1/ネウロパニエ -10 ネウロパニエの眠れない夜
「ふー……」
繊維の柔らかなタオルで髪を拭きながら、リビングルームへと戻る。
「ただいまー。いい湯だったわ」
「お、お風呂、広かった、……よね!」
「王城の客室ではネルと四人で入ったものだが、それに負けず劣らぬ豪奢な浴室であったな」
「え、何そのイベント……」
「お前は寝こけておったぞ」
そうだった。
美女四人のマッサージを受けて、極楽へ行っていたのだった。
「しかし、一泊一万シーグルってのも多少は納得行くもてなしだよな」
運ばれてきた夕食も、この世のものとは思えないほど豪華だった。
海に面した国だけあって海産物が多かったのだが、驚いたのは、タコが普通に食材として提供されていたことだ。
タコと言えば日本人しか食べないイメージがあったのだが、ことサンストプラに関してはそうとも限らないらしい。
「そう言や、風呂場の壁に半輝石が埋め込まれてたんだけど、あれ何?」
「ああ、あれか。私たちも試してみたのだが、面白いぞ。どれ、見せてやろう」
「お、頼むわ」
四人で浴室へと移動する。
「じゃ、じゃあ、まず、左上、……から」
プルが、一列目の左の半輝石に指を触れ、魔力を込める。
すると、
「おー……」
天井自体が、ぼんやりと白く輝きだした。
「ま、魔力を灯術に、へ、変換する術式、みたい」
「こっちだと色が変わりましよ!」
ヤーエルヘルが、隣の半輝石に触れる。
すると、天井が緑色に光り始めた。
「てことは、この列は全部照明の色か」
「白、緑、青、黄色、桃色の五色だな。色が変わると気分も変わるものだ。先程、私たちも随分遊んだ」
「だから遅かったのか……」
悶々として、思わず素振りを二千回ほどこなしてしまった。
「んじゃ、二列目は?」
「込めましよー」
ヤーエルヘルが、二列目のいちばん左の半輝石に触れる。
すると、どこからかオルゴールに似た音色が聞こえてきた。
「へえー、気が利いてるじゃん」
「どうやら輪転式の自鳴琴が仕込まれているようでな。リラックスできるように、という配慮だろう」
「さすが一万シーグル……」
「どれだけ引っ張っておるのだ、お前は……」
「つい」
根が貧乏性なのだから仕方がない。
「てことは、二列目は曲が違うだけか」
「う、うん。……わ、わたしが知ってる曲も、あった。子守歌……」
「……湯船で寝たら危ないぞ」
「き、気を付けないと……」
「そんで、このでかいのは?」
二列の半輝石の隣にあった、大きめの半輝石を指差す。
「これは、魔力を込めると真上からシャワーが降ってくるんでしよ。雨みたいに!」
「ほーほー」
天井を見上げると、確かに、ズラリと小さな穴が並んでいた。
ここからお湯が出てくるのだろう。
「俺の世界にもあったな、シャワー」
「どんなのでしか?」
「こう、柔らかいホースの先にシャワーヘッドがついてて、そこからお湯を出すんだよ。埋め込み型じゃないから、自分で好きな場所にお湯を当てられるわけだ」
「ほう、それは便利そうだ。シャワーと言えば、壁か天井に埋め込まれているもの、というのが常識だからな」
「作ったら馬鹿売れするかもな」
「す、……するかも!」
「稼いでどうする。路銀を減らしたい、と言っておるのに」
「そうだったわ……」
などと、皆で笑い合う。
ひとしきり浴室を調べたあと、俺たちはリビングルームのソファに深々と腰掛けた。
「そんで、明日はどうする?」
「えと、ユーダイさんのお師匠さんのお店へ行くのと、魔術大学校に行って話を聞くのと、あと大図書館で調べもの──でしよね」
「ちゅ、注文は、早く済ませたい、……かも。お誕生日に間に合わせたいから……」
「そうですね。プルさまの言う通り、魔術大学校へ行くのは午後からでも構わないでしょう」
「大図書館って、魔術大学校の敷地内にあるんだよな」
「そのはずだ」
調べるべきことは多い。
カガヨウ=エル=ハラドナのこと。
元の世界へ帰る方法。
それと、ヤーエルヘルの名前について。
「ら、ラライエの言ってた、〈失われた名〉って、な、なんのこと、……なんだろ」
プルの疑問に、ヤーエルヘルが首を横に振る。
「心当たり、まったくなくて……」
「ヤーエルヘルにその名を付けた御両親は、なんと言っていたのだ?」
「──…………」
ヤーエルヘルが、目を伏せる。
「……わかりません。あちし、物心ついたときからひとりで。両親の顔も名前も知らないんでし」
「そう、か……」
ヘレジナが、気まずそうに視線を外す。
「気にしないでください。あちしには、みんながいましから!」
「──…………」
プルが、慈愛の笑みを浮かべ、ヤーエルヘルをそっと抱き締める。
「……わ、わたし、ヤーエルヘルのこと、だ、……大好き、だよ」
「え──」
目をまるくしたまま、ヤーエルヘルがしばし固まる。
そして、
「……ぶえ」
その双眸から涙が溢れ出した。
もしかすると、両親という単語は急所だったのかもしれない。
「プル、さあん……!」
「うん……」
「うむ、私も同じ気持ちだ」
「ヘレジナ、……さん……!」
「──…………」
「──……」
チラッ。
プルとヘレジナが、〈空気読めよ〉という視線を送ってくる。
「ぐ」
仕方がない。
「……俺も、ヤーエルヘルのことは、家族みたいに思ってるよ」
二人が、こちらを見ながら満足そうに頷く。
合格だったようだ。
「カタナ……さん、も」
ヤーエルヘルが鼻をすすり、言う。
「あちしも、みんなのこと、大好きでし。大好き、でし……」
目元を手の甲でくしくしと擦る姿が、いじらしい。
ヤーエルヘルを背後から抱き直し、プルが言った。
「……ね、ねえ。今日は、み、みんなで一緒に、寝よう!」
「へ?」
ヘレジナが間抜けな声を漏らす。
「ぷ、プルさま、それはさすがに……」
「や、ヤーエルヘルに、……家族のぬくもりを、お、教えて、あげたいな、……って」
「ぐ、ぐぬぬぬ……」
ヘレジナが何故か煩悶する。
「いいんじゃないか? 今まで、寝るときはさすがに別々だったし」
「カタナ!?」
「え、な、なんだよ……」
「か、かたなも、賛成!」
「──…………」
目蓋を閉じ、しばし瞑想じみた呼吸を行ったのち、ヘレジナが言った。
「……何か妙な真似をしたら、叩き斬るぞ」
「なんでだよ……」
「なんで、とは。お前……」
「同じ空間で寝るのなんて、今さらだろ。騎竜車で雑魚寝だってしてるんだし」
「いや、それとこれとはレベルが違うであろう……」
「え?」
「ん?」
何か、話がすれ違っている気がする。
「……同じベッドで寝る、のではないのか?」
「ああ。三人がだろ?」
「──…………」
ヘレジナが、プルの顔を見る。
「え、……よ、四人で、……だよ?」
「は!?」
あまりのことに、思わず立ち上がる。
「いやいやいや、さすがに俺は別だろ! そもそも四人で寝られるサイズじゃねえし……」
「み、……密着すれば、なんとか!」
「無理だって!」
ヘレジナが慌てていた理由がようやくわかった。
倫理的な理由を幾つか述べようとしたとき、ヤーエルヘルがか細く言った。
「……、だめ、……でしか?」
それは、あまりにも小さく、寂しげな声音だった。
「──…………」
あ、これ逆らえないわ。
「わか──、……った」
「か、かたな!」
「ただ、一つ条件がある」
「条件、とはなんだ?」
「男女ってことをあえて度外視しても、さすがに狭すぎるって。ベッドの隣にソファをくっつけて、一人はそこで寝よう」
「ああ、なるほど。それはいいな!」
「だろ?」
そして、俺がソファで寝れば、距離こそ近いが同衾っぽさは目減りする。
一石二鳥というわけだ。
「じゃ、じゃあ、わたしがソファで寝る、……ね?」
「待て」
「?」
プルが小首をかしげる。
「ソファで寝るのは俺に決まってるだろ」
「だ、……だって、ソファ、寝にくいよ? わ、わたし、言い出しっぺだし……」
「出会ったときのお前はどこへ行ってしまったんだ……」
最近のプルは、男女の倫理観に欠けている気がしてならない。
俺を異性として認識していない、と言うか。
ラーイウラを出てから、その傾向が顕著になり始めた気がする。
「カタナがソファ。その隣がヤーエルヘルで、その隣がプルさま。反対側の端が私だ。その並びがいちばん自然であろう」
「だな」
「……えへへ。楽しみ、でし。みんなで寝るの」
「楽しみなのは結構だが、季節的に少々暑苦しいやもしれんぞ?」
「まあ、そんときは朝風呂入ればいいだろ。いつでも入れるんだし」
「ま、窓、すこし開けとこ。夜風、入れて、涼しくしよう!」
「はい!」
ベランダへ続く大きな窓を開ける。
アンパニエ・ホテル二十一階から臨むネウロパニエの夜は美しかった。
灯術の白い光ばかりが無数に並ぶ夜景は、素朴な地上の星といった風情だ。
きらびやかな百万ドルの夜景も美しいが、これはこれで悪くない。
視線を屋内へと戻す。
いちばん大きなベッドの上で、三人が戯れているのが見えた。
思わず溜め息を漏らす。
意識しているのは、俺とヘレジナばかりか。
距離は確かに縮まっているのに、何故だかすこし寂しかった。




