006 妹の本性(仁峰視点)
「舞姫様が倒れたそうだ」
「まさか、春燕様も、呪われたのでは?」
「うわー、また税が重くなるのか、勘弁してくれ」
都を歩けば、そんな噂が絶え間なく聞こえた。
国の至る所で暗雲が発生し、その雲は雨を降らせず、雷だけを落とした。
龍神の池の御神木は落雷で燃え尽きてしまった。
しかしまだ、都の者は、それを知らない。
知っているのは皇族と、あの時、宮殿にいた慧王殿下率いる雲龍国の使節団の者達だけだ。噂になっていないということは、慧王殿下は黙っていてくれているのだろう。
「国のあちこちで乾雷が発生しているそうだぞ」
「一つ村が山火事でなくなってしまったそうだ」
「川の水が干からびてしまった村もあるようだ」
「町は避難してきた村人で溢れかえっているぞ」
雲龍国から旅の一座が巡って来て、町は人が増え、活気があるように見えたが、それは違う。
避難してきた人で溢れているだけだったのだ。
夜になると、宿に泊まる金もない者たちが町外れで野宿しているそうだ。
碧砂国に一体何が起きた?
先日の満月の夜、春燕が舞の途中で龍神池に落ちた。
この天災は、春燕が池を穢してしまったからだと皇后が言ったと、宮中の噂で聞いたが、本当なのだろうか。
幾晩も鳴り響く雷鳴はまるで、龍神様の逆鱗に触れてしまったかのようだった。
春燕はあれから部屋にこもりきり姿を表さない。皇后が一度、私を訪ねたので、様子を尋ねることにした。
「義母上、春燕の様子はいかがでしたか?」
「具合が悪そうだ。もう、舞いは舞えぬだろう」
「そ、そんなにひどいのですか?」
「天の荒れようを仁峰も見ただろう? 春燕は龍神様を怒らせてしまったのだ」
皇后はどこかに心を置いてきてしまったかのように、遠くを見つめて言った。やはり噂通り、皇后は春燕のせいだと思っているようだ。
「どうすれば龍神様を鎮めることができるのでしょうか?」
「分からない。春燕を国外に追放すべきかもしれぬ」
「そんな……」
部屋から出られない状態なのに、国から追い出すだなんて。この方は、こんなに冷たい人だっただろうか。
「仁峰、そのような顔をするな。陛下は兼ねてから春燕は敵対する部族に嫁がせるつもりでいた。それを早めようというだけだ。それで、天が治まればよいのだが」
「義母上、春燕が可哀想ではないのですか? 敵対する部族など、どんな扱いを受けるかも分かりません。せめて、もっと友好的な国に」
「これは幼い時から陛下が決めていたことだ。そのため、春燕には、様々な知識を身につけさせた。どこへ行っても、重宝されるだろう。それに、慧王殿下を怒らせたそうだな。私の警告を一切聞かず、勝手なことをした報いだ」
冷淡な瞳で皇后は言い切った。
どうしてこんなに、春燕に辛く当たるのだろう。
雪燕のことを、あんなに大切にしてくれていた、温かい人だと思っていたのに。
「義母上、春燕は雪燕の代わりに国を支えようと必死で……」
「違うだろう? 雪燕が居なくなったのをいいことに、全てを自分のものにしようとした愚か者だ。だから、何もかも取りこぼしてしまったのだ」
「それは……」
「誰かの代わりになるなど、そんなにも惨めなことがあるだろうか。皆違うのに、それぞれを慈しむべきであるのに」
「義母上は、春燕を慈しんでいらっしゃいましたか?」
皇后は、哀しそうな瞳で私を見た。
今日、初めて目が合った。皇后の心は、まだ雪燕を失った悲しみに囚われたままなのかもしれない。
「ああ、私は国母だぞ。碧砂国で生まれた子は、皆、私の子だ。仁峰、お前も。──そんなに春燕が心配なら、見舞ってやれ」
「はい。春燕を見舞ってきます。失礼しました」
春燕を訪ねた。
あの日から、部屋に閉じこもっていたが、今日は入れてくれた。
春燕は部屋着のまま揺り椅子に腰掛け、茶を飲んでいた。
「お兄様も聞いたのですか?」
「何をだ?」
「私が敵対部族の長に嫁ぐ話です。先ほど父上からうかがいました」
声に張りはなく、指先はかすかに震えていた。
「それは……」
「こうして閉じこもっては居られませんね。私は舞姫なのですから。来月の満月の夜は転んだりしません。舞を踊れば、池はまた輝き、御神木だって蘇りますよね?」
燃えた御神木は戻らないだろう。
そんな奇跡、雪燕にだって、できやしない。
「もういいんだ。皇后は言っていたぞ、お前ならどこへ嫁いでも、幼い頃から培ってきた知識で重宝され、大切にされると。だから、雪燕の代わりなんてしなくていいんだ」
「代わり? 私が? 違うわ。私は元から本物だったの。あの娘が少し早く生まれたってだけで、全て奪っていっただけでしょ? 私が皇后の娘なの、私が舞姫なの、どうしてお兄様まだ間違えるの!?」
持っていた茶杯を壁に投げつけ、破片が床に砕け散る。
春燕はそれを狂気の目で見下ろしていた。
「春燕、もう止めるんだ」
「止めない。お兄様こそ、変なことを言わないで。優しいだけが取り柄のくせに、そんなこと言わないでよっ!」
優しいだけが取り柄か。
そうであろうか。何もしてやれない私のどこが優しいのだろう。
「知っているか? 国中で雷鳴が轟いていることを。龍神様がお怒りで、川が干上がり、山火事が起きていることを」
「知らない」
春燕は両手で耳を塞いで言った。
「家を失った村人が町に押し寄せ、宿もなく野宿していることを」
「知らない。知らないわよっ!?」
「皇后は春燕に伝えたと言っていたぞ」
耳を塞いでいた両手を力なく下ろし、春燕は恨めしそうに私を睨みつけて言った。
「そう、分かったわ。碧砂国から出ていってほしいってことね。うん、分かった。お兄様がそう言うのなら、こんなところより、小さい部族の長のほうが、私を大切にしてくれるわ」
「そのことなら、私からも父に掛け合おう」
「結構よ。良いことを思いついたの。碧砂国内でも攻めに弱い町がいくつかあるわよね。それを敵対する部族に教えてあげればいいんだわ」
春燕は清々しい笑顔でそう言った。
「春燕、何を言っているんだ?」
「天災のせいで、勝手に自滅した村もあるのでしょう? 町は混乱状態。すぐに落とせそうだもの」
「誰のせいでそうなったと思っているのだ!?」
ついそう口にしてしまい後悔した。
私はこの天災を妹のせいだと言ってしまったようなものなのだから。
しかし春燕は、笑顔のままだった。
「なに? 私のせいだって言いたいの? 違うわ。そうよ。雪燕よ、雪燕のせいでしょ」
「なぜ、雪燕のせいになるのだ」
「知ってる? 龍神様って、舞姫が今世を去るまで慕い続けると云われているのよ」
「ああ、聞いたことがある。それが、なんだと言うのだ?」
「だから、雪燕がまだ生きていて、満月の夜に舞を踊らなかったから、こんなことになったんじゃないかって言ってるの」
「なにを馬鹿なことを。死者に責任をなすりつけ、自分が楽になりたいから、そんなことを言うのか?」
春燕はため息をつき、馬鹿にしたような目で私を見ていった。
「私、緑淵で雪燕にとても良く似た娘を見たの。その娘は、薬師である慧王殿下の息子、蘇泰然と一緒にいたわ」
「よく似た娘? いくら雲龍国の薬師といえど、疫病を治せるはずがない」
「疫病? あー、そうね。疫病だってことにしたんだったわ。みんな簡単に信じて馬鹿みたいよね」
ケラケラと笑う春燕に鳥肌が立った。
「ど、どういう意味だ?」
「あれは私が贈った毒入りの白粉を顔にまぶしてかぶれただけなの。熱が出ているって言うのも私の嘘。みんな私を信じたけれど、あの子は疫病なんかじゃなかったのよ」
「毒入りの白粉? 春燕、お前が?」
目の前が真っ暗になる。雪燕が苦しんでいたのは、春燕のせいだったのだ。
「そうよ。あの子は醜悪な公主として国中に知られていたでしょう。私がそれに相応しい顔にしてあげたの。化け物になれば、翡雲様に嫁ぐのは私に、そうなると思っていたから。まあ、醜悪名公主って言葉を広めたのも私だけどね」
言葉を失った。
これが妹の春燕なのか?
返す言葉が見つからず、ただ手の震えを抑えようと拳を握ると、部屋の扉が勢いよく明け放たれ、皇后が現れた。




