2/第八州バレボロ -4 最後の集落
二つの集落を越え、騎竜車は北を目指す。
バレボロのマークの威力は絶大で、追い剥ぎに遭うどころか、農作物を分けてくれる農家の人までいた。
コミュニティの内側には、緊密で温かい関係が築き上げられているのだろう。
聞けば、バレボロには貨幣制度自体が存在しないらしい。
バレボロではシーグルが使えないと、マレウスが言っていた通りだった。
「──そう言や、トレロ・マ・レボロの通貨はシーグルじゃないんだっけ?」
御者台から、よく通るヘレジナの声が響く。
「ほう、よく覚えておったな。その通りだ」
「統一通貨のシーグルを導入してないのはラーイウラとトレロ・マ・レボロだけとか、ヘレジナがムニャムニャ言ってた気がする」
「普通に話したであろうに!」
ヤーエルヘルが、楽しげに解説を始める。
「トレロ・マ・レボロの通貨は、単位をティムと言いまし。これ、かなり面白い貨幣なんでしよ」
「お、面白い通貨って、ある、……の?」
「はい! まず、ティムには三種類の硬貨しか存在しません。5ティム、1ティム、1/4ティムでし」
「少ないな」
「硬貨が三種では、支払いが煩雑ではないか? シーグルで言うならば、100シーグル銀貨と20シーグル銅貨、5シーグル銅貨しかないようなものであろう」
「面白いのはここからでしよ。ティム硬貨は、なんと、分割できるのでし!」
「へえー?」
思わず目を見開く。
「ぶ、ぶ、……分割!」
「1ティムは八枚、1/8ティムにまで分割できましし、1/4ティムは四枚、1/16ティムにすることができまし。5ティムは分割できませんが、複雑な形状をしており、繋げればパズルのように平面を満たすことができまし。いずれも高い鋳造技術が求められましから、貨幣の偽造防止も兼ねているのでし。なにせ、カチリと組み合わせられなければ、その時点で贋金だとわかりましからね」
「めッちゃ、頭いいじゃん。技術っていう自分たちの強みを理解してる。亜人って、身体能力だけじゃなくて、知性も侮れない気がしてきた」
「そうかもしれん。彼らの技術には舌を巻くばかりだ……」
亜人は何故か魔術を忌避している。
そのハンディキャップさえなければ、北方大陸はとっくに亜人に占領されていたかもしれない。
マレウスの跳躍力を思い出す。
なにせ、武術を修めているようにも見えない亜人の、素の身体能力があれなのだ。
仮に体操術を習得したとして、どれほどの実力を身につけることができるのか。
恐ろしいながらも興味があった。
「ティムへの換金、どーっすっかな。エルロンド金貨を一枚換金すれば、たぶん間に合うか」
「でしね」
「で、でも、だーいぶ少なくなってきた、……ね」
「金貨か?」
「うん……」
「そうは言っても、まだ五十枚はあったろ。麻痺してるけど、あれ一枚で一ヶ月以上余裕で暮らせるからな」
「そ、それはそうだけ、……ど」
「大きな買い物がしにくくなってきたのは間違いないでしね」
「うむ。とは言え、元が持ちすぎであったのだ。大金を持っていると知れたら、ろくなことにはならん」
「旅人狩りとかな……」
ヘレジナが、複雑そうな声音で言う。
「ラーイウラでの一件に関しては、結果的には我々の成長に繋がったからよいが、だからと言って二度はごめんである……」
「──…………」
上着の懐に手を入れる。
そこには、返し損ねたネルのリボンがあった。
サザスラーヤの血潮が染み込んで、もはや何色かもわからなくなってしまったリボンだが、俺の宝物の一つには違いない。
北へ向かっているのだから、ラーイウラ王国は遥か後方だ。
ネルとの日々に想いを馳せていると、プルが俺のほっぺたをつまんだ。
「……なんは、いひなり」
「な、なんとなく……」
プルが、俺の頬から手を離す。
「なるほど、開戦の狼煙だな?」
両手をわきわきさせながら、プルへとにじり寄っていく。
「きゃ、きゃー……!」
楽しそうな悲鳴を上げて、プルが俺から距離を取った。
「や、ヤーエルヘル。たすけ、……てー!」
「ヤーエルヘル、捕まえろ!」
互いに矛盾する指示だが、ヤーエルヘルは迷わなかった。
「ご、ごめんなし!」
背後に隠れたプルを、ヤーエルヘルが羽交い締めにしたのだ。
そこまでしろとは言ってないが、これはこれで美味しい。
「う、うらぎりものー……」
「ははは! ヤーエルヘルは、俺の忠実な部下よ!」
「しみません、プルさん……」
「さて、どう料理してくれようか……」
「へ、ヘレジナー!」
御者台のヘレジナが、苦笑しながら振り返った。
「申し訳ありません、プルさま。今は少々道が曲がりくねっておりまして」
「ふぎゃ……」
「カタナ。あまりやり過ぎるでないぞ」
「わーってる、わーってる」
プルの間近へと近付き、その両頬をふにりとつまむ。
「うに」
もちもちのほっぺたをこね回しながら、俺は言った。
「……お前、人望ないな」
「ふにゃん!」
「冗談冗談」
ぽん、と頭を撫でて、プルを解放する。
そのとき、ヘレジナが明るい声を上げてこちらを振り返った。
「──見えたぞ! バレボロ、最後の集落だ。トレロ・マ・レボロへの国境でもある!」
「お、マジか!」
御者台へ通ずる階段を上がると、遠くに大きめの集落が見えた。
最初の町と同じくらいの規模に思える。
「すんなり通れりゃいいんだけどな……」
「マークがあるゆえ、問題あるまい」
「う、……うん! 今までも、す、すんなりだった、……し」
ヤーエルヘルが、遠い目で集落を見つめる。
彼女の目に映っているものは、きっと、その先にあるトレロ・マ・レボロなのだろう。
二十年ぶりに訪れる故郷に対し、なんの感慨も抱かないはずがない。
「サルナバーレとトゥイレ、楽しみだな。俺も食べてみたい」
ヤーエルヘルが、俺の顔を見上げ、笑顔を浮かべた。
「──はい!」
無帰属地帯を除く北方大陸最北の地、トレロ・マ・レボロ。
ヤーエルヘルの故郷まで、あと僅かだった。




