1/ネウロパニエ -9 仔竜を抱いた少年
「あっ、か、かわいい……!」
「仔竜か。どうしてこんなところに」
「ヤーエルヘル、大丈夫か? 爪とか立てられてないか?」
「だ、大丈夫でし……」
仔竜は大人しく、ヤーエルヘルの頭上ですっかりくつろいでしまっている。
どうしようかと思案していると、
「──す、すみま……、あうっ!」
慌ててこちらへ駆け寄ってきた少年が、目の前で転倒した。
仔竜がヤーエルヘルの頭を離れ、今度は少年の肩に乗る。
プルみたいな少年だ。
他人事とは思えず、すぐさま少年を助け起こす。
「大丈夫か? 怪我は?」
「あ、ありがとうござ、います……」
俺の手を頼りに立ち上がった少年が、軽く膝を払った。
「す、すみません、うちのシィが……」
「シィって、この飛竜の仔か」
「は、はい……」
「──…………」
「──……」
親の仇とばかりに話が弾まなかった。
「……ほ、本当にすみませんでした。ぼく、行きますね」
少年が、ぺこりと頭を下げる。
だが、その肩を背後から掴む者がいた。
「──迷惑を掛けたのであれば、誠意のある謝罪をしなさい。適当に済ませるものではない」
それは、壮年の男性だった。
上品なひげを蓄え、髪も油でしっかりとまとめている。
「息子が申し訳ない。公共の場では離すなと、言い含めてあるのだが……」
男性が、こちらに右手の甲を向けて一礼した。
「あ、いえ、大丈夫でし。お気になさらず!」
「そうか、ならばよかった」
「……も、申し訳、ありませんでした……」
「では、失礼──」
そのとき、腰に長剣を提げた数名の剣術士が、慌てて駆け寄ってきた。
「──ツィゴニア様! あれほど我々から離れないでくださいと!」
「む」
男性が、周囲を確認する。
「……私の名を、軽々に出すな」
「も、申し訳ございません」
「つぃ、ツィゴニア、……って」
心当たりがあったのか、プルが目をまるくする。
「ああ……」
男性が、困ったように笑う。
「申し訳ない。秘密にしておいてもらえまいか」
「は、はい!」
「では、今度こそ失礼する。行くぞ、イオタ」
「は、はい……。し、失礼します……」
男性と、仔竜を抱いた少年、それから護衛らしき数名の剣術士が、その場を後にする。
その背中を見送りながら、尋ねた。
「プル、あの人知ってるのか?」
「な、名前は……」
「有名人なんでしね」
「え、……っと。う、ウージスパインの元老院議員、……で、げ、元首に次いで、発言力のあるひと、だったと、……思う」
「マジの偉い人じゃん」
「なるほど。アンパニエ・スイートを借りているのは、あの親子かもしれんな」
ふと、脳裏をよぎる言葉があった。
「待った」
「ど、どうした、……の?」
「──大きな仕事」
「あ」
気付いたのか、プルが口元に手を当てた。
「デイコスの言ってた、大きな仕事。可能性はあるんじゃないか?」
「ど、どうしまし……?」
ヘレジナが眉をひそめる。
「気になるのは確かだが、現状、何もできまい。デイコスが狙っているのがツィゴニアであるという確証はないのだ。護衛はいるのだし、いたずらに注意しても不安を煽るだけだ」
「それは、そうでしけど……」
難しい問題だ。
話した時間は僅かだが、悪い人とも思えない。
積極的に首を突っ込むつもりはないが、亡くなったと聞けば後悔するだろう。
「──!」
そのとき、プルが鼻息荒く駆け出した。
同時に足を滑らせ、スカートの中身を大公開する。
「ふぎゃん!」
今日は白か。
清潔感があっていいな。
「プルさま、大丈夫ですか……?」
ヘレジナが、慌ててスカートを直したあと、プルを助け起こす。
「プル。あの人に危険を知らせたいのか?」
「う、……うん! もしもがあるし、け、警戒するに越したこと、……ないし」
「わかった。そうしよう」
デイコスたちがすんなりと仕事を終えるのも癪だ。
積極的に関わることはなくとも、その危険がある人に注意を促すくらいなら、いくらしたっていいだろう。
「あ、ありが、……と!」
ツィゴニア一行の向かった先へ爪先を向けたとき、
「──ぴぃ!」
「わ!」
あの仔竜が飛んできて、再びヤーエルヘルの帽子に着地した。
「はら、気に入ったんでしか?」
プルが仔竜を優しく撫でる。
「こ、この仔、ヤーエルヘルのことが好き、……なのかも」
「えへへ、嬉しいでし……」
と、言うことは、
「──す、すみませ……、わあッ!」
向こうから駆けてきたイオタが、今度は顔面から派手に転ぶ。
「ちょ!」
プルみたいに、脊髄反射の治癒術なんて曲芸じみた芸当ができるはずもない。
「だ、大丈夫か!」
慌てて助け起こす。
「うう……、だ、大丈夫です……」
「は、は、鼻血出てる……!」
プルが、イオタの鼻先に手をかざす。
「……あ、あれ? 痛くない……」
ツィゴニアが護衛を引き連れて小走りで現れ、頭を下げる。
「ああ、治癒術まで。本当にありがとう。シィが途中で暴れ出してしまってね」
「こ、こんなこと、初めてで……」
「ヤーエルヘルによほど懐いたのかもしれんな」
「えへへへ……」
「ヤーエルヘル、竜好きだもんな。シィもそれがわかるのかもしれないぞ」
「だと嬉しいでしー……」
「──…………」
ヤーエルヘルの純粋無垢な笑顔に、イオタが一瞬だけ硬直する。
「……ぼ、僕も、竜が好きで! でも、み、みんなは、気持ち悪いって」
「え! こんなにかわいいのに……」
俺は、ヤーエルヘルの頭上の仔竜を抱き上げて、イオタに差し出した。
「ほい。今度こそ離すなよ?」
「は、はい……」
「幾度も迷惑を掛けて、本当に申し訳ない」
「ああ、いや──」
再び頭を下げるツィゴニアを制し、口を開く。
「実は、あなたに伝えておきたいことがありまして。むしろ、ちょうどよかった」
「伝えたいこと?」
「──…………」
さりげなく、イオタに視線を向ける。
俺の視線の意図を察したツィゴニアが、護衛の一人に言った。
「イオタを連れて、先に部屋へ戻っていてくれ」
ヤーエルヘルと同じくらいの年齢の子に伝えるべきことではないだろう。
「ですが……」
「なに、三人もいれば大丈夫さ。全員師範級なのだろう?」
「ええ、それはもう」
「であれば安心だな」
護衛の一人が溜め息を吐きつつ、イオタを連れて部屋へ戻っていく。
「……ま、また!」
「はあい! シィちゃんも、またね!」
「ぴぃ!」
ヤーエルヘルが手を振ると、仔竜が笛の音のような声を上げた。
イオタを見送り、ツィゴニアへと向き直る。
「──それで、内密の話なのかな」
「ええ」
話すべき内容を吟味する。
要は、彼の身に危険が迫っている可能性を指摘できればいいのだ。
「実は、ここへ来る前に不穏な噂を聞きましてね。ツィゴニアさんは、デイコスという名前を御存知ですか?」
「デイコス……」
思案し、答える。
「いや、ないな」
「私たちも聞きかじりで詳しくはないのですが、裏の世界では有名な暗殺者の一族らしいのです」
「暗殺者……」
護衛たちの視線が鋭くなる。
「噂では、彼らがこのネウロパニエで、近々〈大きな仕事〉をすると。あなたの名を聞いて、ふとそのことを思い出しましてね。現状、思いつく限りの最も大きな仕事と言えば──」
「なるほど。私の暗殺、というわけか」
「正直、お伝えするか迷いました。ですが、こうして言葉を交わしているのも何かの縁です。後から訃報を聞いたりなどすれば、後悔すると思ったものですから」
ツィゴニアが、幾度か頷いてみせる。
「案外、的外れな噂でもないかもしれん」
「そうなのですか?」
「私には政敵が多い。首都カラスカであればともかく、ここでは護衛の数も限られている」
「……なるほど。絶好のタイミングではあると」
プルが尋ねる。
「と、……ところで、どうしてネウロパニエへ? き、き、危険だとわかっている、……のに」
「ああ、まあ、いくつか理由はあるのだが……」
ツィゴニアは、肩身が狭そうに苦笑して、
「──息子のな。参観会があってな」
そう小声で答えた。
「親馬鹿と思われるかもしれないが、気になるものだよ。君たちも親になればわかるさ」
「ふへ、へ。そ、そうです、……ね!」
「貴重な助言、どうもありがとう。重々気を付けさせてもらうよ」
「ええ。どうか御無事で」
「君たちもな。では、良い夜を」
ツィゴニアが、護衛と共に、今度こそロビーを後にする。
「フー……」
体の中に緊張が残っている気がして、思いきり息を吐く。
「偉い人と話すの、慣れないな……」
「き、緊張、するよね……」
「わかる」
プルは元皇巫女だから、他国の偉い人たちと接する機会も多かったことだろう。
「あの説明でよかったと思うか? いまいち胡散臭い情報になっちまった気がするけど」
「十分だろう。あとはツィゴニアの問題だ。私たちは、ただの旅人に過ぎない。世直しをしているわけではないのだ。それに、親切の押し売りも迷惑なものだ」
「……ま、そうだよな」
俺たちの立場から、やれるだけのことはした。
デイコスの〈大きな仕事〉が、ツィゴニアの暗殺でないことを祈るばかりだ。




