007 奥の手?
「仁峰様が、密仙国の姫君と緑淵を通ったことが、陛下にも伝わっていたようで、都への帰還を僅かに早めたそうなのです」
侍衛の者がそう伝えると、不安そうな顔で兄は私を見た。
「そうか……もう戻られてしまったか。今晩の舞はどうすべきか、もう一度考え直そう。雪燕を父上に会わせてはならない」
当初の予定だと、珊麗様が皇宮の人々の目を引きつけている間に、私は泰然様と瑠麗と龍神の池で舞う予定でいた。
珊麗様の話だと、満月の夜に龍神の池で舞姫が舞えば、龍神様の怒りも落ち着くだろうとの話だったからだ。
目的は皇后の見舞うことであるけれど、せっかく碧砂国へ行くのなら、憂いを全て晴らしてしまえ、と言ってくれたのだ。
しかし、まさかお義母様が、お父様から私を守ろうとしていたなんて、考えもしなかった。
本当は、お父様には本当のことを話すつもりでいた。
お父様の協力があれば、問題も起こらないと思っていたのに。
今の私は、髪色は違えど、母にそっくりだ。
「それならば、私にお任せください」
少し遅れて侍衛の後ろから現れたのは、珊麗様と剛様だった。
「珊麗様」
「今晩、私が皇帝陛下に舞を披露しましょう。病で、そして天災によって空へと旅立たれた方々の魂を鎮めるため、そして、荒れ狂う龍神のために。その間に、雪燕様が龍神の池の前で、雨ごいの舞を踊ってくださいませ」
「ありがとうございます。ただ、父は密仙国の姫君がいらした事で帰還を早めたようです。もしかしたらですが……」
「私と仁峰様の婚約のお話が進められてしまうのでは、とご心配ですか?」
「はい」
「ふふっ、仁峰様は、雪燕様と同じね。とても素直な方ですわ。でずか、ご安心ください。それは想定していたことですので。私には、この剛様がついておりますし、奥の手もございますから」
「奥の手……ですか?」
「ええ、ほら」
珊麗は、そう言うと、大きな黄色みががった瞳で兄の目をじっと見つめた。
徐々に兄の頬が赤く染まっていく。
もしかして、これが瑠麗の言っていた魅了の術なのかもしれない。
「わかりましたでしょ?」
「えっ? えっと、申し訳ないのですが、よく分かりませんでした」
照れた様子で兄は苦笑いで答え、珊麗様は、黄色い瞳を瞬きさせ、動揺している様子だ。
瑠麗は兄と珊麗様を交互に見て驚いて声を上げた。
「もしかして、お姉様の魅了が効かないの?」
「魅了?」
兄がそう言って、説明をしてほしそうな目を私へ向けた。ここへ来るまで、私と珊麗様と瑠麗、そして泰然様は、馬車で作戦を練っていたけれど、仁峰お兄様は馬で移動していた。
だから、珊麗様について、瑠麗の姉で皇族の方ということくらいしか説明していなかった。
珊麗様は、不思議そうに兄の瞳を覗き込んだ。
「麓妃の息子よね?」
「は、はい」
「親族とは言えないし、密仙国の女性から生まれた男児の特性なのかしら……ふーん」
珊麗様に見つめられて、緊張していた兄だけれど、ハッとなにかに気づくと、私達に尋ねた。
「こ、これが奥の手ですか? 私のように他にも術が効かない者かいたら、どうされるのですか?」
「あ、奥の手はもう一つありますのでご心配なさらず。では、支度してまいりますので、皇帝陛下にお伝えください。今宵、碧砂国の繁栄を願い、舞を披露させてくださいませ、と」
珊麗様はそう自信満々に宣言すると行ってしまった。
兄は不安そうにその背中を見送った。
「大丈夫だろうか」
「お姉様が大丈夫といえば、大丈夫よ」
「そうか……そろそろ日が落ちる。雪燕も支度をしなさい。春燕は疫病の疑いがあったそうだから、ここに父上も、他の者も早々足を踏み入れないはずだ。皇后の側にいてやってくれ」
「はい、お兄様」
「父上は私が引き留める。ただ、もしも何か問題が起こった時には、自分のことを優先してくれ」
「碧砂国の皇太子が、そんな事を言っていいの?」
兄がまだ不安そうだから、瑠麗が場を和ますように言ったけれど、兄は真剣な顔で私達へ向き直った。
「だからこそだ。本来なら、私自身の力でどうにかしなくてはならない問題なのだ。雪燕が背負うことではない。泰然様、雪燕を頼みます」
「はい、あ、それと、珊麗様が言っていた奥の手ですが──」
泰然様が、兄に奥の手について説明していると、瑠麗が私の袖を引いた。
「雪蘭、そろそろ着替えましょう。なるべく早く済ませたほうがいいわ」
「うん、そうね。ありがとう、瑠麗」
奥の部屋で、私は春燕の侍女に手を借りて、舞姫の衣に着替えた。緑淵で春燕が来ていた薄碧色の衣だ。
また、ここで舞う日が来るなんて、思ってもいなかった。
「支度はできたか?」
後ろから、聞き慣れた声で尋ねられ、私は驚き、慌てて振り返った。
泰然様の手を借り、艶やかな赤い衣に身を包み、凛と立っていたのは、お義母様だった。




