2/第八州バレボロ -3 世界を見に行くぞ
「──……タナ、さん……」
声を掛けられて、すぐさま目を覚ます。
「おはよう、ヤーエルヘル」
「はい。おはようございまし」
ベッドから身を起こし、騎竜車二階の雨戸を開く。
騎竜車の後ろに焚き火の明かりが見えた。
「──さて。寝ずの番、頑張りますか」
「がんばってくだし。最初は、あちしがお供しましね」
「楽しみだな」
「えへへ……」
梯子を用い、二階から降りる。
そこには、寝間着姿で髪をまとめている二人の姿があった。
「ああ、カタナ。起きたか。悪いが、朝まで番を頼むぞ」
「気にすんな。騎竜の扱いはヘレジナのほうが上手い。んで、索敵は俺のが上手い。適材適所ってやつだろ」
ヘレジナが微笑む。
「そう言ってもらえると、忌憚なく安眠できそうだ」
「や、ヤーエルヘル。眠くなったら起こして、……ね!」
「はい! たぶん、三、四時間で交代してもらうと思いまし……」
「うん。わ、わかったー……」
「では、私たちはこれで。おやすみ、だ」
「お、おやすみー……!」
二人と挨拶を交わし、騎竜車を出る。
十メートルほど離れたところで薪がパチパチと燃えており、それを取り囲むように折りたたみ式の椅子が二つ置かれていた。
ヤーエルヘルは、魔術の制御がまだまだ苦手だ。
焚き火を絶やしてしまえば、穏やかに着火するのは難しいだろう。
獣を除けるためにも、火の管理には気を付けねば。
焚き火を囲む折りたたみ椅子に腰掛ける。
「よい、っしょ」
ヤーエルヘルが椅子を抱え、それを俺のすぐ隣に置いた。
「えへへ……」
可愛い。
「サルナバーレとトゥイレ、残念だったな。レシピ見つからなくて」
「トレロ・マ・レボロは亜人の国でしから、純人間との交易は最低限なのかもしれません……」
「そうかもな。亜人と純人間とが共に暮らすこのバレボロで、彼らが目指すもの。それが、真に差別のない理想郷だってんだ。そう考えると、如何に今の〈普通〉とやらがひどいもんか、わかる気がするよ」
「──…………」
ヤーエルヘルが、悲しげに目を伏せる。
「……どうした?」
地雷を踏み抜いてしまっただろうか。
「あ、いえ。昔のこと、思い出してしまって……」
ヤーエルヘルの過去については、断片的な情報しかない。
そもそも、ヤーエルヘル自身が、断片的な記憶しか持っていないのだ。
すこし思案し、俺はヤーエルヘルに尋ねた。
「ハルヴァを出たあとの記憶って、どのくらいあるんだ?」
「ええと……」
これから満ちてゆく細い月を見上げながら、ヤーエルヘルが答えた。
「ただ、ただ、必死に、西を目指して歩いていました。道中、高いフェンスを無理矢理越えた気がしまし。有刺鉄線があったので、かすり傷を負って、それが膿んで痛くて……」
可哀想に。
「……たぶん、ハウルマンバレーとの国境かな」
「だと思いまし。それから先が、ひどくて」
「思い出したくなければ、無理しなくていい。ヤーエルヘルを苦しめてまで話を聞きたくないからな」
ヤーエルヘルが微笑む。
「だいじょうぶ、でし。今はもう、怖くはありません」
強い子だ、と思った。
〈子供〉と言える年齢ではないのかもしれないが。
「西へ、西へ。あちしの髪も、服も、もうボロボロでした。人々はあちしを嘲り笑い、石を投げました。何もしないひとたちも、遠くで眉をひそめていました。小銭を投げてくれるひともいて、それはありがたかったでしけど……」
「──…………」
そう、なるよな。
滅多に見ることのない亜人が道を歩いていれば、自然な反応かもしれない。
憤りはある。
だが、俺が市井の人々と同じ立場に立ったとして、遠くで眉をひそめる人々と同じ行動を取らない自信はなかった。
責めたいのに、責められない。
矛盾だ。
「──最後には、あちしはとうとう捕まりました。当時は純人間が怖くて、恐ろしくて、言葉を交わすことなんてとてもできませんでした。だから、あのひとたちは、あちしが獣にでも育てられたと思ったのでしょうね。あちしは、服を剥がれ、檻に入れられ、見世物となりました……」
「それ、は……!」
気が付けば、軋みを上げるほど拳が強く握り込まれていた。
それは、やり過ぎだ。
明らかにラインを踏み越えている。
「それから、何日経ったでしょう。それすらわからなくなったころ、あちしは唐突に助け出されました。あちしを助けたのは、同じ亜人のひとたちでした。そして──」
ヤーエルヘルの頬が、すこしだけ弛む。
「彼らを率いていたのが、ナナさんでした」
「……そっか!」
思わず安心する。
「ナナイロ、よくやったな。ほんと、よくやった……」
十歳の頃のナナイロでも、七十歳のナナイロでも、どちらでもいい。
とにかく褒めてやりたい気分だった。
「えへへ。それが、ナナさんとの出会いなんでしよ」
「噂になってたんだろうな。亜人を見世物にしてるやつらがいるってさ」
「そう、だと思いまし。亜人のひとたちは、あちしに、バレボロの人間だと名乗りました。ナナさんが、どういった経緯でバレボロのひとたちと懇意にしていたのかはわかりません。あちしは、馬車でバレボロへと移送されて、そこでようやく人間扱いしてもらいました。お風呂に入って、髪を切って、新しい服を着せてもらって……」
「……よかった」
これは、思い出話だ。
既に過ぎ去ったことだ。
だが、昔語りの中とは言え、これ以上ヤーエルヘルが傷つくのを聞いていたくはなかった。
「そして、数日が経ったころ、ナナさんがバレボロを発つことになりました。あちしは、まだ、ナナさんと言葉を交わすことすらできていませんでした。でも、ナナさんが恩人だってことはわかっていて、だから、がんばって見送りに出ました。そこで、ナナさんが言ったんでし。あちしに手を差し出して、当たり前のように」
ヤーエルヘルが目を閉じる。
その瞬間のことを、思い出しているのだろう。
「──さあ、ヤーエルヘル。世界を見に行くぞ」
「──…………」
「あちしは、その手を取りました。不思議と怖くはありませんでした。それからの二十年は、カタナさんも知っての通り、でし」
「カッコいいな」
「はい! 最高にかっこよかった、でし!」
ナナイロは、その当時で五十歳前後だ。
そのときに会えたなら、また印象も違ったかもしれない。
初老の女性と亜人の少女の旅路は、なんだか絵になりそうだと思った。
「……一緒に、旅、したかったなあ」
「──…………」
ヤーエルヘルが、騎竜車を見上げる。
「はい、五人で。ワンダラスト・テイルの、五人で」
幾度も自問自答している。
本当に、ナナイロを助けることはできなかったのだろうか。
でも、彼女は、幸福のうちに亡くなった。
仮に助ける方法があったとして、そうすることが正しかったとは限らない。
考えれば考えるほど、堂々巡りに陥ってしまう。
だが、間違いのないことが一つだけあった。
ナナイロに生きていてほしかったという、わがままな俺たちの気持ちだ。
その気持ちだけは、絶対に、間違いのないことだった。
「……湿っぽくなっちまったな。なんか別の話すっか」
「あ、しまししまし」
「ヤーエルヘルは、なんの話がいい? リクエスト受付中」
「そうでしね……」
しばしの思案ののち、ヤーエルヘルが言った。
「カタナさんの世界の民話とか、知りたいでし。覚えてる限りで構いませんので……」
「ああ、いいぜ。なら、定番の桃太郎から行くか」
「ももたろう?」
「ああ。桃から生まれた正義の味方だよ」
「桃から!」
ヤーエルヘルの目が、興味にきらめいている。
「ある日、おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きました。そのとき──」
ヤーエルヘルが眠くなるまで、日本や世界の民話を、思いつくままに語り続けた。
数時間が経ち、ヤーエルヘルとプルが交代する。
プルは、秘蔵のワインを騎竜車のどこかに隠し持っていたらしく、人差し指を唇に当てながら、それをこっそり分けてくれた。
夜空の下、焼きたての腸詰めと共に飲むワインは格別で、思わず舌が回りすぎた気がする。
なんの話をしたかはさっぱり覚えていないが、楽しかった記憶はあるし、プルも終始笑顔だったからよしとしておこう。
やがて、白む空が寝ずの番の終わりを告げた。
可能であれば、今日中にバレボロを抜けて、トレロ・マ・レボロへと入国してしまいたいところだ。




