星見台]でのサポートはできないと思ってください」
「ま、そう甘くはないやな」
今度はクロケーが口を開く。
「ソウダ。時間、戻すコトはできないのか? ヘレジナサンが怪我を負う前まで」
「……すみません。少なくとも私には、時の加速か減速しかできないのです。権能を取り戻したヤーエルヘルであれば、あるいは可能なのかもしれませんが」
「いや、十分だからな。クロケーもいちおう確認しただけだろ」
「ア、ウン。できたらイイナってだけ……」
ヘレジナの死を可能な限り遠ざけられるだけで御の字だ。
あとは俺たち次第だった。
「ああ、俺も一つ思いついた。エル=サンストプラの死骸でこの世界はできてるんだろ。にも関わらず、ハルユラは自分をエル=サンストプラの皇巫女と名乗った。もしかして、エル=サンストプラはまだ生きてるのか?」
「わかりません。ですが、ハルユラの言葉を信じるのであれば、その通りなのでしょう。しかし、五祖の一人であるカガヨウの血族にエル=タナエルが神託を授けていた理由すら、そもそもわからないのです。まさに、神のみぞ知る、というところでしょうか」
「なるほどな……」
謎は、いまだ残っている。
ヤガタニに聞き忘れたことがないかと黙考していると、クロケーが遠慮がちに尋ねた。
「[羅針盤]で繰り返せバ、イツカは絶対に乗り越えられるんだ、……よな?」
「──…………」
俺は、クロケーの頭頂部に手刀を落とした。
「ダッ!」
「そんなもん当てにすんな。繰り返せばお前の記憶は消える。俺の記憶も、アーラーヤの記憶もな。それって、死ぬのとどう違う?」
「デモ……!」
「繰り返せたとしても、忘れちまうんなら意味はない。人生に二度目はない。〈次があるから〉なんて言いながら、全力も尽くさずにお前は死ぬのか?」
「──…………」
クロケーが目を伏せる。
「……すみません。[羅針盤]については説明しないほうがよかったかもしれませんね」
「いや、いいんだ。ずーっと気になってたからな。腑に落ちたよ」
「そうですか……」
長い、長い話だった。
俺は、首をぐるりと回したあと、アーラーヤとクロケーを振り返った。
「一晩休んで出立しよう。パレ・ハラドナへ」
「ああ。一生分驚いたおかげで、眠れるかどうかわかんねーけどな」
ヤガタニが得意げに言う。
「それは安心してください。しっかり英気を養えるまで、時の流れは緩めておきますから」
「お、そいつはありがてえな。それと同時に、この程度じゃ驚かなくなっちまった自分がどうにもアレだが……」
寝床をどうするかヤガタニに相談していたとき、不意にクロケーが大声を上げた。
「──アッ!」
「うおッ! ど、どうしたよ、クロケー」
「ヤガタニ! ヘレジナサンとオレたちの時間って切り離せるか?」
「え、ええ。時間の流れは部屋ごとに調整できますから」
「ナラ、ギリギリまで鍛錬したい!」
「……ほう」
ヤガタニが、感心したように頷いた。
「私が頑張れば、最長で、一晩を一ヶ月程度にまで引き延ばせます。せっかくですし、修行、していきますか?」
「アア!」
俺は、クロケーの背中をポンと叩き、親指を立ててみせた。
「ナイスアイディア」
「頭いいじゃねえか、クロケー」
「へへ……」
主神級、魔竜ルインライン。
月も地球も引っくるめて世界最強の生物の姿を思い出す。
「あの魔竜にどれだけ近付けるかはわからない。でも──」
自分の手を見つめる。
剣ダコだらけになってしまった、固い、固い、手のひらを。
そして、その手で拳を作った。
「俺の人生は、一度きりだ。やれること全部やって、一つ残らず取り戻すぞ」
「おう!」
「オレ、奇跡級目指すカラな!」
「ははっ!」
クロケーの人柄と、強くなることへの熱意。勤勉さ。
彼を見ていて確信する。
クロケーは、ヤガタニが与えてくれるこの一ヶ月で、奇跡級へと昇格するだろう。
「──…………」
たとえ[羅針盤]で繰り返せるとしても、幾度もやり直せるとしても、この俺は一度きりだ。
自分の人生を〈一回〉と数えるような真似はしたくない。
強くなろう。
可能な限り。
プルを救い出す。
そして、ヘレジナも助ける。
すべてをこの手に取り戻して、ハッピーエンドを目指すのだ。
わがままと蔑まれてもいい。
必死だと笑われたって構わない。
俺のすべてを駆使して、パレ・ハラドナへ乗り込んでやる。
それが、かつて絶望のうちに死を選ぼうとした男の、今の生き方だ。
第六章 あとがき
第六章は、さまざまな伏線が回収された章でした。
ヤーエルヘルが陪神であったという事実。
そして、異世界が月であったという真実には、読者諸兄も度肝を抜かれたのではないでしょうか。
しかし、第六章は、第七章への長い長い助走に過ぎません。
連れ去られたプルの運命。
傷ついたヘレジナの容態。
眠りについたヤーエルヘルの未来。
現時点では、すべてに片がついていないのです。
果たして、異世択Reという物語は、どこへ向かうのか。
想像を遥かに凌駕する展開が、形無たちを、そして読者諸兄を待ち受けています。
第一部のラストを飾る第七章を、是非お楽しみください。
もし面白いと感じていただけたなら、一言でもいいのでレビューやコメントをいただけると、筆者の今後の糧となります。
難しいのであれば、★評価のみでも構いません。
どうぞ、よろしくお願い致します。




