005 すれ違い?(翡雲視点あり)
泰然様の部屋を訪ねると、彼は、昨日完成した秘薬を片手に、秘薬の書を机に開き、それを交互に見やりながら独り言をつぶやいていた。
邪魔しては悪いかもしれないと思い、部屋を出ようとしたところで目が合った。
「あ」
「瑠麗はどうした?」
「久しぶりの人間は疲れたと言って、部屋で休んでいます」
「久しぶりの人間……。聞き慣れない言い回しだな」
「ふふっ、確かにそうですね」
「雪蘭、少しよいか?」
「はい」
泰然様に手招きされ、隣に座ると秘薬を渡された。
「これは昨日、雪蘭が作ったものだ。君が持っていてくれ」
あれが昨日の夜の出来事だなんて、もっと前のことみたい。瑠麗が人に戻ってそれどころじゃなくて、泰然様と話したいことが色々あるのに、何から話したらよいだろう。
「いえ、泰然様がお持ちください。泰然様が迎えに来てくださったから、完成したんです。それに、私では扱いきれませんから」
「しかし……。そうだな。薬は薬師が管理するべきだな」
「はい! あ、それと、紫に光る茸は、五つありました。あとの二つは残してあります」
「そうか、一年に一つ増えているのだろうか。不思議だな」
「そうですね。満月の夜の池は、秘薬の書に書かれていたように光の道ができていて、とても美しかったですよ」
「来月、二人で行こう。俺も秘薬のお陰で毒に耐性ができたはずだ。そうだ、今夜もまた行ってみないか? 本当に満月の夜だけの現象なのか、気になる」
泰然様と一緒に行けるなんて、夢みたいだ。
「行きます! あ、ですが、今日は天気が悪いかもしれません」
「そうか、では、月が出ていたら行こう」
「はい。……泰然様。昨日はありがとうございました」
「こちらこそありがとう。雪蘭は私の命の恩人だな」
そう言って泰然様は立ち上がると、棚の上の木箱を持ってきた。
「これを雪蘭に持っていてほしい。命を助けてもらったお礼だと思ってくれ」
それは質屋で売ろうとして、泰然様が買い取ってくれた母の形見の翡翠の腕輪だった。
「これは、泰然様に……」
「大切なものなのではないのか?」
「母の形見です」
「は、母の形見なのか? 全く……それなら尚更受け取ってくれ。俺が渡した百両なんかじゃ釣り合いすら取れていない。大切なものじゃないか」
「……ありがとうございます」
泰然様は私の腕に翡翠の腕輪を通すと、立ち上がり、外の様子を見て言った。
「雨は降らなさそうだな」
「でも、時折、雷の音が聞こえていますよ」
「そうだな。しかし空気が乾燥している。黒い雲も遠く碧砂国の方だ」
「じゃあ、夜は出られそうですね」
「そんなに楽しみなのか? 昨日、狼に追われたばかりだというのに」
「泰然様が一緒なら、なんにも怖くありません」
「…………」
泰然様は少し恥ずかしそうに目を細めて、私の隣に座り、じっとこちらを見つめている。
何か変なことを言ってしまっただろうか。
「あの……」
「じゃあ、ずっと、」
「泰然!! あ、邪魔した。失礼する!」
言いかけたところで突然翡雲様が部屋へ飛び込んできたのだけれど、すぐにまた去って行ってしまった。
「……起きたみたいだな。何か話がありそうだった。行ってくる」
「はい」
「続きは……蓮池で」
そう言い残して、泰然様は翡雲様を追いかけていった。
****
ああ、また二人の邪魔をしてしまった。泰然に話したいことが山のようにあったのだが、後にしよう。
しかし、よく寝たな。今は昼過ぎ頃か。
朝は結局、何も食べていない。
リウリーが瑠麗でウリ坊が人間だった? という突然の告白に、まだ頭が混乱している。
私はあんな可憐な少女に今まで何をしてきた?
紅河の宿で、あんなことまでしてしまったのに。
ああ、腹が減って頭が回らない。何か作ろう。
そう思って食堂へ行くと、先客がいた。
食卓に座り、薄茶色の髪と小さな足をパタパタと揺らしながら、ご機嫌な様子で食事中みたいだ。
「り、」
「翡雲様?」
名前を呼ぼうとしたら、急に瑠麗がくるっとこちらに振り向いて、私は驚いて一歩引いてしまった。そのせいか、明るかった瑠麗の表情が一瞬で暗くなる。
「何を食べているのだ?」
「……薬膳湯です。こちらは翡雲様の手作りですか?」
「あ、それは泰然が作ったものだ」
「そうですか」
瑠麗はニコリと微笑むと、またうつむいてしまった。
会話が続かない。朝は皆がいたから笑って沢山話をしてくれていたような気がしたが、やはり紅河の宿のことを怒っているのではないだろうか。
「瑠麗?」
「はい」
「怒っているのか?」
「な、なぜですか?」
「その……ウリ坊の姿の時に、ぞんざいな扱いをしてしまっただろう? それで……」
「ぞんざいですか? うーんと、身に覚えがないですね」
身に覚えがない。
もしかしたら、ウリ坊の時のことを、あまり覚えていないのではないか?
「もしや、ウリ坊の時の記憶が曖昧なのか!?」
「えっ……、そ、そうですね。はい」
瑠麗は気まずそうに頷いた。
こちらとしては、そのほうがありがたい。
ホッとしたらまた小腹がすいてきた。
「そうか、安心したら、私も何か食べたくなってきた。何か好きな食べ物はあるか?」
「えっ?」
「薬膳湯だけでは物足りないだろう? 私も腹が減ってしまった。何か作るぞ」
「今は、お腹いっぱいなので……失礼します」
いそいそと礼をすると瑠麗は食堂を飛び出していった。
「なにかまずいことでも言ってしまったか」
馴れ馴れしく話しすぎただろうか。
****
部屋に戻り、ふと気づいた。
泰然様から頂いたお金を返した方がいいのではないだろうかと。
腕輪を返してもらったのだから、お金だって。
腕輪はお礼だともいわれたけれど、どうしたらよいだろう。
ここは瑠麗に相談ね。
しかし、部屋で寝ているはずの瑠麗はいなかった。
外へ行ったのか、それとも食堂か、探しに行こうとしたら、扉が開き瑠麗が飛び込んできた。
ウリ坊の時と変わらぬ登場の仕方に、自然と笑みが溢れる。
「瑠麗、あのね……」
「雪燕っ!!」
瑠麗はうつむいたまま私の胸に飛び込むと、声を上げて泣き始めた。
「ど、どうしたの?」
泣き止むのを待って、長椅子に並んで腰掛け話を聞いた。
涙の原因は翡雲様だった。
瑠麗は、真っ赤な紅葉の葉を箪笥の裏から持ってくると、紅河の赤龍橋の紅葉の木の下での話をしてくれた。
これは翡雲様と交換した紅葉だと言った。その時、ウリ坊は食材だと思われてしまうかもしれないけれど、一緒に都に行く話をしたという。
ずっと一緒に、翡雲様がリウリーを守ると、そう約束したのだと。
「でも、翡雲様は、そのことを忘れてほしいみたい。私と一緒になんて嫌だからだわ」
「そう言われたの?」
「ううん、でも、私がウリ坊の時に翡雲様がしたことを、私が怒ってるんじゃないかって、そんな覚えはないって伝えたら……記憶が曖昧なのかって、すごく喜んでいたの。ウリ坊の時のこと、忘れててほしいんだよ」
「でも、翡雲様と、ウリ坊のリウリーは、とても仲が良かったと思うのだけれど」
「私だって、そう思ってた。ウリ坊のままだったら良かった。そしたら嫌われなかったのに」
ポロポロと涙を流す瑠麗の背中をさする。なんと声をかけたらいいのだろう。
「私、泰然様と二人だと、どんな会話をしていいかわからなくて、いつもリウリーに助けられていたの。だから瑠麗も、みんなでお話ししたり、食事をしたりするのはどうかしら?」
「みんなでなら、大丈夫かな。……私、口だけは達者なのよね。人には、ああしろこうしろって、なんでも言える癖に、自分のこととなると全然ダメなの」
そう言って瑠麗は私の肩に頭を委ね、腕を絡めてギュッと抱きついた。
可愛い、なんだか妹ができたみたい。
「なんだか変な感じ。ずっとお姉様みたいだったリウリーが、妹みたいになっちゃった」
「百歳だと思ってたくせに……。でも、実際は私の方が年下なんだから」
「ふふっ、そうだったわね。大丈夫よ、瑠麗。こんな可愛い子が急に現れて、翡雲様はきっと驚いているだけよ」
「か、可愛い? 私が? そんなこと言われたことない」
「そう? 瑠麗、すごく可愛いわ。見た目もだけど、なんだろう、こうちっさくて、ぎゅってしたくなる」
「ええっ、それってウリ坊の時と変わらないじゃない!?」
「そうかも、ふふふっ」
「えへへっ」
瑠麗が笑ってくれて少し安心した。
翡雲様にも、こうして素直に話せたらいいのに。




