2/第八州バレボロ -2 思いも寄らぬ名前
俺たちは、マレウスの指示通りに停留用の杭を打ち、長の家へと続く階段を昇り始めた。
置いて行かざるを得ない騎竜車が心配だったが、一度標的から外れると、以降は二度と狙われなくなるものらしい。
マレウスの言葉をまるまる信用するのであれば、だが。
音が届くかどうかはわからないが、いちおう神眼で警戒はしておくつもりだ。
マレウスが、使用人らしき女性と数言ほど会話を交わしたあと、俺たちは長の家へと招かれた。
「──やあ、いらっしゃい」
町の長は、柔和な笑みを浮かべる四十代ほどの細面の男性だった。
「まさか、マレウスが門番のときに無事に済む旅人が出るとはね。僕も驚きだよ」
「そ、……そんなに、追い剥ぎしてるんです、……か?」
「判断は、そのときの門番に一任してあるんだ。バレボロには、トレロ・マ・レボロへ通ずるものも含めて、九つの門がある。そのほとんどは、相手に問題がないようなら門番が近くの町へ連れて行くんだけど、マレウスはすこし気難しくてね」
「事前に危険分子を排除してるって言ってほしいナァ」
「──でも、理由はわかった気がするよ」
長が、ヤーエルヘルの獣耳へと視線を送る。
「純人間と共に旅をする亜人。この第八州が目指す未来そのものだからね」
「なるほどな」
マレウスが口を挟む。
「長。こいつら、バレボロを抜けてトレロ・マ・レボロに行きたいらしい。騎竜車にマークをつけてやりたいんだが、イイか?」
「マレウスがそうと決めたんなら、構わないさ。それと、彼らが望むのならね」
「マーク、……でしか?」
「アア。バレボロを象徴するマークだ。ペンキで塗る。ここを出て消したくなったンなら、上からまたペンキで塗り潰せ」
ヘレジナが、興味深そうに尋ねた。
「ふむ。どんなマークなのだ? ダサければバレボロを抜け次第消してくれるが、センスが良ければ残すこともやぶさかではない」
「アア、それだ」
マレウスが指差したのは、客室の壁に飾られていた赤い旗だった。
国旗に近いものなのかと思いきや、テイストはグラフィティアートにも似ている。
構図としては、七羽の猛禽と、中央にあるヒビの入った一つの卵。
これが無理なく旗に収まっている。
デザイナーの腕が光るマークだった。
「おお、悪くないではないか!」
「う、……うん! かっこいい……!」
「そう言ってもらえると嬉しいね。マレウス。職人を呼んで作業に入ってくれ」
「オウよ」
「二、三時間はかかるだろう。この館であれば、好きに過ごしてくれて構わないよ」
俺は、営業モードで言った。
「ありがとうございます。たいへん助かります」
「いいんだ、いいんだ。バレボロでは、一度気を許せば皆仲間さ。それに、マレウスが認めたというのも面白いしね」
「そんなに通さないんでしか……?」
「そうだね。彼が案内人として旅人につくのは、いっそ初めてかもしれないな。別のパターンは一度あったけれど」
「別のパターン、ですか」
「ああ。相手が奇跡級の剣術士でね。マレウスは案内人にならなかったが、我々も何もできなかった。本物の奇跡級とはすごいものだ。魔力銃を持った町民たちを、怪我一つさせずに制圧してしまったのだから」
強者の気配に、ヘレジナが目を輝かせる。
「ほう、なかなかやるではないか」
今の話を可能とするには、最低でも奇跡級中位の実力が必要だろう。
名のある剣術士であれば、ヘレジナが知っているかもしれない。
「その剣術士、名前は覚えていますか?」
「ああ、覚えているよ」
そして、長が、あまりにも意外な名前を口にした。
「アーラーヤ=ハルクマータと名乗っていたね」
「──…………」
「──……」
「──………………」
「──…………」
四者四様に沈黙する。
「ど、どうかしたかい……?」
「ああ、いえ! それ、たぶん知り合いで……」
「なるほど、そうだったか」
「アーラーヤがここを出立したのって、いつくらいか覚えていますか?」
「たしか──」
長が、壁に貼られたカレンダーへと視線を向ける。
「今月の頭、くらいだったと思うよ」
ほとんど入れ違いだった。
「まさか、あやつとニアミスするとはな……」
「いったい、なんの用があったのでしかね」
「理由は特に聞かなかったね。そもそも聞ける雰囲気でもなかったけれど」
そりゃ、追い剥ぎしようとした相手だもんな。
俺は、外の様子を気にしながら、長に尋ねた。
「ここで休ませていただけるのもありがたいのですが、是非、マークを描くところを見てみたいのです。よろしいでしょうか」
「ああ、いいと思うよ。神経質な職人でもない。むしろ子供に見られていると筆が乗るらしいからね」
「それはよかった」
俺は、おもむろに椅子から立ち上がった。
三人も俺に続く。
「それでは、失礼致します」
全員で一礼し、長の家を出る。
騎竜車の横に、職人がさっそく画材を広げ始めていた。
マレウスが俺たちに右手を上げる。
「ヨウ。窮屈で出てきたか?」
「そいつもあるけど、騎竜車が心配でな。ほとんどの荷物は客車の中だ」
「ソラそうだ。町ぐるみで追い剥ぎするようなやつらの前だからナ。気を付け過ぎるってこたないさ」
階段に腰掛けていたマレウスの視線は、職人へと向けられている。
マークを描くのを見物していくようだった。
のんびりとその様子を見学していると、やがて子供たちが集まり始めた。
純人間も、亜人も、なんのしがらみもなく手を取って走り回っている。
体操術を会得していない純人間の子供より、亜人の子供のほうが足が速く、力もある様子だったが、だからと言って威張る様子もない。
階段に腰掛けて職人の作業を見守る姿に、なんの違いもなかった。
「──こいつらは、三世だ」
「三世?」
「アア。一世は、このバレボロを作りなすった始祖とその仲間たち。二世は、一世が成した子供たち。三世は、二世の子供たちのことだ。簡単だろ。もっとも、新しく入植するやつらもいるから、そこまでシンプルでもないけどナ」
「ふむ」
ヘレジナが、先を促すように頷く。
「一世に理想郷は作れなかった。有象無象が掃き溜めに集まり、困窮しながらナントカカントカ生き延びただけだ。事実、一世での異種族同士の夫婦は、一組たりとも存在しない」
「ああ……」
互いに忌避感があったんだろうな。
「次に、二世だ。オレ様たちのことだナ。二世は、産まれたときからバレボロで育つ。自分とは別の種族がすぐ傍にいる状態でナ。当然、嫌悪感は薄くなり、やがては純人間と亜人の組み合わせも出てくる。そして、三世──」
マレウスが、周囲を見渡した。
「こいつらだ」
前の段に腰掛けていた数人の子供たちが、不思議そうにこちらを振り返った。
プルが、ぱたぱたと手を振ってみせる。
「な、なんでもない、……よー」
「バレボロは、本当に、本物の理想郷へ向けて舵を取り始めてる。そのためには、足枷となり得る異分子を、僅かでもバレボロに入れたくないのさ。オレ様はナ」
「……そっか」
マレウスの印象がガラリと変わる話だった。
ただ、気の向くままにわがままに、適当に門番をしているとばかり思っていたのだ。
「俺たちが目的地へ行く方法を見つけ出すまで、まだ時間がかかるかもしれない。そんときゃまた立ち寄って、どのくらい理想郷に近付いたか確認してやるよ」
「そいつはいいナ。なら、マークは消しておくなよ。また魔力銃持って囲まれるぜ」
「そ、それはイヤでしー……」
ヤーエルヘルの困り顔に、俺たちは思わず笑い合った。
職人がマークを描き終えるまで、飽きた子供たちとしばらく遊んだ。
ナナイロのことが思い浮かんだが、もう、涙が溢れることはなかった。
だんだんと立ち直ってきている。
それが、嬉しくもあり、寂しくもあった。
自分の中からナナイロが消えていくような気がしたからだ。




