007 臆病(瑠麗視点)
翡雲様が可哀想。
それが、雲龍国の人の自然な考えなのだ。
だからきっと翡雲様もそう思っているのだろう。
雪燕が翡雲様の許嫁だって初めて知った時、すごく悔しかった。
でも、雪燕がすごくいい子だから、この子ならいいやっ、翡雲様とお似合いだって、自分に言い聞かせた。
だけど、二人は違う道を歩むことを決めた。
そして、翡雲様には密仙国との婚約の話が出ていることを知って、私にも好機が回ってきたのだと嬉しくなった。
人間に戻れたら、翡雲様と婚約できるかもしれないんだもの。
でも、人間に戻れたのに、私を見て戸惑う翡雲様を見て自信を無くした。
そうだよね。昨日までフゴフゴ言ってた汚い猪が人間でしたって、気持ち悪いわよね。
姉達みたいに、蛇や蝙蝠じゃないだけマシかなって思っていたけれど、そんなことないわよね。
「せめて、嫌われたくはなかったな」
悔しいのか悲しいのか、頭の中はぐちゃぐちゃで、ただただ、どうしようもなく涙が溢れ、私はそのまま泣き疲れて眠ってしまった。
どれくらい寝たのだろう。
辺りは薄暗く、もう夜なのだろうか。
雪蘭は、どこだろう。
そうだ、誰とも顔を合わせたくなくて、部屋に錠をかけていたんだった。
錠を開け部屋を出ると、食堂からいい香りがした。
夕食はいつも翡雲様が作っている。
みんなで食事中かもしれない。
恐る恐る食堂を覗くと、泰然が一人で鍋をかき混ぜていた。
「ねえ、二人は?」
「お、やっと出てきたか。雪蘭は昨日の疲れが残っていたのか、俺の部屋で休んでる。誰かさんに部屋を占領されてしまったからな。それと翡雲は、都からの書簡が届いて、そのまま」
「都へ行ってしまったの?」
「ん? うれしいのか?」
さっきの侍衛、翡雲様を迎えに来ていたんだ。顔を合わせなくていいと分かると、何故かホッとした。
「別に。ねえ、何作ってるの?」
「薬膳粥」
「なんでも薬膳ね」
「説明が面倒だし、薬師だし。翡雲が作った肉入りの包子もあるぞ」
「美味しそう……」
翡雲様と一緒に食べたかったな。
ウリ坊の時も、本当はずっと一緒に食べたかった。
そして、翡雲様に、美味しいって伝えたかった。
そんなことを考えながら泰然が粥を作っている姿をなんとなく眺めていたら、横目で泰然に睨まれた。
「なんで睨むのよ」
「瑠麗って、意外と無口なんだな」
「は? 泰然ほどではないと思うけど?」
「言いたいことは、すぐに言う奴だと思っていた」
「言ってるじゃない」
「そうか? それは、翡雲にもか?」
泰然と目が合うと、心を見透かされたような気持ちになる。
「……泰然はさ、雪燕に自分の気持ちとか、簡単に言える?」
「簡単には言えないけど、言わないでおこうと思っていても、勝手に出てしまう言葉もある」
「えっ?」
あー、思い当たることが幾つかあるわね。
自分で言っておいて恥ずかしくなったのか、泰然は慌てて口を開いた。
「でも、俺は無口なんだろ、瑠麗と比べるのは違うのではないか?」
「そうかもだけど、もし、自分の気持ちを伝えたとして、気持ち悪いって言われたりしたら……」
「気持ち悪い? 何が?」
「ウリ坊が私だって分かって、翡雲様、困っていたでしょ」
「困るだろ。イノシシは飼えるけど、人は飼えないのだから」
「そ、それはそうだけど……私がウリ坊だった時の記憶が曖昧だって話になった時、すごく喜んでいたの。私と仲が良かった記憶なんて、なくなってしまえばいいって、そう思ったのよ」
「それは、瑠麗にとっても、消えてなくなってほしいものだったのか?」
「そんなわけないじゃない! 私は翡雲様が初めて助けてくれた日のことを絶対に忘れないし、忘れたくない」
「だったら、それでいいじゃないか。瑠麗が、その思い出を大切にすればいいだろ」
泰然の言う通りかもしれない。
だけど、心の中がモヤモヤする。
「でも、翡雲様にも忘れて欲しくない。忘れたい思い出だなんて思ってほしくない」
「面倒くさいな。だったら、翡雲にそう言えばいいだろ。俺だって、今日は雪蘭に……」
「えっ、なにかあるの?」
「うるさい。密仙国へ行く前に、もう一度伝えたいことがあるだけだ。伝えて、それで駄目なら仕方ないけど、なにも伝えずに、ただ駄目になるだけだなんて、情けないだろ」
泰然と雪蘭は、相思相愛だろうに、それでも不安があるんだ。
泰然でも、怖いんだ。
「なにも伝えないのは情けない、うん。情けないね。なんかさ、ウリ坊の時って、自分が自分じゃないみたいでさ。心が解放的だったんだよね。非現実的な毎日で、生きるだけでも精一杯で、何をしてても、あたって砕けろって感じだった」
「ああ、そう見えていたぞ」
「だよね。……でもさ、人間に戻ったら、ずっと一緒にいたいって思った人が、私みたいな化け物? みたいな奴を受け入れてくれないこともあるんだって気づいちゃってさ。臆病になってしまった」
ウリ坊が受け入れられないのは当たり前だから怖くなかったけど、本当の自分を受け入れてもらえなかったら、その人とはもうおしまい。そうなってしまうのが怖かった。
「猪突猛進、瑠麗なら玉砕覚悟で突進したほうが、性に合ってるんじゃないか?」
「あははっ、私もそう思う。でも、やっぱり泰然に言われるとムカつくなあ。玉砕なんてしないから、姉にだって負けない。私が翡雲様と婚約する!」
「……ふっ」
「ちょっと、鼻で笑わないでよ。本当に失礼な人ね。そうだ、泰然って、許婚っているの?」
「は?」
「雪蘭に、いるんじゃない? って言ったら、気にしてたから」
「勝手に変なことを言うな。いないはずだ」
「そっか、それ、雪蘭に言っておいた方がいいと思う。さて、雪蘭を起こしてくるわ。大きな声出したから、お腹空いたもの」
そして踵を返し雪蘭のもとへ行こうとして、食堂の入り口に立つ翡雲様と目が合った。
泰然の方へと振り返ると、彼は素知らぬ顔で鍋を混ぜていた。
「う、嘘つき!」
「都に行ったとは言ってない。瑠麗が勝手に勘違いしたんだろ?」
「なっ……」
泰然は私を無視して、包子を竹籠に入れると布を被せて言った。
「じゃあ、俺は蓮池の茸の夜の状態調査に行ってくる。二人でゆっくり話してくれ」




