3/トレロ・マ・レボロ -23 神殿
アスファルト舗装された街道を外れ、一日ほど走った先に、その隘路はあった。
岩山と岩山の合間のその道は、騎竜車同士がすれ違えないほどの細さだ。
これ以上幅が狭ければ、騎竜車を放棄して徒歩で向かうしかなかっただろう。
「ヤガタニ。あとどのくらいだ?」
隣に腰掛けたヤガタニが答える。
「そろそろ視界が開けるはずです。そうすれば、到着したも同然ですよ」
薄暗い隘路を進みながら、思う。
「……これ、ヤガタニが出てこなければ、絶対辿り着けなかったよな」
「でしょうね……」
近郊の街や村で情報を集めれば、あるいは見つけることはできたかもしれない。
だが、ここはトレロ・マ・レボロ東県だ。
もしハルユラやルインラインと出会わなくても、首都マウダンテトで引き返す予定だったのだから。
「言いたかないけど、怪我の功名かもなあ」
「ほんと、言いたくはないですけどね……」
「ヤガタニは、自由に表に出られないんだろ?」
「ええ、基本的には。あの子が睡眠を取っているときは出られるんですが、そもそも肉体が眠っているので動けません」
「寝惚けてるときは?」
「……ギリギリ?」
「なら、ヤーエルヘルを抱いて寝てるつもりで、実は中身がお前だったときもあるのかな」
「──…………」
冗談めかして言った言葉に、ヤガタニが不自然に目を逸らした。
「ヤガタニ?」
「なんでしょうか」
「……けっこうあるのか、お前」
「なんのことやら」
「まあ、そういうことにしておこう」
照れくさいし。
そんな雑談を交わしながら、薄暗い隘路をひた走る。
しばらくして、唐突に岩山が途切れた。
そこは、樹齢数百年と思しき巨木が並び立つ神々しい森だった。
周囲には、質素な生活をしていたであろう村落の廃墟がある。
廃墟は苔と雑草とに覆われ、二十年の時を偲ばせた。
「ここからは歩きましょう。神殿の付近は舗装されているので、騎竜のごはんがありません」
「あいよ」
騎竜の周囲に杭を打ったあと、アーラーヤにヘレジナを背負わせてもらい、俺たちは森の中を歩き始めた。
「あの岩山の奥に、こんなとこがねえ……」
アーラーヤが、物珍しげに周囲を見渡す。
「ナンデ、こんなトコ住んでたんだ……?」
「それは神殿に入ってからお話しします」
「ワカッタ」
深く生い茂った雑草を掻き分けながら、巨木の森を抜ける。
その先に見えたのは、周囲を清涼な濠に囲われた白亜の神殿だった。
デザインとしては仏教寺院を彷彿とさせるが、そのすべてが白大理石によって形作られており、眩しいほどに白い。
二十年間も放置されていたとは思えない美しさだ。
「スゲー……」
「ああ……」
思わず立ち止まり、見上げる。
岩山も巨木もない青空に、丸みを帯びた神殿の屋根が映える。
思わず目を見張るほどの光景だった。
「さあ、こちらへどうぞ」
ヤガタニが、本来扉があるべき壁に指先で触れる。
すると、大理石でできた壁に波紋が広がった。
「……どうなってんだ、こりゃ」
まったくの同感だった。
とぷん、と、当たり前のように玄関を抜けるヤガタニを追って、俺たちはアルクハルヴァ神殿へと足を踏み入れた。
入った瞬間、空気が変わるのがわかった。
これまでも清浄だった空気が、冷たく、無機質で、一切の穢れのないものへと取って代わったように感じられたのだ。
「──…………」
周囲を見渡す。
俺たちは、確かに、神殿へと入ったはずだった。
しかし、まるで鳥かごの中のように、柱と柱の隙間から果てのない空間が繋がっている。
それだけではない。
雲海が、俺たちの立つこの場所よりも、遥か下方に広がっていた。
「空、……か?」
仮にここが空の上だと仮定すれば、空気の冷たさも、清浄さにも、納得が行く。
「ええ。ここは、正確に言えばサンストプラではありません」
「サンストプラじゃ、……ナイ?」
「はい」
ヤガタニが、俺たちを振り返り、優雅に一礼した。
「ここは、とある泡沫世界。《《陪神ヤーエルヘル》》の世界です」
「──……は?」
辛うじて声を出せたのは俺だけだった。
アーラーヤも、クロケーも、あまりのことに硬直したままだ。
「陪神、……ヤーエルヘル?」
「ええ。まずは聖典の真実をお伝えいたしましょう」
ヤガタニが、パチンと指を鳴らす。
すると、まばたきのうちにソファとテーブルが現れた。
テーブルには、湯気の立つ紅茶と高級そうな焼き菓子が乗せられている。
「ヘレジナさんはそちらへ」
「あ、ああ……」
ヘレジナを、ふかふかの長椅子に横たえる。
アーラーヤとクロケーが、放心状態で口を開いた。
「……とんでもねえことになってきたな……」
「ウン……」
まったく同感だ。
ヤガタニが出した一人用のソファに、それぞれが腰掛ける。
それを確認したあと、ヤガタニが話し始めた。
「──千年の昔、世界は平らであり、また名もありませんでした。エル=タナエルは、彼女の創り出した四柱の陪神──ヤーエルヘル、デムリカ、イルザンハィネス、サザスラーヤと共に世界を統治し、その文明は栄華を誇りました」
「てことは、陪神エルは……」
「ええ。ヤーエルヘルのことです」
随分あっさりと言ってのける。
「神代文明では純粋魔術が隆盛でした。ただ魔術を追求するためだけに魔術が開発され、目的は後追い。ですが、その発展速度は異常でした。人間の想像できる範囲の事象であれば、魔術でほとんど再現が可能だったでしょう。ナナさんが開発した開孔術も、神代には既に存在していたはずです」
「……やっぱ神代魔術レベルだったんだな、あれ」
「当然です。ナナさんの作った魔術なのですから」
ナナイロびいきな台詞を発したあと、ヤガタニが続けた。
「純粋魔術により、あらゆるものが造られました。亜人、竜種、魔獣──生命を冒涜するような行為でも、純粋魔術では尊く扱われました。純粋魔術に禁忌はなかったからです。ですが、この純粋魔術に危機感を覚えた者がいました」
「それは?」
「──エル=タナエルです」
すこし意外だった。
エル=タナエルは、もっと落ち着いたイメージだったから。
「彼女は、純粋魔術を放置しておけば、神たる自分にすら届き得る。そう考え、魔術を追求し続ける純人間たちを恐れました。そして、ある決定を下したのです。それは──」
逡巡するように一拍置き、言った。
「それは、純人間という種の根絶、でした」
「──待て」
アーラーヤが、慌てたようにヤガタニを止める。
「俺はべつに、敬虔なエル=タナエル信者じゃねえよ。でも、さすがに確認させてくれ」
「ええ」
「……神人大戦は、エル=タナエルから仕掛けたのか?」
ヤガタニが、無情にも頷いた。
「その通りです。純人間は、エル=タナエルに対抗するため、人造神エル=サンストプラを造り上げました。トレロ・マ・レボロ以北、無帰属地帯に今も放棄されている〈白銀の琴〉。これを使って、一つの大陸を神へと造り替えたのです」
「〈白銀の琴〉って、ルインラインとアイヴィルが尖空の塔から見たっていう……」
「ええ。尖空の塔には〈白銀の琴〉を造り上げる際に副産物として製造された試作品が収蔵されていました。それが、銀琴です」
「……だから、銀琴には、竜種や魔獣を造り出す機能があったのか。神を造り出す〈白銀の琴〉のプロトタイプだったから」
「その通りです」
すべてが繋がっていく。
いっそ気味が悪いくらいだった。




