1/ハウルマンバレー -6 スールゼンバッハの吊り橋(2/2)
「プル。ヴワルツワルダの高官になったつもりで考えてみろ」
「う、……うん!」
プルが、両手の人差し指でこめかみをぐりぐり押す。
「い、いけまっす……!」
「では」
こほんと咳払いをし、口を開く。
「──パレ・ハラドナが動いた。女神の爪痕に本隊が集まっている。よし、目論見はわからんが、とにかくこちらも兵団を差し向けよう。なにィ? パレ・ハラドナが兵団の目の前で吊り橋を落とした? なるほど、国交断絶のパフォーマンスか。よし、戦争だ!」
「……あー」
「なりそうだろ、これ」
プルが、なんとも言えない半笑いで頷いた。
「な、なるかも……」
「いずれにせよ、顔も見えぬ、声も聞こえぬ、意思疎通もできぬ、橋の向こうの相手です。不本意な形で膠着するより他になかったでしょうね」
「なるほ、……ど!」
うんうんと頷き、プルが言った。
「朗読役、こうたー……い」
「あ、次はあちしが読みましね」
ヤーエルヘルが、プルの膝枕から頭を上げ、書籍を受け取る。
「では──」
そこで、ある一人の上級騎士が、騎士団長に進言をした。
吊り橋の真ん中まで、自分に行かせてほしい。
その提案を口にしたのが、後に〈不夜の盾〉の騎士団長となるルインライン=サディクルその人であった。
騎士団長は、ルインラインのことを買っていた。
彼は決して無謀ではなく、考えなしでもない。明確な勝算があるのだ。
そう考えた騎士団長は、自らその責を負うと覚悟し、ルインラインに許可を出した。
ただし、条件が一つあった。
必ず生きて帰ってくること、だ。
ルインラインはそれを承諾し、一人、吊り橋に足を掛けた。
女神の爪痕に吹きすさぶ風が、吊り橋を揺らす。
ルインラインの行動に、橋の向こうにいたヴワルツワルダの兵団は、臨戦態勢に入っていた。
彼は、吊り橋の真ん中で足を止めた。
そして、互いの陣営に聞こえるように叫んだ。
そう。
互いの距離が遠すぎて、吊り橋の真ん中でなければ、両陣営に同時に声を届けることができなかったのだ。
ルインラインの言葉は、特に〈不夜の盾〉の団員たちにとって寝耳に水の内容だった。
彼は、自ら〈不夜の盾〉を辞めると言い放ったのだ。
誰しもが、彼の真意を推し量ることはできなかった。
しかし、次の言葉で騎士団長は理解した。
後に伝説として語られる、ルインライン=サディクルという英雄の片鱗を。
彼は言った。
今から、この吊り橋を落とす。
〈不夜の盾〉の人間でも、ヴワルツワルダの人間でもない第三者が、ちょうど真ん中で、この吊り橋を落とすのだ。
そうすれば、互いに無駄な時間を過ごすこともない。
彼の言葉は正しかった。
だが、吊り橋を真ん中で断ち切るとなれば、彼自身が助かるすべはない。
騎士団長は、彼を止めるため吊り橋へ向かおうとしたが、部下たちが慌ててそれを遮った。
騎士団長は間に合わなかった。
──ぶつん、と。
ルインラインの長剣、そして素晴らしき技量によって、吊り橋は一瞬で断ち切られていた。
誰しもが、彼は崖下に叩きつけられて死ぬのだと思った。
だが、そうはならなかった。
彼は、信じがたいことに、空を舞ったのだ。
まるで羽でもあるかの如くふわりと浮き上がり、〈不夜の盾〉の元へと帰り着く。
陪神エルの加護としか思えぬ奇跡に誰しもが驚き、動けずにいた。
「……空?」
「ああ、空だ」
「あのオッサン、空まで飛べたの……?」
「まあ、すこしなら飛べたであろうな。この小説は誇張表現であるが」
「──あ」
わかった。
「遠当てか!」
「そうだ。師匠の全力の遠当てを、真下に一回、真横に一回。これで、崖の上まで戻ることは容易であったろう」
「当時二十八歳、だよな」
「ああ……」
「……改めて、バケモンだな」
「私もそう思う……」
ヤーエルヘルが言った。
「最後、読みましよー」
「ああ、頼む」
こうして、パレ・ハラドナ騎士団とヴワルツワルダ兵団の膠着状態は終わりを告げた。
吊り橋が渡れないとなれば、もはやこの場を守る理由はない。
どちらかの陣営が橋を落としたわけでもないから、遺恨もない。
ルインライン=サディクルは、単身、パレ・ハラドナとヴワルツワルダ、ひいては第三次東部戦争の火種をすら消し去ったのだ。
彼は、本当に空を飛んだのか。
それは、当時その場にいた人間にしかわからない。
だが、証拠は存在する。
女神の爪痕には、今でも、真ん中で切断された吊り橋が両端に垂れ下がっているのだから。
この吊り橋は、以前より、周辺の地名からこう呼ばれていた。
〈スールゼンバッハの吊り橋〉、と。
「──終わりでし!」
「お疲れさん、ヤーエルヘル。プルもありがとうな。今日も楽しかった」
「いえいえ!」
「わ、わたしたちも、楽しい、……から」
「しッかし、意外だわ。敵の巣窟に単身突っ込んでドッタンバッタン大騒ぎ、みたいな逸話ばっかりだと思ってた。こういう政治的なのもあるんだな」
「当然、痛快な物語も多いぞ。子供に人気なのは、やはり、盗掘王との死闘あたりであろうな。わかりやすい悪役が出てくるゆえ」
「盗掘王、か。どんなやつだったんだ?」
「簡単に言えば、トートアネマにて許可なく遺跡を掘り起こし、巨万の富と権力を得ていた男だ。その権力は、危うくトートアネマの国家元首を凌ぐところであったらしい」
思ったよりヤバい相手だった。
「しかも、その盗掘王自体が奇跡級の槍術士であり、神代の──」
「わ、わ、待って待って! この本、せ、選集だから、盗掘王の話も載ってる……」
「そ、そうでありましたか! ならば、半端にネタバレするより、朗読して聞かせたほうがよさそうですね」
「うん……!」
盗掘王との死闘、か。
面白そうな予感しかしない。
「正直、続けて聞きたいけど、明日の夜かな。眠くなってきた」
「でしね……」
ヤーエルヘルの目蓋は、既にとろんと下がり始めている。
朗読しながらも眠かったんだろうな。
「では、盗掘王との物語は、明日私が読み聞かせてやろう。楽しみにしておくのだぞ」
「ああ、すげー楽しみ」
ルインラインは亡くなった。
プルの臓物を生きながらにして食らおうとして、それがエル=タナエルの意志ではなかったことを恥じて自刃した。
恐ろしい敵ではあった。
だが、どうしても彼のことを憎めない自分がいた。
「──…………」
「け、消す、ねー……」
「ああ、おやすみ」
「おやす、……み!」
「おやすみなさい、でし……」
「おやすみ、だ」
灯術の明かりが消え、俺は掛け布団にくるまって目を閉じた。
ヤーエルヘルは、今日はプルと一緒に寝るらしい。
ルインラインのことを、もっと知りたかった。
ある意味では俺が殺したようなものだ。
罪滅ぼしではないけれど、彼を知ることは、俺自身のためにもなる気がしていた。




