1/ハウルマンバレー -5 スールゼンバッハの吊り橋(1/2)
「ろ、朗読会の時間、……でっす!」
左手に文庫本サイズの書籍を持ったプルが、ベッドの上で高らかに宣言する。
「わーわー」
適当な拍手を送るが、その実、夜の朗読会は俺の楽しみの一つだった。
補給のために立ち寄った街道沿いの町に大きめの本屋があり、そこで何冊か物語を仕入れたのだ。
「楽しみでしー」
ヤーエルヘルは、プルの膝枕でご満悦の様子だ。
「プルさま。今日は何を読むのです? 昔話の選集は、昨日読み終えてしまいましたし」
「まだまだ弾は、あ、あるから、……ね! これがいいかな、って」
プルが俺たちに見せた表紙には、〈スールゼンバッハの吊り橋〉と書かれている。
「……スールゼンバッハの吊り橋? なんか、どっかで、うすーく聞いたことがあるような」
「うむ。師匠の若き頃の逸話であるな」
「あー、そうだった気がする」
ヤーエルヘルが、横になりながら口を開く。
「スールゼンバッハの吊り橋は、たしか、パレ・ハラドナと、その東に接するヴワルツワルダとの諍いが原因で──」
「あ、だめだめ! ね、ネタバレ厳禁、……だよ!」
「ご、ごめんなし……」
「それでは、順繰りに読んで行くと致しましょう」
「はー、……い。わ、わたしから、ね」
プルの眼光が鋭くなり、背筋もピシリと伸びる。
皇巫女モードに入ったのだ。
そのまま表紙を繰り──
舞台は人歴1100年。
ルインライン=サディクルは、当時二十八歳。
パレ・ハラドナ騎士団〈不夜の盾〉にて頭角を現し始めた少壮気鋭の青年だった。
人歴1100年前後、東にてパレ・ハラドナと接するヴワルツワルダは動乱の時代だった。
それは、人歴1102年にヴワルツワルダから独立したアウミマウミの存在からも明らかだろう。
この時代、ヴワルツワルダは国内外を問わず小規模の武力衝突を起こしており、各国に緊張が走っていた。
ヴワルツワルダが、隣接するいずれかの国と紛争状態に入った場合、他の国にも飛び火する可能性は高い。
パレ・ハラドナ、トレロ・マ・レボロ、トートアネマ、ルルドカイオス──ヴワルツワルダは、北方大陸東部にある、あるいは東部に領土の一部がある国々すべてと隣接しており、ひとたび戦火が起これば第三次東部戦争が引き起こされる可能性すらあった。
「三十年くらい前までは、北方十二国だったのか」
「そうでしね。国家が独立し、公的に国として認められたのは、人歴899年のアインハネス以来、実に203年ぶりのことでした」
「そのアウミマウミって国は、なんで独立したんだ?」
「宗教上の理由、だ。元よりヴワルツワルダの一部地域では、エル=タナエルではなくエル=サンストプラを崇める宗教が興っていてな。差別や弾圧も行われていたと聞く。そのため、ヴワルツワルダの北東を占拠し、紛争を繰り返しながら、信仰の自由を叫び続けたというわけだ」
「なるほどな……」
戦争の理由なんて、どこも同じだ。
当時、ヴワルツワルダとの緊張が最も高まっていた国は、パレ・ハラドナだった。
国交は辛うじて繋がり、特産物の輸出入こそ行われてはいたが、過剰な関税などによって一部搾取が行われ、冷戦状態と呼んで差し支えない関係にまで冷え込んでいた。
パレ・ハラドナには、ヴワルツワルダの行動一つで〈不夜の盾〉を差し向ける用意があった。
そこで、当時の騎士団長に一つの勅令が下った。
国境にて、パレ・ハラドナ騎士団の兵力をヴワルツワルダに示威せよ。
ただし、こちらから手を出してはならぬ、と。
「……歴史の一部分だけ切り取って言うのもなんだけど、アホだな」
「言いたいことは、うん。わかりまし……」
「アホでなければ、向こうに手を出させて戦争したかったとしか思えんわ」
「恐らく、そうだったのであろう。国と言うのは決して一枚岩ではない。タカ派の提案が通ってしまった。そう考えるのが自然だ」
パレ・ハラドナとヴワルツワルダの国境の一部に、女神の爪痕と呼ばれる長く深い峡谷がある。
その幅はあまりに広く、誰が架けたとも知れない華奢な吊り橋が一本あるばかりだ。
普通に考えて、こんなところから攻め入る馬鹿はいない。
だからこそ、当時の騎士団長は、勅令による武力示威をこの場と定め、戦力を集中させた。
当然、本隊規模の兵力が集まっていると知れば、ヴワルツワルダも黙ってはいない。
急ぎ兵団を編成し、女神の爪痕の反対側へと集結させた。
それこそが騎士団長の狙いだった。
本来あり得ない場所に集まることで、睨み合いの状態を作り上げつつ、こちらに戦闘の意志はないと言外に伝える。
それが、騎士団長の考え出した、勅令に反さず、かつ無用な血を流すこともなく、この冷戦状態を乗り切る方法だった。
誤算があるとすれば、ヴワルツワルダが対パレ・ハラドナ用に編成した部隊の一つに、飛竜部隊があったことだ。
「飛竜騎団って、パラキストリの専売特許でもないんだな」
「自ら騎団と名乗るほど擁しているのがパラキストリというだけであって、飛竜騎士、飛竜部隊は多くの騎士団に存在する。魔術や弓矢の届かない高度からの一方的な攻撃は、あからさまに強い。いっそ卑怯とする意見もあるだろうし、実を言えば私もそちら寄りだな」
そう考えると、飛竜騎団を容易に撃ち落としたルインラインの遠当てと、銀琴のチートっぷりがよくわかる。
〈不夜の盾〉は、こちらに敵意がないことを示すため、飛竜騎士を連れてきてはいなかった。
飛竜騎士には、飛竜騎士でしか対抗できない。
もし、ヴワルツワルダの兵団が血迷い、飛竜騎士をこちらへ差し向けてきたら、〈不夜の盾〉は撤退を喫し、その汚名を雪ぐためにヴワルツワルダに攻め入るしかなくなるだろう。
ヴワルツワルダが飛竜部隊を派遣してしまったことで、その場におけるパワーバランスが僅かに崩れ、政治的な睨み合いのはずが、互いに緊張を余儀なくされてしまった。
何か、撤退するに十分な理由が必要だった。
「撤退するに十分な理由、か……」
「よ、読んどいて、ここ、実はちょっとよくわかんない」
「俺の解釈でいいなら」
「おねが、いー……」
「これって、マジでイヤーな感じの膠着状態なんだよ。互いに攻め手がない状態なら、峡谷を挟んでメンチ切り合うだけで済むだろ。でも、向こうさんが飛竜を連れてきちまった時点で、対等な睨み合いって建前は崩れ去った。相手にだけ、攻める攻めないの選択肢が与えられちまったんだ。こうなれば、パレ・ハラドナ騎士団は、もはやその場から一歩も動けない。ヴワルツワルダの飛竜部隊が愚かしくも攻めてくる可能性が、僅かにでもあるんだからな。何か適当な理由がないと撤退できない状態だった。まだわかりにくければ、すこしの判断ミスが、イコール戦争の火種になる状態だったと思ってくれればいい」
ヘレジナが、俺の言葉を継ぐ。
「そして、この場合、ヴワルツワルダは決して飛竜部隊を撤退させなかったであろうな。〈不夜の盾〉の本隊を、実質無意味なところに留まらせているだけで大手柄だ。パレ・ハラドナへ侵攻できる国力が当時のヴワルツワルダにあったとは考えにくいが、多少のちょっかいが第三次東部戦争へと繋がりかねない状況ではあった」
プルが尋ねる。
「あ、あと、いつも思うんだけど、……〈不夜の盾〉も飛竜騎士連れてきたら、だめ、なの? いっそ普通に橋を落としちゃう、……とかも」
ヤーエルヘルが答える。
「その場合、パレ・ハラドナがヴワルツワルダに攻め入る気があると解釈して、飛竜騎士同士の戦闘行為が始まった可能性がありましね……」
「そして、パレ・ハラドナからであれ、ヴワルツワルダからであれ、女神の爪痕に唯一架かっている吊り橋を落とす行為は、国交断絶の隠喩と取られかねません」
「そう、……か、なあ」
プルは納得いかないようだ。




