001 慧王殿下
宿の奥の個室を借り、私は今、慧王殿下と泰然様と円卓を囲んでいる。
話は中でしよう、とのことで、ここまで会話もなく今に至る。
ああ、緊張する。
大婆様と話した時のように、心臓の鼓動が大きくなる。
「父上、お久しゅうございます」
「ああ、薬剤の買い足しか?」
「いえ、父に会いに行くところでした」
「ほお、というと……」
泰然様は、秘薬の入った薬瓶を慧王殿下に差し出した。
「秘薬が完成いたしました」
「ついに出来たのか」
「はい、ですがこちらは実用性が低いものだと分かりました」
泰然様は、材料となる茸が一年で一つしか採取できないことを簡潔に説明した。
「よくやった。瑶菲もお前を誇りに思っていることだろう」
「はい」
慧王殿下は、泰然様に慈しむような瞳を向けていた。
二人が笑顔で向き合っていると、顔付きが良く似ていることに気が付いた。
「では、戻ってくるのだな」
「まだ調べたい事があるので、来月の満月の頃は山の屋敷に行く予定です」
「そうか。分かった。それで……」
慧王殿下がニコニコしながら私へ目を向けた。
「彼女は、雪蘭といいます。死の谷で事故にあった彼女を助け、その後は、俺がずっと助けられてきました。秘薬が完成したことも、彼女の力添えによるものです」
「おお、そうかそうか。私からも礼を言わせておくれ。泰然は母親に似て頑固で、それでいて優しく、打たれ強く見せるが、心は傷つきやすい子なんだ。側にいてくれてありがとう」
「父上、俺は都に戻ってからも、ずっと彼女と一緒にいたいと思っています。伴侶として」
泰然様の真っ直ぐな言葉を、慧王殿下は瞼を閉じ大きく頷いて受け止め、そしてキリッと目を見開くと口を開いた。
「よし。ではひと言だけ言わせてくれ」
私へと顔を向け、じっと目を合わせた後、慧王殿下は大きく息を吸い込んで声を発した。
「雪蘭、君に息子はやれん!」
「……えっ」
「父上、どういうおつもりですか?」
呆れた様子の泰然様に、慧王殿下は真面目に言葉を返した。
「すまぬ。一度言ってみたかったんだ」
「は?」
「昔、父に言われた言葉だ。あの言葉に父の愛を感じた。私も一度言ってみたかったのだが、やはり、感情を込めることが難しいな。私は二人を祝福しているのだから」
優しく温かい言葉とその瞳に、幼い頃の慧王殿下を思い出す。奇病と言われてからは、離宮に住まい、許婚の翡雲様とは会えたけれど、慧王殿下とは会えなかった。
泰然様は、慧王殿下を不思議そうに見つめて言った。
「……父上って、こんな方でしたっけ?」
「離れていた分、美化してしまったのではないか?」
「なるほど」
二人がなんとなく納得すると、慧王殿下は私へと目を向けた。
「さて、雪蘭、君は碧砂国の方かな? 雲龍国の新しい生活にゆっくりと慣れていってくれ」
「はい」
「碧砂国といえば、緑淵のことは申し訳ありませんでした」
泰然様はそう言って慧王殿下に頭を下げた。
「いや、いいのだ。話は聞いている。実は、碧砂国から戻ったところだ」
「そうでしたね。碧砂国の都はどのような様子なのですか? 町は新しい舞姫の誕生でお祭り騒ぎでしたよ」
「舞姫は……、いや、ここでする話ではないな。いずれ噂程度に耳に入るだろう」
「お話ください。俺にも関わりのある話なのではないでしょうか?」
慧王殿下の表情が曇る。やはり、泰然様は緑淵では罪人となってしまっているのではないだろうか。
「そうだな。春燕は、緑淵にて猪ではなく、泰然、お前に襲われたと皆に触れ回ったのだ」
「な、なぜでしょうか!?」
なぜそのような話になっているのだろう。
驚いて声を上げた私を、慧王殿下は一瞬驚いた顔をしたあと、笑顔で宥めた。
「雪蘭大丈夫だ。あの日の目撃者は多数いる。春燕は責任を取って泰然に嫁ぎたいと言っていたが、丁重に断っておいた」
「なるほど、あの舞姫なら考えそうな話ですね」
「そうか、そんな印象なのだな。雪蘭を不安にさせては申し訳ない。やはりこの話は」
「続けてください。後から中途半端な噂で知るより、信頼できる父上の口から聞きたいのです」
不快そうに言った泰然様を見て、慧王殿下はそこで話を終わらせようとしたけれど、泰然様はそう進言した。
「春燕は、昔から影を持った少女だった。彼女には雪燕という姉がいたのだが、雲龍国の皇子の許嫁であり舞姫である雪燕への嫉妬で、春燕は自らの心を穢していったのだろう」
「父上には、止められなかったのですか?」
「忠告はした。春燕はよく学び、対外的にも積極的に行動し、よい公主として民に認められていった。改心したのかと思っていたが、そうではなかったようだ」
慧王殿下は、春燕のことを心配して見ていてくれたのだ。でも、春燕の影は消えずに、彼女の心の中で広がってしまったのだ。
「父上、これからまた碧砂国に動きはあるのでしょうか?」
「碧砂国の皇帝は、まだ雪燕を失った哀しみで先のことはあまり考えられない様子であった。しかし、春燕が倒れた今……」
「春燕が倒れたとは、どういうことですか?」
「満月の夜、舞を踊りながら倒れたのだ。池に落ち、私が引き上げた」
「どうして……池に落ちるなんて」
春燕に何があったのだろう。
国中の町を巡り、体を壊してしまったのだろうか。
慧王殿下は私を励ますように言った。
「碧砂国の者にとっては、辛い話であったな。春燕は、おそらく、龍神に認められていないことを悟ったのだろう。雪燕が待っていた頃は、池に蛍が集まってきたのかと思うほど、池が光り輝いていた。しかし、池は光らず……」
「確かに、光っていたな」
泰然様がそう呟くと、慧王殿下は首を傾げて尋ねた。
「泰然、お前は雪燕の舞を見たことがないだろう?」
「……いえ、ありますよ」
泰然様はそう言って私へと目を向ける。
慧王殿下は視線の先にいる私と目が合うと、まじまじと見つめて言った。
「もしや、君は雪燕なのか?」




