008 皇后と麓妃
「雪燕」
名前を呼ばれ、震える右手を私へと差し伸ばす。
私はお義母様に駆け寄り、その手を取った。
「お義母様……」
「雪燕、すまなかった。私のせいで、苦労ばかりかけた」
「いえ、お義母様の手紙も読みました」
「全て、雲龍国へ嫁ぐ時に話そうと思っていたが……。よくぞ、無事であったな」
「お義母様、実は、こちらの泰然様が私の命の恩人なのです。慧王殿下のご子息で、薬師でもあって、疫病をも治せる秘薬を泰然様が完成させたのです。それをお義母様に使えたらと思って、都まで参りました」
「そうか、私は疫病ではない、だからその薬は効果がないだろう。しかし、それを私にと、ここまで来てくれたのだな」
「はい。それから……お義母様とお話をしたくて、会いたくて来ました」
「私も、雪燕に会いたかった」
お義母様はそう言って私を強く抱きしめた。
お義母様の匂いがする。
今まで気付かなかったけれど、少し泰然様と似ている。お義母様も、薬が作れるからだろうか。
「舞姫の衣装だな。これから舞を行うのか?」
「はい」
「陛下は、今どこに?」
「それが……」
言葉に詰まると、お義母様の表情は急に険しくなった。
「宮殿に戻ってきているのか? ならばもうここから出なさい。後は仁峰に任せておけば良いのだ」
「ですが」
「陛下にお前を見せたくない。麓妃のように……死なせたくはない」
「お母様の……ように?」
「麓妃が亡くなったのは陛下のせいなのだ」
「どうして……」
「陛下は──」
「お義母様っ」
倒れかけたお義母様を泰然様が支え、部屋の隅で話を聞いていた瑠麗が椅子を持ってきてくれて、お義母様を椅子に座らせた。
「ありがとう。お前は……」
「黎瑠麗と申します」
「お前が瑠麗か。これからも雪燕を助けてやってくれ」
「はい。それで……どうして雪燕のお母様は」
「陛下は麓妃が身ごもっている時、一度も彼女に会おうとしなかった。お腹に宿った子供を慈しむ麓妃を見ると、無償に腹が立つそうだ」
お義母様は額を手で押さえ、憎らしそうにそう話した。
「腹が立つ?」
「陛下は愛する麓妃に、何よりも自分を一番に愛して欲しかったのだそうだ。だから……三人目の子を身籠り、悪阻で苦しむ麓妃に、薬を持ったのだ」
「……薬、ですか?」
「ああ、陛下は笑いながら言った。妊娠しているから悪阻があるのだろう? 二度と子ができぬ薬を飲ませたと。子を失い部屋で落ち込む麓妃にだぞ?」
お父様が、そんなことを……、信じられない。
でも、本当のことなんだ。
お義母様が、怒りを抑えながらも、話してくださっているのだから。
「麓妃は気を落とし、病にかかり亡くなった。あの子は小さい頃に親を失い、私の姉が……皆が大婆様と呼ぶ方に、育てられたのだ。姉は舞の達人でな。麓妃は姉が舞を教えた娘の中で一番の舞手に育った。彼女の成長を、私は傍でずっと見ていたのだ」
お母様は、お義母様にとって、娘のような存在だったんだ。
「密仙国では、私は瑠麗の姉の瑛麗のように、薬作りばかりに没頭していた。薬作り以外で、初めて心が動いたのは麓妃の舞だった。だから、陛下が麓妃を気に入っていることに気付き、私は歳を取らない呪いの秘薬を自らに用いて見た目を偽り、陛下と婚約したのだ。あの娘の舞を、ずっと見ていたかったから」
「雪燕の母は、皇后にとって、離れがたい、大切な人だったのですね」
泰然様がそう言うと、お義母様は小さく頷いた。
「もし、雪燕が陛下の手に落ちれば、麓妃と同じ薬を盛り、ただ陛下の傍で舞を踊るだけの人形と変わらぬ扱いを受けるだろう。私は、どうしてもそれを避けたかった」
「お義母様、今まで守ってくださり、ありがとうございました」
私が頭を下げると、お義母様は私の手を取り顔を上げさせた。
「礼などいらないのだよ。母として当たり前のことをしただけなのだから。泰然といったな。お前は雪燕の何なのだ?」
「雪燕というか、雪蘭と婚約しています」
「ほう……そうか。泰然、雪蘭を任せたぞ」
「はい、お義母上」
泰然様がそう呼ぶと、お義母様は嬉しそうに微笑んだ。
「ふぅ、たくさん話て疲れた。瑠麗、肩を貸しておくれ、龍神の池で舞うのだろう。私も見たい。それと、さっきの秘薬なのだが。試したいことがある」
「試したいこと?」
****
御神木を失った龍神の池の周りは、いつもの清廉さが失われ、空気が淀んでいた。
満月は雲に隠れ、辺りは薄暗い。
御神木は、殆ど燃え尽きていたけれど、太い根と黒焦げの幹が少しだけ残っていた。
数ヶ月前まで、毎月この池の前で舞っていたのに、初めて来る場所みたいで、少し怖い。
「大丈夫か?」
「泰然様、春燕は?」
「そこに座っている」
回廊へ続く階段の途中に、春燕は皇后と並んで腰を下ろしていた。
春燕は火傷で歩けないので、お義母様に頼まれて、泰然様がここまで春燕を背負って運んでくれたのだ。
泰然様は不満そうではあったけれど、何も言わずお義母様の頼みを聞いてくれた。
お義母様に付き添ってくれていた瑠麗は、春燕に任せると、御神木に駆け寄り、そっと手を触れた。
「瑠麗、どうかしら?」
「皇后が言っていたように、この木は死にかけている。でも、まだ生きている。泰然、お願い」
泰然様は胸元から秘薬が入った小瓶を取り出し、そして私に渡した。
お義母様が試したいといったのは、御神木のことだった。燃えて消えかけた樹木の命を、秘薬の力で繋ぎ止めることができるのではないか、と。
「雪蘭が、傷付いた御神木に秘薬を与えるんだ」
「ですが、どうやって与えたらよいのか……」
「そうだな、では、二人でやろう」
「はい」
御神木の根元を指さし、瑠麗は言った。
「この辺り、まだ活力がのこっているわ」
泰然様と一緒に御神木の前に膝を付き、二人で秘薬の小瓶に手を添え根元に垂らした。




