002 宮殿の異変(春燕視点)
先日、旅の一座が宮殿に招かれた。
病に倒れた私を見舞い芸を披露し、ここへ来るまでの町で預かったという果物や菓子などを届けに来てくれたのだ。
私を心配して、私が必要だから、私のために、彼らは来てくれたのだ。
嬉しかった。それなのに、お母様に台無しにされた。
私が見舞いの品を受け取ろうとしたら、隣にいた皇后が、私を押しのけて受け取ろうとしたのだ。
私はその場に尻もちをついてしまった。
突然のことに驚いていると、籠に入った果物を差し出した女性が、籠を床に落とし倒れかかり、皇后の腕に抱かれるような形になっていた。
まさか、私のせいで天が荒れているから、私を暗殺しようとしたのでは……。
それをお母様が庇ってくれた?
急に全身の血の気が引いていく。
恐る恐るその女の手元を見るが、刃物は握られていなかった。
「大丈夫か?」
「も、申し訳ございません」
倒れた女性は赤い顔で声を絞り出して言った。
具合が悪そうだ。緊張で倒れたのかしら。
なんだ、焦って損をしたわ。
お母様ったら、いつも自分が国母だとか、民はみんな我が子だとか仰っていたけれど、それが本心だって周りに見せつけたかったのね。
本当の娘を突き飛ばしてまで、そんな事をするなんて。
助けれくれたのかと思った私が馬鹿だったわ。
お母様は、私の方を見ずに冷たく言った。
「春燕、貴女も顔色が悪いわね。今すぐ部屋へ戻りなさい」
「えっ?」
「戻りなさい。元々貴女は病で禁足中でしょう? もう戻るのです」
「……わかりましたわ」
そんな言い方をしなくてもいいじゃない。
久しぶりに楽しかったのに、心が凍ってしまったかのように胸の奥が冷たくなっていく。
それでも私は、芸を披露した方々に笑顔を向けた。
「皆様、芸を披露していただきありがとうございました。とても楽しいひとときでした。失礼いたします」
去り際に、こちらを見向きもしない皇后へと目を向けた。
まだ倒れた女性を支えたままだ。
赤い顔の女性は、よく見ると、腕の辺りも赤く見えた。まるで雪燕が宮殿を追い出された時のように、腕に赤い発疹のようなものが見えた。
気の所為? でも……。
私は怖くなって、その場を振り返らずに立ち去った。
それから、私の世話をしている宮女に、旅の一座のことを聞いたけれど、何も教えてもらえなかった。
果物や菓子など、たくさんあったのに、一つも私の所へは運ばれて来ないから、その事を尋ねても、曖昧にはぐらかされてしまった。
なんだか周囲の様子がおかしい。
お兄様なら何か知っていると思い、呼ぶように頼んでも、今は宮殿にいないから、会わせられないと言われた。
あの日の赤い顔の女性を思い出すと、もしも疫病だったら、と怖くなる日もあったけれど、特に何も起きなくて、変わらぬ毎日を過ごした。
そして、十日が過ぎると、世話係の宮女が急に泣きながら言った。
「春燕様も私も、発病しませんでした。もう大丈夫だそうです」
「何の話? 泣いてないで説明なさい」
「私たちは、隔離されていたのです。実は旅の一座の者が疫病にかかり、宮殿内は混乱しておりました」
私が偽りで雪燕を陥れた病が、本当に近くで現れてしまうなんて。罰が当たったのだろうか。いや、私はかかっていないのだから、関係ない。
「なんですって!? では、お兄様は宮殿にいらしていたのね? それなのに、私が病にかかったかもしれないからと、遠ざけられていたのね」
「いえ、皇太子殿下は、今、都にはおりません」
「そうなの? こんな大事な時に、どこにいるのよ。まあ、仕方ないわ。それで、疫病はどうなったの?」
「数名が発病し、その全ての者が帰らぬ者となりましたが、その後は落ち着いた模様です。ただ……」
「ただ、どうしたの?」
「こ、皇后様が……」
宮女はそう言って泣き崩れてしまった。
落ち着いた後、宮女から話を聞いた。
あの後、皇后も倒れたそうだ。
ただ、熱が出たものの、微熱程度で、疫病かもはっきりせず、寝込んでいるという。
あの日、やはり皇后は私を庇ってくれたのだろうか。
今更、母親ぶってももう遅いのに。
それとも、ただの仮病で、疫病がうつらないようにと、床に臥せっているだけなのではないだろうか。
「それで、もう患者はいないのでしょう? だったら、お母様を見舞いに行くわ」
「それはなりません。もし春燕様が病にかかってしまわれたら、碧砂国はどうなりますでしょうか」
「でも、見舞いにもいかないなんて親不孝だわ。部屋までは入らない。外からご挨拶するだけなら、どう?」
「それもなりません。春燕様は禁足中であらせられますので」
頑なに私の言葉を否定する宮女にだんだんと苛立ってきた。確かこの宮女は、母によく可愛がられていた気がする。
「ああ、そう、分かったわ。要するに、お母様は仮病だから、バレたくなくて会わせられないって言っているのね?」
「いえ、そのようなことはございません」
「もういいわよ。話にならない」
私は宮女を突き飛ばして、部屋を出た。
禁足中だから門は外から閉められていて、私は木を登って塀を越えてお母様の宮殿を目指した。
道中、すれ違う者は誰もいなかった。疫病のせいだろうか。
皇后の宮殿も、固く門が閉じられ、口に布を巻いた門兵が一人だけ。
隠れようと思ったけれど、門番と目が合ってしまった。
「春燕様?」
「お母様とお話がしたいの」
「こちらはお通しできません」
まあ、そうよね。だったら……。
私は自身の身体を抱きしめ、苦しそうに言葉を発した。
「私も、お母様と同じ病なの。だから、最後にお母様のお世話をしたくて、ここに来たの」
「そ、そんな……春燕様まで……」
「通してくれるかしら?」
「はい」
門兵は震える手で門を開け、私が中へ入ると、すぐさま門を閉めた。
皆、怖がりなのね。だから、ここまで誰にも会わなかったのだろうか。
皇后の宮殿内も静まり返っていた。
ここにも人がいないのかしら。
しばらく庭で様子をうかがっていたら、口に布を巻いた宮女が一人、宮殿の中から現れた。
寝具の敷布や、着替えた衣を大量に抱えていて、扉の横にそれを置くと、私に気づき動きを止めた。
「春燕様? なぜこちらに」
宮女は扉から出ず距離をとったまま尋ねた。
私に、病をうつさないためだろうか。
「お母様の見舞いに来ました。お母様は?」
「それはなりません。なぜここにいらっしゃるのですか?」
「門兵に私も発病したと嘘をついて、入れてもらったの。お母様が心配で、どうしても会いたかったのです」
そう嘘をつくと、宮女は涙を流し、ベラベラと今の状況を話し出した。
旅の一座の人達の半数が亡くなり、残りの半数は、皇后の計らいで、昨日までこの宮殿で隔離され療養されていたそうだ。皆、発病せず、別の離宮に移され、もうしばらくして無事であれば、市中に戻れるという。
そしてお母様は、まだ何の病か分からない状態らしく、食事や身の回りの世話のために、彼女一人、この宮殿に残っているという。毎日二度、門が開き、食事や薬が届けられ、門が閉まってから、彼女がそれを運ぶそうだ。
薬は、熱を下げるものと滋養を高めるものが処方され、太医は診察には来ないという。疫病は治らないから、診察の必要もないということだろうか。
それでは皇后が本当に疫病なのか分かるはずもない。
ちなみに皇帝であるお父様は、身の安全のため、都を離れ隣町の別邸で療養されているそうだ。
要するに、逃げたのね。
「お兄様も、お父様と一緒なのかしら?」
「いえ、仁峰様は、雲龍国へ──」
「誰と話しているのだ?」




