3/トレロ・マ・レボロ -24 真実
「エル=タナエルは純人間の次代の知性体を亜人と定め、彼らを保護し、純人間を殲滅しようとしました。そこで反旗を翻したのが、陪神ヤーエルヘルと陪神サザスラーヤです。彼女たちはエル=サンストプラと純人間たちにつき、エル=タナエルと対峙しました」
「……ソシテ、負けた?」
「御存知の通り、神人大戦に勝利したのはエル=タナエルです。エル=タナエルは、あるものを差し出すよう純人間に要求しました。エル=サンストプラの死骸です。エル=タナエルは、大戦によって荒廃した平らな世界を捨て、エル=サンストプラの死骸を元に、新たなる世界〈サンストプラ〉を作り上げたのです。そして、陪神ヤーエルヘルと陪神サザスラーヤに罰を与えました」
罰。
なんとなく想像がついた。
「陪神サザスラーヤに対する罰は、尊厳の収奪。彼女は、ラーイウラ王城に設置された首吊り縄から離れること能わず、その身は五祖であるラライエの玩具とされました」
「ああ……」
あれは、エル=タナエルが与えた罰の成れ果てだったのか。
「陪神ヤーエルヘルへの罰は、名前、記憶、権能の収奪。エル=タナエルは、陪神ヤーエルヘルの名を奪い、最初からエルという陪神であったと歴史を歪めました。そして、ヤーエルヘルと陪神エルとを繋ぐ発想、及び、陪神エルがヤーエルヘルであるという情報の伝達、それ自体を世界法則で禁じたのです。そして、彼女は、とある亜人の体へと封じ込められました。亜人の名は、ヤガタニ。──私です」
「──…………」
「ヤガタニは、陪神ヤーエルヘルの所有する泡沫世界であるアルクハルヴァ神殿で暮らすこととなりました。長い、長い時を。ヤガタニは老いることがありませんでした。神殿の周囲にはエル=タナエルの信奉者が集落を作り、彼女を監視し続けました。千年以上もの長きに渡って」
「ヤガタニ……」
まるで他人事のように話す彼女のことが、心配になった。
「陪神ヤーエルヘルは、一年に一度、年が切り替わる一日だけ目を覚ましました。だから、あの子は、サルナバーレとトゥイレだけしか食べたことがなかったのです。年に一度、村落で決まった世話係が、料理とスグリ酒を差し入れてくれていましたからね。神代から伝わる亜人の料理。飽きないのも当然です。なにせ、一年に一度しか食事をしていないんですから……」
「……ヤーエルヘルが眠っているあいだ、ヤガタニはどうしていたんだ?」
ヤガタニが、当然のように答えた。
「特には」
「何もしてなかったのか……?」
「ええ、何もすることがありませんでしたから。娯楽と言えば、寝室にあるブランコくらいのものです。そんなの、最初の一時間で飽きましたよ」
アーラーヤが、呟く。
「……地獄、だな」
「ええ、最初は。ですが、ぼーっとするコツを掴んだら多少は楽になりました。その後、時間操作ができることに気付いてからは、本当に一瞬でしたね。ひたすら時間を飛ばしてましたから、一年なんてすぐですよ」
「──…………」
何もすることがないまま、千年間幽閉される。
時間操作が可能であったとしても、想像するだに恐ろしい。
だが、実際にそれをされた子が、目の前にいるのだ。
「同情はいりません。私は、もう、外に出られたのですから」
「でも、お前、ヤーエルヘルが起きてるときも……!」
ヤガタニが微笑む。
「あの子の感じたこと。思ったこと。考えたこと。すべてが伝わってきます。あの子が好きなものは私も同じだけ好きですし、あの子が驚けば私も驚くんです。千年間も一緒ですから、同一化が進んできたんでしょうね。私が現状を苦に思うのは、あの子が苦しんだときだけですよ」
それは、ヤガタニの本音なのだろうか。
わからなかった。
ヤーエルヘルとは正反対で、ヤガタニは表情が読みにくい。
「そして、今から二十年前の新年のことです。ハルヴァ──私を監視していた村落が、どうやら大規模な亜人狩りに遭ったようでして……」
「ソレって、ラーイウラの……?」
「ええ、恐らくは。そして、当時の世話係だった方が、あの子を逃がしてくれました。西に、亜人と純人間が共に暮らす地があると言う。そこならば、陪神の魔力を活かす道もあるかもしれない。お前はもう自由だ、さっさと行け──と」
クロケーが目を見張った。
「バレボロ、……だ」
「ええ。あの子は、最初から、バレボロを目指して歩き始めたのです。この神殿は、あの子の作った泡沫世界でありながら、エル=タナエルによって作り替えられたあの子だけの揺りかごでもあります。神殿を出た瞬間から、あの子の生が始まりました。そこからは、あなたたちの知る通り、です」
紅茶の入ったカップで指先を温めながら、呟く。
「……これが、ヤガタニとヤーエルヘルの真実、か」
「はい」
陪神ヤーエルヘル。
ただ者ではないと感じていたが、予想を遥かに超えていた。
ラライエは、ヤーエルヘルが名前を奪われる前から知っている。
だから、その名を聞いたとき、あれほどまでに驚愕していたのだろう。
「──次は、カタナさんについてお話しします。疲れてはいませんか?」
「俺は大丈夫。むしろここでお預け食うほうが嫌だ」
「同じく。ここで切られても困るわ」
「アア。続けてくれよ」
「では」
ヤガタニが指を鳴らす。
「お話しするために、すこし時刻を進めましょう」
青空が橙色に染まり、やがて藍に染まっていく。
「ウオ……!?」
「すげえな、やりたい放題じゃねえか」
「これができるようになった──と言うより、できることに気が付いたのは、二百年くらい経ってからですけどね。早く気付けばもうすこし楽できたんですが」
「……やっぱ、つらかったんじゃん」
「つらくなかった、とは言いませんよ」
そう言って、ヤガタニは苦笑を浮かべてみせた。
「──エル=タナエルは、新世界〈サンストプラ〉をエル=サンストプラの死骸から造り上げたあと、中天の空で長き眠りについた。聖典にはそう書かれていると思います」
「アア。オレもそう習った」
「それは間違いではありません。私たちが普段から目にしているあの月は、エル=タナエルそのもの。ですが──」
ヤガタニが目蓋を閉じる。
「神代、空に星はなかったのです」
「……?」
話の繋がりが、よくわからなかった。
「エル=サンストプラの遺骸を丸め、その表面に平らな世界の一部を貼り付ける。エル=タナエルは、こうして大地を有限にしました。ですが、大地を有限にしたことで、新たな概念が生まれてしまった。それが、宇宙です」
「宇宙……」
「平らな世界には、永遠に続く大地と空しかありませんでした。ですが、丸い世界では、大地は有限、空は無限となってしまった。エル=サンストプラの遺骸に貼り付けた部分以外の無限の大地を、どうにかして処分しなければならなかった。それが、宇宙の始まりです」
「──…………」
「以降は私も詳しくないので、推測も混じります。エル=タナエルは、この世界に固執している。だから〈サンストプラ〉の傍を離れたくはなかった。ですが、無限の宇宙はエル=タナエルを以てしても扱いきれるものではなかったのでしょう。そのため、エル=タナエルと〈サンストプラ〉は一度分かたれました。そして、エル=タナエルは恐らく、こうしたのです」
ヤガタニが、焼き菓子の中にあったナッツを手のひらに乗せた。
ナッツから芽が出て、育ち、花をつけ、実をつけ、枯れて、萎れて、塵となる。
それは、たった数秒のことだった。
「──宇宙を、加速した。そして運命を操作し、〈サンストプラ〉の傍に惑星として再誕したのです」
ヤガタニが立ち上がり、この空間の端へと歩いて行く。
俺たちは、なかば呆然としながらも彼女に続いた。
「この夜空は〈サンストプラ〉から見えるものと同じです。そして、今宵は新月。星がよく見えるでしょう?」
「……ああ」
よく見える。
空にミルクをこぼしたかのような、美しい天の川。
そう言えば、サンストプラに来てから、こうして星を見上げたことはなかった。
あまりにも明るく巨大な月が、星明かりを隠してしまうから。
見覚えのある星空に、思わず里心がつく。
カシオペアに、北斗七星。
確か、この二つの星座から、北極星を導き出す方法があったっけ。
「──……?」
いや、待て。
おかしい。
どうしてだ?
どうして、俺の知る星座がこの世界から見える?
ぞわり。
背筋を悪寒が這い回った。
何故だ。
何故だ。
何故だ──
「気が付きましたか」
「……わからない。わからないッ!」
「わかっているはずです。わかったはずです」
ヤガタニが、俺の手をそっと取る。
「カタナさん。あなたの世界では、エル=タナエルのことをこう呼んでいます」
そして、告げた。
無慈悲にも、真実を告げた。
「──《《地球》》」
「あ──」
地球。
あれが、地球。
ならばここは。
繋がっていく。
何故、サンストプラの月は沈まなかった?
そうだ。
そうだったのだ。
わかってしまえば簡単なことだった。
「月、だったのか。ここは……」
「はい」
月は、地球に常に表側を向けながら公転している。
これを月から見れば、表側にいる限り、地球は決して沈むことはない。
「地球から見た月が、〈サンストプラ〉。こちらから見える月が、地球。月と地球はそういった関係なのです」




