014 命の恩人?
翡雲様は、翌朝早いそうで、菓子を食べ終えると宮殿へ戻っていった。
そして、夕食は慧王殿下が兄も招待してくださり、泰然様と瑶琳、そして瑠麗と六人で食卓を囲んだ。
慧王殿下は瑶琳に、兄の仁峰を、いつも商談で世話になっている碧砂国の仁峰様だと紹介した。
おそらく瑶琳は、兄を商家の若様と思っただろう。
慧王殿下が仕事の話があるからと説明すると、瑶琳と瑠麗は食事を終えると先に部屋へ戻っていった。
二人が退室すると、慧王殿下は笑いながら言った。
「仁峰、そんなに雪蘭ばかり見るでない」
「し、失礼しました。本当に不思議で……」
向かいの席だったこともあり、兄は食事中も私のことばかり見ていた。それは、私もかもしれないけれど。
「泰然様、妹を……いえ、雪蘭様を、末永くよろしくお願いいたします」
「はい」
「ここまで足を伸ばして良かったです。雪蘭様の姿が見られて安心しました。碧砂国はこれから困難が続くかと思いますが、父と母と力を合わせて乗り切ってみせます」
お酒のせいか、少し赤い顔の兄は、私を安心させるように、力強く言い切った。
慧王殿下は隣で頷きながらそれを聞き、そして尋ねた。
「すぐに帰るのか?」
「そうですね。明日立てば、満月の頃には戻れるかと」
「ん? まだ満月まで十日もありますよね。どこか寄られるのですか?」
「あ、いえ。来た道を辿るとそれくらいかかるかなと」
「最短経路なら、その半分の日数で戻れますよ」
泰然様の指摘に兄は驚いていた。
「えっ……。実は、雲龍国の都へ来ることが周りに知られないように、宮殿内でも信頼できる護衛と来たのですが、あまり国外の道に詳しくなかったもので」
「では、父上と一緒に碧砂国へ行かれてはどうですか? 満月の頃の到着でも良いのならですが」
「おお、そうしよう。明日立ったとしても到着が同じになるのであれば、五日後に私とここを出ても変わらぬだろう」
「よいのですか? 何から何までお世話になり、恥ずかしい限りですが」
「よいよい。私は仁峰がこんな小さい頃から知っている。息子のようなものだ」
慧王殿下は手で赤子くらいの大きさの円を作る。
私も兄も生まれる前から、慧王殿下は使節として碧砂国に訪れていたと聞いている。
「本当の息子さんを前に、私なんかを息子だと宣言するなど、失礼ですよ」
「いいのではないですか? 雪蘭の兄は、俺にとっても義兄ですので」
「そうですか? あ、あの、二人の馴れ初めを聞いてもいいですか? 翡雲様が、二人の間に入る隙が、これっぽっちもなかったと嘆いていらしたので」
「あー……えっと……」
泰然様は恥ずかしがりつつ、死の谷で馬車の事故に遭った私を見つけたところから兄に話してくれた。
死の谷の毒に対抗する解毒薬があることは、他国の人には秘密にしなくてはならないらしく、毒に侵された私は、おそらく歳を取らない呪いのお陰で死の谷の毒に打ち勝ち生き長らえたと話していた。
「満月の夜に目を覚ました雪蘭は、祖国を想い舞を踊りました。誰を恨むでもなく、誰かのために行動することのできる雪蘭のことを、俺はその時から、愛おしいと思っていました」
泰然様の言葉に兄はポロポロと涙をこぼしていた。
「雪燕を見つけてくださり、ありがとうございます。兄妹そろって慧王殿下親子に命を救っていただくとは。私は子供の頃に池で溺れて、慧王殿下に助けていただいたことがあるのですよ」
「翡雲から、その話を聞きました。仁峰様が父上に助けられたお陰で、俺も雪蘭に命を助けていただいたのですよ。父上が仁峰様に蘇生を行ったのですよね。雪蘭は、それを真似て俺に──」
「泰然様、その話はいいではないですか」
恥ずかしくて、泰然様の話を遮ってしまった。
だって、それって、私が泰然様にしたことが、二人にも知られてしまう訳で。
でも、どうしてか、泰然様は、平然とその話を続けている。
「いや、翡雲から聞いたのだ。俺の息が止まっているときに……父上、どうされましたか?」
慧王殿下と兄が顔を見合わせて、気まずそうに笑い合う。泰然様だけが、皆の様子がおかしい理由を分かっていない様子だ。
「いや~、仁峰。すまない、泰然は少し抜けているところがあってだな。まあ、これでも呑んでくれ」
「いえいえ、ありがとうございます。池で溺れてよかったと初めて思いました。あの時の経験で泰然様が救えたのでしたら何よりです」
「あの、俺は何かおかしなことを言いましたか?」
笑って誤魔化す兄たちを前に戸惑う泰然様に申し訳ない気持ちになる。私は泰然様にどんな蘇生法をしたのか、そっと耳打ちした。
「えっ、そ……し、心臓を圧迫して蘇生したのでは……」
だから翡雲は詳しくは雪蘭に聞けと言っていたのかと、うつむきながら呟く泰然様。
しかし、兄は何かに気付いたようで、急に表情を暗くした。
「あれ……では、私だけ何も返せていないのではないでしょうか。雪蘭様と泰然様は互いに命の恩人で……私だけ、慧王殿下に助けていただいて、何もお返しできていません」
「はははっ、深刻そうな顔で、何を言うかと思えば。今、返してくれたではないか」
慧王殿下は高らかに笑ってそう言ったけれど、一体何のことを言っているのだろう。
「今、ですか?」
「ああ、仁峰が雪蘭と呼んでくれていることで、雪蘭であり続けることができる。大切な私の息子の許婚に命を吹き込んだも同然ではないか」
「それは……」
兄が考え込むと、ここぞとばかりに泰然様が前のめりで尋ねた。
「では、ひとつ教えていただけませんか?」
「何でしょうか?」
「雪燕がかけられていた呪いについてです。歳を取らない呪いの薬を常用していた為、身体が成長しなかったと思われます。一体誰が雪燕にその薬を常用させていたと思われますか?」
「歳を取らない呪いの薬……。今まで何度も、なぜ雪燕があんな目に遭っていたのか考えてきました。でも、分からないのです。一体、その呪いに何の意味があったのだろうか」
兄は真剣な瞳でそう言った。
ずっと、何度も考えてくれていたんだ。
「私もわからないのです。ただ、その薬は密仙国の方なら作ることもできるそうなのですが……」
「密仙国か。繋がりがあるのは、皇后だけだと思います。次の舞姫を密仙国の者から見つけられないかと話が出た時、父上も皇后を頼りにしていた。まさか、皇后を疑っているのですか?」
私が口を噤むと、兄は悩みながらも言葉を続けた。
「皇后なら、雪燕にその薬を与え続けることもできるでしょう。しかし、その理由は分かりません」
「例えばだが、春燕を翡雲様に嫁がせるためとか。もしくは、雪燕が母親に似ているから。などは考えられぬか? 皇后と雪燕の母は仲が良かったそうだが」
慧王殿下の問いに兄はしばらく考えた後、答えた。
「それは考えにくいでしょう。皇后は仰っていました。誰かの代わりになるなど、そんなにも惨めなことがあるだろうかと。そして、皆違うのに、それぞれを慈しむべきであるのにと。あれは本心であったと思います。母の代わりに、よく似た雪燕を置こうとすることも、雪燕の代わりに、春燕を嫁がせようとすることも、考えられません」
初めて聞く皇后の言葉だ。
兄は、皇后とそんな会話をしていたんだ。
でも、とても皇后らしい言葉だと思った。
「お義母様なら、そう仰ると思います。でも、密仙国の外でその薬を作れるのは、お義母様だけだそうです。密仙国の中に、その薬を作れる方もいらっしゃるのですが、国外には出していないと言っていました」
「……分かった。皇后に直接聞いてみます。どのような言葉が返ってくるのか想像もできませんが、聞いた話をそのまま、文で伝えると約束します」
「よろしくお願いします。お兄様……あ、仁峰様」
「ああ」
皇后のことはお兄様に……仁峰様に任せよう。私を雪蘭と呼んでくれるのだから、これからは私も、仁峰様と呼ばなくては。




