010 茶屋にて(仁峰視点)
慧王殿下の屋敷を出て、一息つこうと宿に戻った。
先ほどの泰然様との会話は、あれで正解だっただろうか。
それに、また会ってくれるということは、やはり雪燕のことを何か知っているということだろうか。
本当に雪燕が生きているかもしれない。
そう思うと嬉しくて泣きそうになる。
駄目だ。まだ分からないのに。
気をしっかり保たなければ。
しかし、雲龍国とは豊かな国だ。
護衛の体調も泰然様のおかげで回復したし、情報を得るために、しばし町を散策することにした。
都は一日では回りきれないほど広く活気に満ちた場所だった。どこも翡雲様の婚約の話が囁かれ、碧砂国の話など、どこからも聞こえなかった。
明日は、今日足を伸ばすことができなかった西側を回ることにして、早めに休むことにした。
そして翌日、まだ朝も早いというのに、外から声が聞こえてくる。朝から活気のある町だと感心する。
朝食を済ませ、昨日治療していただいた安泰院の前を通ると、華やかな衣を着たご令嬢方が集まっていた。
「泰然様が戻られたそうよ」
「お母様の医院を継がれるとか?」
「一目お姿を見られないかしら?」
「でも許婚の方を連れ帰ったと聞いたわ」
「羨ましいわ~」
泰然様の話で、都のご令嬢方が色めきだっている。薬師としても優秀で、慧王殿下の息子ともなれば、さぞかし人気なのだろう。
もしあの方が雪燕の側にいてくれるのなら、安心して任せられるのにな。
「仁峰様か?」
名前を呼ばれ振り向くと、町人の格好をした見知った男が立っていた。声を聞いて、もしやと思ったが、まさか本当に彼てあったことに驚かされた。
「翡雲様……」
****
郊外の茶屋に誘われ、個室へと通された。
翡雲様と向き合って座ると急に緊張してきた。
出会ったときは笑顔だった翡雲様だが、慧王殿下の屋敷に用があるのかと聞かれ、そうだと答えてから、雰囲気が変わった。
やはり翡雲様も雪燕のことを知っているのではないだろうか。
翡雲様は何も喋らず、手振りで私に茶を勧めた。
「いただきます」
温かい。しかし、緊張で味が分からない。
翡雲様は笑顔のまま菓子に手を付けるが、目が笑っていない。こんな翡雲様は初めて見た。
なんと話し始めたらよいだろうか。
チラっと翡雲様を見やると、顔を上げた彼と丁度目が合ってしまった。
「あ、翡雲様、ご婚約おめでとうございます」
「ん? ああ、ありがとう。婚儀は半年後なのだが、とても可愛らしい娘なんだ。機会があれば紹介させてくれ」
「はい」
いつもの翡雲様の笑顔に戻りホッと息をつく。しかし、紹介してくれるということは、雪燕ではないということだろうか。
それともその逆か。考えれば考えるほどよく分からなくなってきた。
「それで、どうして慧王の屋敷に?」
「その……、碧砂国の噂はお耳に入っておりますか?」
「ああ」
「そのことで、殿下に相談したいことがございまして」
つい話を濁してしまった。
雪燕のことを、翡雲様がもし何も知らなかった場合、新しい婚約が決まったばかりだというのに、話がややこしくなるだろう。
それに、もし雪燕のことを知っているのであれば、翡雲様なら教えてくれるのではないかという期待があった。
「わざわざ都まで、皇太子である仁峰様が?」
「はい」
なんだか空気が重い。
隠し事をしているから、そう感じてしまうのか。
「泰然には会ったか?」
「慧王殿下のご子息ですね。お恥ずかしい話ですが、先ほど護衛の二人が腹を壊しまして」
「は、腹を壊した?」
「はい、医院の掃除をしていた青年が二人の治療をしてくださって、それが泰然様でした」
「はははっ、不思議な巡り合わせだな。では、泰然の許婚にも会ったのか?」
「それは……会わせてもらえませんでした」
「会わせてもらえなかったとは、どういう意味だ?」
「あ、それは……」
私は都へ来てから、二度目の失敗を犯したのではないだろうか。
泰然様に、身分を打ち明けずにあの場にいたら、許婚の女性に会えたかもしれない。
そして今、会ったと言っていれば会話の流れは変わっていたはずだ。泰然様の許婚が、私の知る人物に似ていたと言えば、翡雲様なら……。
「会わせてもらえなかったということは、仁峰様から会おうとしたという意味になるのだが、違うか?」
「その……」
確かに翡雲様の言う通りだ。
適当に嘘をついても、見破られるだろう。
ああ、嘘をつくことなど、私には向いていない。
正直に話すしか、性に合わないのだ。
「雪燕を探しています。似た人が泰然様と一緒にいたと聞き、会いに来ました」
「ふっ、はははっ、さすが仁峰様、雪燕とそっくりの正直者だ」
「へ?」
「雪燕も嘘はつけない性格でしたよね。あ、でもそんなこともないか」
哀しいことでも思い出したのか、翡雲様は笑顔のまま瞳を曇らせた。
「雪燕に嘘をつかれたことがあるのですか?」
「ああ、大きな嘘をつかれたことがある。だがもう許した。お互い様なところもあったのでな」
「そうでしたか。二人は仲が良く、喧嘩などしたこともないかと思っていました」
「そうだな。喧嘩くらい、したほうがよかったのかもしれないな……」
「翡雲様……」
もう二度と会えないから、こうして後悔しているのだろうか。
それなら、雪燕はもう……。
「それで、雪燕探しは上手くいきそうか?」
「いえ、どうでしょうか」
「その様子だと、泰然に正直に身分を明かし……追い返されたか」
「……はい」
「ところで、雪燕がもし生きていて、そして会うことができたら、どうする気なのだ? わざわざ皇太子が他国の都まで足を伸ばすとは、ただ妹に会いたいというだけではないのだろう?」
翡雲様の探るような目に晒される。
緊張しつつも、私は皇后から頼まれたことを、翡雲様に話すことにした。




