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アップルケーキに愛をこめて  作者: セリ
アップルケーキに愛をこめて3 ~王宮の陰謀篇~
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7  ~最終話~ この道を貴方と

 

 雪と氷に閉ざされた冬が幻に思えるほど、王都クラレストは春爛漫です。


 家々の窓やバルコニー、街路樹の根もと、運河の欄干。いたる所で花と緑が溢れ、鳩が石畳をつついています。冴えわたった空気。青い空。レストランの外にテーブル席がお目見えし、赤や青のクロスが鮮やかです。

 

 皆様、こんにちは。僕、エメルです。あっ、いけない、また僕と言ってしまった。訂正。わたしはエメル・フォン・リーデンベルク、15歳になりました。こほん。


 15歳といえば、妙齢です。社交界デビューした貴婦人として、責任と自覚ある態度が求められます。そういうわけで、とうとう一大決心をしました。


 男の子の服は箱に詰め、クローゼットの奥に封印。モップは掃除道具置き場に返却。「僕」ではなく「わたし」と言う。決意を胸に、毎日ドレスを着てビクビクしながら学校に通っています。


 似合ってないに決まってる。布をかぶったカカシに見えるに決まってる。そう思いながら歩いていると、男子学生の声が聞こえて来るんです。


「可愛いな。誰?」

「レオン・リーデンベルクの……」

「デートに誘ったら殺されるかな」


 恥ずかしくて逃げ出してしまいますが、ちょっと嬉しい。少しくらいなら自信を持っていいのかな。


 今日は休日。朝、いつものようにメイドさんが部屋に来て、肩の下まで伸びた言う事を聞かない髪を結い上げてくれました。


 前髪を2つに分け、左右2つずつの縦ロールにして垂らす。後ろ髪はねじって一つにまとめ、白い生花の髪飾りをつける。それだけでお嬢様風に変身です。


 ドレスは、藤色に赤や白の小花を散りばめたシルク。レースの付いた白いエプロンを着け、コックのハンスさんが買い物に出かけている間キッチンを借りることにして、アップルケーキを焼き始めました。


 冬の間氷結保存されたリンゴは、甘味たっぷりです。いつもより少なめ砂糖をバターと一緒に泡立てて泡立てて、卵黄と牛乳、レモン汁と小麦粉を加えます。


 別のボールで、卵白と砂糖を泡立てて泡立てて。白っぽくふんわりしたところで2つのボールを合せ、型に流し込み、甘く煮た薄切りリンゴを乗せて石窯オーブンに入れました。


 レオンさんは朝早く書類を抱えて出かけたし、トーニオさんは夕べ遅かったからまだ眠っているはず。キッチンで一人佇んでいると、静かで平和な時間が過ぎて行きます。


 王宮で働いたことが、遠い昔のよう。あれは去年の11月で、その後も色んな出来事がありました。


 エードバッハ夫妻が厳重注意のうえ永久追放になったことや、ナタリア夫人の病気と虚言・妄想癖について、新聞に載りました。国王陛下の弟君や前ラーデン侯爵などの名前は出ず、もちろんボーデヴィッヒ侯爵やリーデンベルク家の名前が書かれることもなく、エードバッハ夫妻だけが悪いみたいな記事で腑に落ちません。


 侯爵邸を去る夫妻をレオンさんとお見送りした時、せめてトライゼンの思い出を持って行って貰いたくてオルゴールを贈ったけど、よかったのかなあ。


 蓋を開ければ古くから伝わる恋の歌が美しい旋律となって流れ、トライゼンでの辛い記憶を呼び起こされた夫妻は、嫌な思いをしているかもしれない。


 悩んでいるとエードバッハ氏の使いが訪れ、夫妻がアメルグにある自宅で結婚式をすることになったと知らせてくれたんです。ぜひ出席して欲しいと言われ、大喜びでレオンさんとトーニオさんに相談し、3人で出席しますと返事をしました。


 式は5月。来月です。よかった……本当によかった。


 今年に入ってすぐ、ミレーヌさんが離婚したという話が流れました。2月になるとボーデヴィッヒ侯爵がやって来て、


「ミレーヌと結婚することになってね」

「お気の毒に。働き過ぎたんですね。しばらく休暇を取って、頭を休めた方がいいですよ」


「本当に結婚するんだ。信じられないかな?」

「弱みを握って脅したとか、貴方が全力で誘惑したとかなら、あると思いますけど」


「どちらかと言えば、後者だな。今では彼女、私に惚れていてね。蜂蜜やらハト麦やらを混ぜて、手製のお茶を作ってくれるんだよ。お体にはくれぐれも気をつけてくださいねあなた、なーんてなまめかしく言われてなあ、つくづく私は罪作りな男だ。あっはっは」


 わぁ、単純。鼻の下をびろ~んと伸ばして高笑いして、侯爵は上機嫌で幸せそうです。ミレーヌさんは、きっと一生この人を上手に操るんだろうなあ。さすが貴婦人!


 故郷での結婚式に何十人でも招待するという侯爵の豪語に甘え、レオンさんとトーニオさん、マテオさん、ブルーノさん、ユリアスさん、リーザさんの総勢7名でお邪魔することにしました。


 式は6月。おめでとうございます、侯爵。ミレーヌさんの花嫁姿、綺麗だろうなあ。今から楽しみです。 


 ユリアスさんといえば、つい先日、謎めいた出来事がありました。毎年4月になると国立歌劇場でオペラが催され、春のオペラ週間と呼ばれる一大社交場が出現するんです。


 今年は4月10日に初日を迎え、舞台に国内外の有名なオペラ歌手、観客席には国王ご一家を始め大貴族や著名人の姿も見え、大盛況でした。


 この日のために新着したイブニング・ドレスを着てレオンさんと一緒に出かけてみると、男装のユリアスさんの同伴者が目を見張る美女だったんです。


「南国から来られたそうよ。どの南国かしら」

「トライゼン語が話せないんですって。ラーデン女侯爵は、語学に堪能でいらっしゃるから」


 ユリアスさんと美女を取り巻く人々から話し声が聞こえ、見ると美女には確かに南方系の雰囲気がありました。


 コーヒー色の肌がつややかに輝き、エキゾチックな顔立ちにはドキリとするような色気があって、扇で絶えず顔を隠す仕草に奥ゆかしさも感じられ――――でも、どこか変。こちらをチラッと見て、慌てて目を逸らしたりして。


 翌日学校でユリアスさんに尋ねると、詳しいことはいずれ話すから今は勘弁してくれと言われ、仮面舞踏会に誘われました。


 ユリアスさんが女装して、なぜかマテオさんと仮面舞踏会に行くことになったらしいんだけど、何でそうなったの? 


 交換条件がどうのとユリアスさんは口を濁し、レオンさんと相談して4人で出掛けることにしたけど、謎は深まるばかりです。


 謎といえば、リーザさんとブルーノさんの様子も変です。2人でオペラ週間の初日に来ていて、後でリーザさんに尋ねると「一緒に行く相手がいないから頼むって拝まれて、気の毒だからついて行ってあげたのよ」と返って来たけど、怪しい。


 ユリアスさんとマテオさん。リーザさんとブルーノさん。この4人に何が起きているんでしょうか。恋人同士という雰囲気でもないし――――うーん。


 鋭く研ぎ澄まされた推理魂が騒ぎます。そんなこんなを考えているうちに、オーブンからいい匂いがして来ました。 


「甘いもの、久しぶり。有り難く頂戴するよ」


 いつの間にか、グレイのフロック・コートに身を包んだトーニオさんが戸口に立っています。


 青空のような瞳を瞬かせ口元に悪魔めいた微笑を浮かべ、こういう時のトーニオさんは悪だくみをしてると経験上わかってるから、身構えて答えました。


「どうぞ。もうすぐ焼き上がりますから」

「では遠慮なく」


 言うなり顔を近づけて来るんです。ぎょっとして、思わず後ずさってしまいました。


「どうぞって言ったよね?」

「甘いものって、ケーキのことでしょ?」

「違うよ。君のこと。ねえ、エメル。レオンとキスした?」

「えっ……」


 そんなこと聞かれても。答えられるわけないのに。口をもごもごさせていると、トーニオさんがにやりと笑います。


「男によって、キスの仕方が違うんだよ。作り手が違えば料理の味が違ってくるように。どう違うか、知りたくない?」

「いえ、べつに、というか全然」


「知りたいはずだよ。君は、人並み以上に好奇心旺盛な子なんだから。料理だって見た目は美味しそうでも、食べてみないと実際のところは分からないだろう? ほんの一口、食べてみろよ。試しに、ほんの一口だけ」

「い、いえ、結構です」


 試しに一口って、市場の試食じゃあるまいし。心の中で毒づいたけど、だんだん余裕が無くなって来ました。


 トーニオさんは優雅に微笑んでいますが、目が笑っていません。食べてみろと言いながら、僕を食べようとしてるみたいで、怖くなってしまいます。


「あの、僕、あの……」

「やっぱり君には『僕』が合うね。背徳的な雰囲気がいい」

「ハイトク? えっと、ハイトクよりケーキの方が美味しいと思います。そろそろ焼き加減を見ないと」


 さらに一歩下がり、背中が熱いと思った瞬間トーニオさんに腕をつかまれ、引き戻されました。


「火に近づき過ぎ。火傷するよ」


 石窯オーブンの一番下に薪をくべる空間があり、危うくドレスの裾が燃えるところでした。トーニオさんは、腕をつかんだまま上から見下ろしています。容赦なく近づいて来る唇。


「その、あの、ひっ、ひ――っ」

「幸せになれよ。俺の大事な妹くん」


 額にキスを一つ。力が抜けたみたいに茫然とする僕を見て、悪魔のトーニオさんは吹き出しました。


「まったく君って子は。男に迫られたら、突き飛ばせばいいんだよ」

「そんなこと、僕、じゃなくて、わたし、出来ませんよ」

「きっぱり断れ。毅然とした態度を見せないと、了承したと思われるよ。それとも……」


 トーニオさんの両手がわたしの背中に回され、綺麗な女の子みたいな顔が近づいて来ます。


「了承したの?」

「してません。全然してません!」

「期待したのに」


 笑いながら離れて行くトーニオさんは、何を考えているのかよく分からない人です。さらさらの金髪をかき上げながら、階段を駆け下りて来る足音に耳を傾け、にやりと笑いました。


「俺って、時間を計る天才。出掛けるつもりで部屋を出て、ちょうど帰って来たレオンとばったり会ったんだ。来るだろうと思ったら、案の定」


 案の定、レオンさんが飛び込んで来ました。黒のモーニング・コートを着て、白い乗馬ズボンを穿いています。銀色の細いネクタイをダイヤのピンで留め、落ち着いた若き紳士といった風情のレオンさんはトーニオさんとわたしを見比べ、しかめっ面です。 


「来るのが早いよ。これから口説くところなのに」

「禁止だと言っただろう。エメ、出かけよう」


 レオンさんはわたしから白いエプロンをむしり取り、トーニオさんに投げました。


「トーニオは、オーブンの番をしてろ」

「ふざけるな。出かけなきゃならないんだ」

「焦がすなよ」

「だから、出かけるんだって。おい、待て」


 トーニオさんの怒声がメイドさんを呼ぶ声に変わり、遠ざかって行きます。わたしの肩を抱き廊下を進むレオンさんはクスクス笑い、楽しそうです。


「あの、レオンさん。どこへ行くの?」

「見せたい物があるんだ」

「見せたい物って?」

「行ってからのお楽しみ」


 何だろう――――。レオンさんの愛馬ネフィリムの背に乗り、お嬢様らしく横座りをしてスカートを整えました。後ろに座ったレオンさんに抱き寄せられ、ドキドキしながら出発です。


 空は快晴。春の陽気がぽかぽかと心地良く、大通りはいつも以上に賑やかです。しばらく行くと人だかりが見え、華やかな店構えとショー・ウィンドウから、新しく開店した服地店だろうと見当をつけたけど……。


 ベネルチアの服地や雑貨を扱う店が大通りに出来たそうで、店先に集う人々の大半は若い女性です。にこやかに応対する男性に見覚えがあり、「あっ、フォルクさん」と声を出してしまいました。


 フォルク・ノイドハイム――――。高い頬骨と浅黒い肌。細面の美しい顔立ちの若者は、ベネルチアらしい鮮やかな色彩のネッククロスを首に巻き、細身のスーツを小粋に着こなして、以前会った時より大人びて見えます。レオンさんとわたしに気づくや右手の指先を唇に付け、こちらに向かって投げました。


 投げキッス? レオンさんに? そんなわけないよね。まさか、わたし? 女性たちの嘆息とも悲鳴ともつかない声が響き、お腹に回されたレオンさんの腕に力がこもります。


 フォルクさんの顔が険しくなり、レオンさんを睨みつけたかと思うと次の瞬間には皮肉な微笑を浮かべ、こめかみに当てた2本指をレオンさんに向かって投げました。


 挨拶のつもりでしょうか。見ているこちらが恥ずかしくなるほどキザな仕草が、フォルクさんの手にかかると自然で彼らしく見えます。呆気にとられるけど。


 レオンさんは鋭い横目をフォルクさんに放ち、フォルクさんは険のある薄笑いを返し、そうして静かに馬は店の前を通り過ぎて行きました。 


 女性たちの視線が冷たく白く突き刺さり、きっと彼女たちはフォルクさんが好きなんだろうなと思います。


「フォルクさんのお店でしょうか」

「たぶんな。船を買って、東の国々と貿易を始めたらしいよ」

「珍しい服地があるんですね。だから若い女性が集まってるんですね」


 目当ては服地だけではないだろうなと思いながらネフィリムに揺られ、大通りから一本内に入った通りを行き、一軒の屋敷の前で止まりました。


 優しいクリーム色の石壁。白い格子窓。細高くこじんまりとした3階建て邸宅です。玄関脇に手綱を結び、レオンさんは扉に鍵を差し入れました。


「あの、ここは……」

「さあ、入って。ビットナー公爵の別邸だ。買おうと思うんだが、君の意見が聞きたい」

「買う……」


 レオンさんが家を買う――――リーデンベルク邸を出て行く。頭の中が真っ白になり、うながされるままに足を踏み入れて、玄関ホールを見回しました。


 白い格子窓から、陽がさんさんと降り注いでいます。左右に小部屋が2つ。真っ直ぐ進むと広間です。正面に階段があり、左右二手に分かれ2階へと続いています。階段の踊り場には、青いステンドガラスのはまったアーチ型の大きな窓。


「築120年。部屋数は20。公爵家の来客用宿泊施設として建てられたが、ここ数年は使われていなかったらしい」


 話しながら、2階の部屋を案内してくれました。柱廊から中庭が見下ろせ、屋敷が薔薇の植えられた中庭をぐるりと囲む形で建てられていることが分かります。


「綺麗な庭ですね」

「うん。この屋敷、どう思う?」

「素敵です」

「……よかった」


 ほっとしたように胸に手を置くレオンさん。外階段を下り中庭に出ると、色とりどりの薔薇の蕾が花開こうとしています。レオンさんの指が、一輪だけ咲いたクリーム色の薔薇に触れました。


「家具が運び出された後、かなり手を加えなければならないんだ。天井や床の傷んだ箇所を修繕し、壁紙を貼り替え、新しい家具を置く。女主人として、手伝ってくれるか?」


「はい。……女主人?」

「結婚してほしい」


 レオンさんは胸に手を当て深々と礼をし、僕の手を取って口づけ、まっすぐ僕を見ました。


「結婚してください」


「はい」と返事をしたと思うけど、さだかではありません。驚きと喜びに意識が朦朧とし、言葉にできない幸福感に圧倒されてしまって。


 レオンさんの手が優しく髪を撫で、人生2度目の大人のキス。レオンさんと。この先何十年経とうとも、レオンさんだけ。目の前に道があり、レオンさんと2人で助け合って進んで行くんです。


 パパの再婚から始まった怒涛の1年はこうして終わりを告げ、僕の物語は幸福な結末を迎えました。


 皆様に、さようならを言わなければなりません。どうか幸せになってください。僕もきっと幸せになりますから。って、また僕って言ってるうっ!


                         完



最後まで読んでくださって感謝しています。

本作品は、これにて完結です。

長い間ありがとうございました。

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