003 荒れる国(泰然視点)
「まさか雪燕と泰然がな……」
少し酔った様子の父は、機嫌よく何度もそういった。
雪蘭と部屋を分かれ、父と二人で酒を酌み交わす。初めてだけれど、何度もこうしてきたような感覚もある。
「父上、何回同じことを言うのですか?」
「嬉しいような、少し複雑な気持ちなのだ。あの娘を小さい頃から見てきたからな。翡雲がよく諦めたものだと、まだ理解できぬ」
「雪燕と翡雲は、そんなに仲が良かったのですか?」
聞きたいような、聞きたくないような。
どちらとも言えない気持ちのまま、俺は父に尋ねた。
「まるで兄妹のようだった。雪燕の成長が止まった後も、変わらず」
雪燕は十歳の姿のまま成長しなかった。翡雲はどんな気持ちで彼女を見守ってきたのだろう。
もし俺が、武の道へ進み父について行っていたら、幼い頃の雪燕に会えたのだろうか。
「……羨ましい」
「ん?」
「あ、いえ」
おそらく俺がなにを考えていたかなんて、父にはお見通しなのだろう。
笑顔のまま酒を注ぎ勧めてくれた。
「ところで、雪燕は、なぜ成長が止まったのか、分かっているのか? それに疫病にかかっていたと聞いたが、なぜ命が助かったのだ?」
「雪燕は、密仙国の仙女が作る、歳を取らない呪いの薬を常用させられていたようです」
「歳を取らない……呪い?」
「一見良いことのように思えますが、その薬の常用をやめると、止めていた分の年が進み、一気に老けてしまうのです」
「ああ、それで、その薬の常用をやめたから、雪燕は元の年齢まで成長したと言うのだな」
「はい。しかし、その薬を常用していたお陰で、あの死の谷の毒に侵されきらずに済んだようです。毒とその薬の効果が相反して作用し、生きながらえたのだと思います」
おそらく、呪われていなければ、助からなかったのではないかと考えていた。
「疫病についても、その薬の作用で無事だったのか?」
「いいえ、それに関しては、春燕の嘘です。あの女が、白粉に毒を混ぜ雪燕に贈り、その毒で肌が爛れていたのです」
父は酒を飲む手を止めて、鋭い目で俺の方を見た。
「ほう、許し難い話ではないか。よく春燕を前にして平静を保てたな」
「雪燕が許すと言ったので。春燕は自分が皇后である母親を独占してしまったせいで思い詰めただけだと。そして、あの女は舞姫であり碧砂国に必要だから見逃してほしいと」
「……しかし、舞姫ではない」
舞姫ですらなく、こちらに害を為すだけの公主を、父だったらどう始末をつけるのだろう。
雪蘭の気持ちを思うと、険しい顔つきとなった父に、それを尋ねることはできなかった。
しかし、舞の途中で倒れ、舞姫の責務を果たせずにいたのに、どうして碧砂国には雨が降っているのだろうか。
「そのようですが、碧砂国には暗雲が立ち込めていました。雨が降っているのなら、舞姫とはなんだったのでしょうね。雪燕は、周りから迫害されても、民の為にと舞い続けていたというのに」
「もう雪燕は碧砂国から解放されるべきだと私は思う。雪燕はよくやった。これから先のことは、全て碧砂国の落ち度であり、何が起きていようと、関わらずして然るべきだ」
父はそう断言した。
これから先の雪燕を守るように。
「なんですか? その含みのある言い方は」
「先ほど、彼女の前では話さなかったのだが、今、碧砂国は荒れておる。舞姫は池に落ち病に倒れ、雷鳴は轟けども雨は降らず、都の龍神の池の御神木には、雷が落ち焼け落ちてしまった」
「はい?」
雪蘭に話さなかったのは心配させないためかもしれないが、それは荒れているという程度の話なのだろうか。
「天災による支援が必要ならば、雲龍国が力になることを皇太子に伝えたところ、皇后から謝罪の言葉を受けた」
「謝罪、ですか?」
支援を受けるために、父上の印象を良くしようとしたのだろうか。しかし、何の謝罪だ。
「ああ、春燕のことだ。泰然に迷惑をかけたと謝罪してくださったのだ。それから、龍神と舞姫の話をしてくれた。龍神は、自身が舞姫と定めた者が今世を去るまで慕い続けるそうだ」
雪燕が今世を去るまで……。
だから父は、雪燕が生きていると知って、舞を踊ったか確認したのか。
「では、雪燕が満月の夜に舞を踊らなかったから、龍神様はお怒りで、雷を落としているというのですか?」
「いや、皇后は、雪燕の死を受け入れ悲しんでおられた。きっと龍神も自分と同じように、舞姫の死を受け入れ喪に服そうとしているのに、春燕が舞ったことで、龍神が怒っているのではないかと言っていた。無様な舞を披露し、池に落ちる娘が舞姫と名乗ることなど、言語道断であるとお怒りなのだと」
皇后がそう言っていたとしても、もし雪燕が生きていることが分かれば、また彼女は皆から非難されてしまうのではないだろうか。
だから父上は、関わらずして然るべきと言ってくださったのだろう。
「皇后は、どんな方なのですか? 雪燕のことをどう思っているのか……」
「大切にしておられた。自分の娘よりも。そう思っていたが、皇后はきっと春燕のことも同じように大切に思っておられる。過ちを重ねた春燕は天からの罰を受けたから、どうか許してほしいと懇願されたのだ」
どちらも大切にしていた。それなのに、どうしてあんなに二人の間に溝ができてしまったのだろう。
それに──。
「その皇后が、もし雪燕に歳を取らない呪いの薬を常用させていたとしたら?」
「ん?……分からぬ。その薬は簡単に手に入るものなのか?」
「いえ、密仙国の大婆様から聞いたのですが、国の外にいる者でその薬を作れるのは、皇后だけだそうです」
雪蘭も大婆様から同じことを聞いたと言っていた。作ることが出来るのが皇后だけなら、たとえ直接手を下していなくとも、関わりがあることは明白だ。
「ふむ。なぜだろうか?」
「なにがですか?」
「娘を十歳のままにしておくのは、何のためだろうか?」
それは何度も考えた。
誰が何のために、そんな事をしたのか。
「……たとえば、それを理由に婚約を破談にさせ、代わりに春燕を嫁がせるとか。もしくは、ずっと自分の手元に置いておくため、とかですかね。皇后と雪燕の母親は、仲が良かったと聞きました」
「なるほど。しかし雪燕が疫病を発症してしまい諦めた、ということか。皇后ならば、あの秘薬を作ることもできたのではないか?」
「密仙国内の人々でも、あの谷に伝わる秘薬で、疫病を治せることは知らなかったそうです。秘薬は数が作れません。なので、患者が多数発生する疫病に使うという概念がなかったようです」
「そうか。泰然、しばらく碧砂国内の様子は雪蘭には話さないでおこう」
なぜ起きた天災かも分からない。
余計な心配をさせるべきではない。
父はそう考えたのだろう。それには俺も同意見だ。
「はい。その方がいいと思います。ただ、大婆様から言われました。雪蘭は遠からず碧砂国の土を踏むことになる、と」
「その時は、私が碧砂国を案内してやろう。息子夫婦と一緒だなんて、楽しい旅になるだろうな」
久しぶりに会ったはずなのに、そう感じさせることなく、頼りになる父の笑顔に、俺も自然と笑顔になれた。
「ありがとうございます。父上」




