1/ハウルマンバレー -8 ハルヴァ
国境検問所を抜けた先に見えたのは、ちょっとした都会の様相だった。
検問所の傍であるためか、かなり栄えているように見える。
まだ夕刻であるにも関わらず、店頭に掲げられた無数の看板には灯術の光が輝いており、客の奪い合いの熾烈さを物語っているように思えた。
御者台の椅子の背もたれに反対側から軽く腰掛け、街の様子を観察しながら、俺はヘレジナに言った。
「久々に宿でも取ろうぜ。もし、このまま延々と栄えてたら、いつ道端に停留できるやら」
「なるほど。お前の意見も一理ある」
ヘレジナが客車を振り返り、声を上げる。
「──プルさま! ヤーエルヘル! ここらで宿を取ろうと思うのですが!」
「い、いいよおー……」
「はあい!」
二人の返答に頷く。
「決まりだな」
「では、騎竜車の預かり所でも探すとしよう。とは言え、既に十も二十も通り過ぎているがな」
往来の多い栄えた地域での預かり所は、ボロい商売だ。
騎竜であれ、馬であれ、生き物である以上は必ず面倒を見る必要があり、ただただその場に放置しておくわけにはいかない。
また、仮に目を離しても問題ない状況であったとしても、今度は窃盗の憂き目に遭う可能性がある。
以上二つの不安を一度に解消するのが、騎竜車と馬車の預かり所だ。
業務内容としては単純で、騎竜と馬の世話と見張りをすればいいだけである。
にも関わらず需要が途切れないため、開店する場所さえ間違えなければ、預かり所を経営して食いっぱぐれるということはないだろう。
俺たちは、いちばん最初に目についた預かり所に騎竜車を託すと、背負える限りの荷物を背負って街へと繰り出した。
「ここがハウルマンバレーか……」
観光客まる出しのムーブで、ぐるりと周囲に視線を向ける。
街や建造物などの全体的な雰囲気は、どこかウージスパインと通ずるものがあった。
国には、その国独特の〈匂い〉がある。
ラーイウラが最も顕著で、出入国管理所を越えた瞬間から豆醤の香りが漂っていた。
だが、ハウルマンバレーにそれは感じない。
ハウルマンバレー自体に強い匂いがないのか、それともウージスパインとの国境線から離れていないためか、それはわからなかった。
「より正確に言えば、第六州西バルパルディでしね。三国街道の終端でしから、こうして栄えてるんだと思いまし」
ヘレジナが頷く。
「三国街道。西バルパルディから、ラーイウラとの国境線をなぞり、パラキストリの北部を横切ってパレ・ハラドナまで伸びる街道だな。北方十三国西部の貿易における大動脈とまで言われることもある」
「す、すごい、……ね」
「でも、俺たちは、その三国街道ってとこは通らないんだろ?」
「はい。パラキストリとかパレ・ハラドナまで行っちゃいましから。あちしたちの目的地であるトレロ・マ・レボロは、ここから北東にありまし。第八州を避けるので、内陸を東にしばらく進んでから、針路を北へと変えるかんじでしね」
「了解」
肩に食い込む大荷物を背負い直しながら、ヤーエルヘルに尋ねる。
「ハウルマンバレーって連邦制だろ。それぞれの州で大きく違うことってあるのか?」
「そうでしね。ハウルマンバレーの国法以外に、州が独自に決めた州法というものがありまし。これを聞くだけでも、それぞれの州の性格がわかって面白いでしよ」
プルが、小首をかしげる。
「州に、せ、……性格?」
「はい。州法は基本的に国法よりも罰則のゆるいものでし。そのため、幾つかの州には冗談みたいな州法がありまして。たとえば──」
ヤーエルヘルが、数秒ほど視線を上げたあと、言った。
「第三州オートゥードには、こんな州法がありまし。〈深夜に鯉を釣ってはならない。仮に釣った場合、その鯉は食べなければならない〉」
「……?」
俺たちは、揃って疑問符を頭上に浮かび上がらせた。
「マジで冗談みたいな州法だな……」
アメリカのトンチキな法律と同レベルだ。
「おもしろい、けど、ふ、……ふしぎ」
「何がどうなれば、そんな法律が可決されるのだ……」
「経緯を聞けば、わかるかもしれませんよ」
内緒話を打ち明けるような微笑みを浮かべ、ヤーエルヘルが続ける。
「その昔、オートゥードで痛ましい事件がありました。十代の少年が、深夜に湖で釣りをしていて、足を滑らせて転落。そして、溺死してしまったのでし。少年が使っていた船には、少年が釣ったのであろう数匹の鯉の姿がありました」
無言で頷きながら、続きを促す。
「そこで、当時のオートゥード州長が、先の州法の法案を提出しました。深夜に釣りに行き、湖に落ちて亡くなる子供がいなくなるように。そして、誘惑に勝てず釣りに行ってしまったとしたら、生きて帰ってきて必ずその鯉を食べるように。この州法は、当時の州長の優しさによって制定されたものなのでし」
「い、いい話ー……!」
「由来を聞けば、ただ変な法律ってわけでもないな」
ヘレジナが気まずそうに言った。
「……こんなことを言うのは無粋なのだろうが、鯉に限定する必要はないのではないか?」
「それは、はい。あちしも思いました……」
実は俺も思った。
「他にも、ガチガチの州法や、潔癖な州法、おふざけとしか思えない州法なんかもあって、それぞれの州の色が出ていて面白いでしよ」
「第八州のバレボロにも州法なんてあるんかな」
「はい、ありましよ。と言うより、国法が適用されないので、州法しかないと言ったほうが正しいでし。でしので、他の州とは意味合いが異なりましが……」
「──…………」
ふと、気になった。
「ヤーエルヘル、バレボロにやたら詳しくないか? 隣国でいい教育受けてたヘレジナとか、下手したらハウルマンバレーの国民ですら知らないことのはずなのに」
「はれ、言ってませんでしたっけ」
ヤーエルヘルが、きょとんとした表情を浮かべて言った。
「あちし、数日だけでしけど、ナナさんと一緒にバレボロに滞在してたことがあるんでし」
「ああ、なるほど……」
道理で詳しいわけだ。
「とは言え、バレボロどころかハウルマンバレー自体が元より用のない国だ。さっと通り過ぎて、雪の降る前に調べものを済ませてしまおうではないか」
「あちしのルーツ、でしね」
「ヤーエルヘルの故郷って、なんて名前だったんだ?」
「ハルヴァっていう小さな村──だった気がしまし」
「曖昧なのだな……」
「しみません。故郷を追われる前の記憶って、途切れ途切れなんでし。ひとりぼっちだったことだけは確かなんでしが……」
「ひとりぼっち、か」
つらい記憶ばかりが残っているんだな。
「実を言うと、村の位置すら曖昧なんでし。とにかく西へ向かえって言われたので、ずっと、ずっと、何日も西へ向かって歩き続けました。でしが、歩いた距離がどのくらいだったかも覚えてなくて。いつの間にかハウルマンバレーに入っていて、そこでナナさんに拾われたってかんじでしね」
どうやら、トレロ・マ・レボロでは、聞き込みから始めなければならないらしい。
「だ、誰に、西へ行けって言われた、……の?」
「え、……と」
ヤーエルヘルが、人差し指を顎に当てる。
「あちしの世話係──みたいなひとがいたんでし。よく変わるんでしけど、そのときの世話係にそう言われて……」
「ヤーエルヘルの潜在魔力量がバレて追い出されたって言ってたよな」
「たぶん……」
自信はなさそうだ。
「ハッキリしないのか」
ヘレジナの言葉に、ヤーエルヘル頷く。
「はい。あとから思い出し思い出し考えた、というのが本当のところなんでし。世話係のひとが、あちしの魔力のことを口にしてたので、たぶんそれが原因なのかなって」
「先入観は持たないほうがいいかもな。もっと意外な理由かもしれないし」
「そ、それも、ハルヴァに行けばわかる、よ!」
「でしね!」
そんな会話を交わしながら、幅の広い街道を歩いていく。
やがて見つけた適当な宿は、場所が場所だけに高めの値段設定ではあったものの、部屋自体は料金相応だった。
目に付いた店でやたらと塩気の少ない料理をたいらげたあと、借り上げた部屋でトレーニングを行い、汗を流して床に就いた。
もぞもぞとベッドに潜り込んできたヤーエルヘルを抱き締めながら、思う。
徐々に涼しくなってきている。
秋冬用の外套を買ったほうがいいかもしれないな。




