1/ネウロパニエ -8 三十万都市
学園都市ネウロパニエ。
魔術大学校を擁するウージスパイン最東端の都市だ。
魔術大学校を中心として発展してきた経緯があり、人口はおよそ三十四万人。
その数は年々増え続けており、都市自体も歪な円形に膨れ上がりつつある。
新しくできた街区を抜け、ネウロパニエの中央区へと到着したのは、夕刻のことだった。
「おおー……」
思わず感嘆の息を漏らす。
地上十階ほどのビルが林立し、その隙間を縫うように、石畳で舗装された道路が走っている。
幅広の騎竜車が数台はすれ違えるほどの道幅だから閉塞感こそないが、まるで中世から近代へとタイムスリップしたような気分だった。
「──すッ、ごーい! でし!」
「これは、また。圧倒される光景であるな……」
御者を代わってくれたヘレジナが、無数のビルを仰ぎ見た。
雨戸から顔を出したプルも、同様に感嘆の息を漏らす。
「ふわ! こ、こんな縦に長い街、は、初めて……!」
上品な灯術の明かりが街を満たし始めている。
道行く人々が次々と街灯に明かりを灯していく光景は、すこし宗教的にも感じられた。
騎竜車を預かり所に託し、最低限の荷物と貴重品だけを持って街へと繰り出す。
ネウロパニエは人の往来も多い。
日本とは異なり十分な道幅があるため、人とぶつかりそうになることはないが、三十万都市の威圧感はたしかに感じられた。
「なんか、久し振りだな。この往来の感じ」
「に、日本って、ネウロパニエに似てる、……の?」
「近からず遠からずって感じか。ただ、こうして人がごった返してる場所は多かったからな。その点だけは日本っぽい」
「ひ、ひと、多いんだ……」
「多いのもあるし、狭いのもある。道幅なんて、この半分以下だぜ」
「いや、ぶつかるではないか……」
ヘレジナが至極真っ当な突っ込みを入れた。
「それが、ぶつからないんだよ。何故か」
「どうしてでしか?」
「こんな話がある」
ぴ、と人差し指を立てて、話し出す。
「とある国の研究者が、〈街中で肩がぶつかった際にどのくらいの確率で謝るのか〉という社会実験を各国で行った。国民性を測る実験だな」
「ほう」
「その研究者が、のちに言った。日本人にこの実験をするのは非常に難しかった。何故なら、彼らはぶつかる直前にサッと避ける技術に、信じられないほど長けていたからだ──ってな」
「す、すごい……」
「日本とやらの国民も、なかなかやるではないか」
「端的に言っちまえば、道が狭いこと、人が多いことに慣れきってるんだよ。俺も、日本の中でも特に人の多い都市に住んでたけど、人にぶつかったことなんて数えるほどしかないし」
「それは、元より、カタナに武術の才があったからではないのか?」
「そういうわけでもないのが面白いところなんだよな……」
それに、俺には武術の才能なんてものはない。
神眼という高い高い下駄を履いているだけなのだ。
他愛のない会話を交わしながらホテルを探す。
何はともあれ、まずは宿だ。
ヘレジナが宣言する。
「せっかくだ。ネウロパニエでいちばん高級な宿を取るぞ!」
「路銀、大丈夫かよ」
「ヤーエルヘルとも話したのだが、路銀をむしろ減らしたいのだ。腰を落ち着けて貯蓄をするのであればともかく、大金を常に持ち歩いてはろくなことにならん」
「それはそうか……」
大金はトラブルの元だ。
あのゼルセンも、俺たちがカナン遺跡群の財宝を見つけさえしなければ、旅人狩りの獲物に選ぶことはなかっただろう。
「義術具代を含め、ひとまず半分程度になればよい。しばらくはかかるだろうが、コツコツ散財していこうではないか」
「はいよ、了解」
所持金を減らすために散財する、と言うのは、人生で初めての行為だ。
なかなか新鮮かもしれない。
行き交う人々に道を尋ね、ネウロパニエで最も高級とされるアンパニエ・ホテルへと辿り着く頃には、太陽はとうに姿を隠していた。
「おっきいでしー……!」
二十二階建ての白亜のホテルを見上げる。
流線型のそのデザインは、周囲のビル群から明らかに浮いており、特異な存在であることをやかましいくらいに主張していた。
「は、ハノンソル・ホテルより、立派、……かも」
「灯術は控えめだな。ゲーミングしてない」
「げ、げーみんぐ……?」
「……まあ、俺の世界の表現だな。虹色にゴテゴテ光ってること、みたいな」
「な、なるほどー……」
プルが、うんうんと頷く。
「は、ハノンソルは灯術の街、……だったから。こ、これくらいが普通、なのかも」
だが、派手さがないからこその高級感というものもある。
ハノンソル・ホテルの宿泊料金は知らないが、アンパニエ・ホテルのほうが幾分か高そうに感じられた。
「部屋が空いていればよいのだが……」
アンパニエ・ホテルの玄関は、元の世界でも類を見ないほど巨大な一枚ガラスだ。
どこから入るのかと迷っていると、ホテルマンらしき男性が、ガラスに埋め込まれた半輝石に手を触れた。
回路じみた術式が浮かび上がり、一枚ガラスの扉が左右にスライドしていく。
「手動の自動ドア……」
「手動なのでしか? 自動なのでしか?」
「わからん」
ホテルマンの男性に会釈をして、アンパニエ・ホテルのロビーへ入る。
三階まで吹き抜けの広大なロビーは、白熱灯のような優しい色の明かりに包まれていた。
「広いでしー……」
ヤーエルヘルが、心なしか小声で驚く。
周囲に気を遣っているらしい。
おのぼりさん丸出しで周囲をきょろきょろと見渡しながら、フロントへと向かう。
「このホテルでいちばん高い部屋は、空いているか?」
受付の女性が、不躾なヘレジナの言葉にも上品な笑顔を崩さずに答える。
「申し訳ございません。ただいま、最上階のアンパニエ・スイートは満室となっております」
「では、二番目でいい」
宿帳らしき立派な装丁の書物を操術で開きながら、受付の女性が言った。
「通常のスイートルームであれば御案内できます。如何なさいましょう」
「それで頼む」
「宿泊料金は先払いとなっておりますが、よろしいでしょうか」
「ああ、いくらだ?」
「四名様ですと、一泊で九千六百シーグルとなっております」
「たッ……!」
か、と言いそうになって、慌てて口をつぐむ。
一泊で二百万円超だぞ。
ふざけんなって感じである。
「ふむ。では、七枚で足りるか。釣りはいらん」
ヘレジナが、エルロンド金貨七枚をカウンターに乗せる。
受付の女性は軽く面食らった様子だったが、それでもプロフェッショナルだ。
「──たしかに、承りました。後ほど案内の者が参りますので、ロビーでしばしおくつろぎください」
「ああ」
ロビーへ取って返し、触り心地も座り心地も高い椅子へと腰掛ける。
「び、び、びっくりした。お金、すーごくかかる……!」
プルの言葉に同意する。
「ニャサの宿なんて、四人で四十シーグルだぞ。次元が違いすぎる」
「高いのはわかるが、声には出すな。みっともないぞ」
「口から勝手に」
「コツコツ減らそうと思ってたのに、すぐなくなっちゃいそうでしね……」
「さすがに二泊も三泊もできんな。明日は普通の宿を探すとしよう」
「そーすんべ。こんなとこでメシ食っても味わかんないって」
「カタナ。王城では平気だったではないか。アンパニエ・ホテルがいくら高級と言っても、あの王宮でのもてなしには敵わんぞ」
「王城では金払ってないじゃん」
「……そういう問題か?」
「日本円に換算できちゃうと、どうしてもな。小市民なもんで」
「相変わらず、よくわからん男だ」
ハノンソル・ホテルでもそうだったが、金額がわからなければ平気なのだ。
いざ宿泊費を知ってしまうと、どうにも落ち着かない。
だって、二百万円だぞ。
俺の年収と大差ないんだぞ。
しかし、周囲の身なりの良い人々は、そんなことを気にする様子もなく談笑している。
これが金持ちというやつか。
感心と妬みの妬み寄りの感情を煮立たせていると、
「──ぴぃ!」
ふわりと視界を横切るものがあった。
それは、猫ほどのサイズの小さな飛竜だった。
飛竜は俺たちの周囲をぐるりと旋回すると、
「わ」
ヤーエルヘルの帽子の上に、すぽりと着地した。
「な、なんでしか……!」
状況がわからないのか、ヤーエルヘルが慌てている。




